introduction
作品紹介
今回は「第九の核心に迫る!」の第二弾ということで朝比奈先生の演奏を取り上げてみようと思う。前回第一弾を取り上げた際に次回予告として朝比奈先生を取り上げるとした。
作品の内容については以下の記事を参照されたい。
law-symphoniker.hatenablog.com
今回取り上げる演奏
今回は、前回の記事で述べたように朝比奈先生と新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏を取り上げる。
新日本フィルハーモニー交響楽団の特徴
新日本フィルハーモニー交響楽団は、多彩で独特な音楽スタイルを持つオーケストラである。その特筆すべき特徴を以下に述べる。
- 柔軟性と適応力:演奏する曲や指揮者に応じて柔軟に対応し、必要な音楽表現を自在に変化させる能力を持つ。
- 即興性と創造性リハーサルで作り上げた基盤を元に、本番では演奏者が即興的に新たなアイデアを加えることがある。
- 集団的一体感:特に弦楽器セクションでは全員が同じ波に乗るような演奏を追求している。
- 現代音楽への積極的な取り組み:「芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会」で新進作曲家の作品を初演するなど、現代音楽の発展に寄与している[1]。
- 多様なレパートリー:クラシックから現代音楽まで幅広いレパートリーを持ち、多様な聴衆のニーズに応えている。
- コミュニティと結びつき:地域に根ざした活動を展開し、コミュニティ・プログラムを通じて音楽を届けることにも力を入れている。
- 革新的なプロジェクトも特徴的:「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」のような取り組みにより、枠にとらわれない新しい音楽体験を創出している[3]。
これらの特徴により、新日本フィルハーモニー交響楽団は伝統的なクラシック音楽の枠を超え、革新的で多様な音楽スタイルを確立しているオーケストラである。
www.suntory.co.jp
note.com
www.njp.or.jp
朝比奈隆と新日本フィルハーモニー交響楽団の関係性
朝比奈先生の内容についてまた改めて別の記事で詳述することにしたい。私の中でも朝比奈先生は特別な指揮者であり、ブルックナーという作品を扱う際に詳述したいと思う。本稿では朝比奈先生と新日本フィルとの関係性について簡潔に述べていきたいと思う。
朝比奈隆と新日本フィルハーモニー交響楽団は直接的な結びつきはないが、共に日本のクラシック音楽界で重要な役割を果たした。
朝比奈隆は1908年に東京で生まれ、大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽総監督を務めた指揮者である。1940年に新交響楽団(現NHK交響楽団)でデビューし、ブルックナーやマーラーの大規模交響曲で評価を得た。彼は後進の育成や地方公演を通じてクラシック音楽の普及に尽力した。
一方、新日本フィルハーモニー交響楽団は1972年、文化放送とフジテレビが運営していた日本フィルハーモニー交響楽団の解散を契機に、小澤征爾らによって設立された。
朝比奈隆は新日本フィルと共演した記録があるが、その活動の中心は大阪フィルであった。彼は関西のオーケストラ運動を立て直し、地域密着型の運営モデルを築いた。
新日本フィルは海外公演にも積極的で、ヨーロッパやアジアで日本の音楽の実力を示した。演奏活動は国際文化交流の面でも意義がある。
両者は直接的な関係はないが、日本の音楽文化の発展に大きく貢献したという点で共通する。朝比奈隆は指揮者として、新日本フィルは自主運営のオーケストラとして、それぞれ独自の方法で音楽文化を豊かにした。
www.osaka-phil.com
ja.wikipedia.org
steranet.jp
ja.wikipedia.org
演奏の分析
朝比奈隆:新日本フィルハーモニー交響楽団
評価:9 演奏時間:約75分
第1楽章:Allegro Ma Non Troppo
提示部。ホルンとトレモロが鳴り響く中、ヴァイオリンが滑らかに下降音階を奏でる。そして、遅めのテンポでどっしりとした巨大な第1主題が登場する。この格調高く、重厚な響きこそが朝比奈先生の音楽なのである。ドイツ以上にドイツらしい響きなのである。ただし、録音の関係なのか不明なのだが残響が少し弱いようだ。第2主題は木管楽器の美しい響きと共に重厚な弦楽器の響きが印象的である。弦楽器「も」しっかり鳴らされていることがよくわかる。引き続き、ウィーン・フィルの特有の美しさが響き渡っており、早くも第4楽章の華々しいフィナーレを想起させる。このようにして朝比奈先生の第九は進んでいく。
展開部に入ると、提示部第1主題の緊迫感が戻ってくる。朝比奈先生の真摯に音楽に向き合う姿からはとてつもない緊張感が漂う。そして、展開部の目玉であるフーガでは、非常に丁寧なテンポであるが、やはり重厚な響きを醸し出している。この独特な響きがいかにも朝比奈先生の音楽である。申し分ない充実感に浸る音楽である。
再現部。金管楽器の荘厳な音色とも弦楽器が第1主題を奏でるのであるが、様々な楽器が総出となって重厚感のある音色を響かせている。この独特の重厚感のある音色は朝比奈先生にしか成し得ない響きなのだろう。その後の第2主題は第4楽章の歓喜の主題を思わせるような安らぎを与える美しい音楽である。
コーダ。朝比奈先生は基本的にテンポは遅い。しかし、この遅さが重厚感と格調の高さを与えるのである。このコーダも第1楽章を締めくくるに相応しい重厚感ある音楽である。
第2楽章:Molto Vivace
なんと第2楽章だけで15分半もある。前半のスケルツォを繰り返す演奏は多いのだが、朝比奈先生は後半部のスケルツォも繰り返しており、全ての繰り返し箇所を繰り返しているのである。
主部。第1楽章のような重厚で緊迫感のある演奏から一変し、標準的で落ち着いた演奏が展開されている。一音一音丁寧な音色を響かせている。
トリオ。出だしは快速的テンポであるのだが、トリオに入ったら元のテンポに戻ってしまって遅い。それにしても弦楽器が良く鳴り響いているのが印象的である。特にチェロやコントラバスといった低弦楽器の重厚さが際立っており、朝比奈先生らしい重厚な音色を響かせている。もちろん、木管楽器の音色も美しい。
そして再び主部を繰り返す。
第3楽章:Adagio Molto E Cantabile
冒頭、標準的なテンポで穏やかな木管楽器によって幕を開ける。なお朝比奈先生はこの演奏については遅すぎたと笑って話している*1。主題部に入ると木管楽器の甘美なハーモニーと美しく重厚な弦楽器が響き渡る。そして、第2変奏ではヴィオラやチェロといった弦楽器の美しさは絶品である。大変美しい音色が一面に広がっており、香炉に安らぎを与えてくれる。このように繊細な場面でも美しく弦楽器を鳴らす絶妙なバランスも朝比奈先生の音楽において注目すべき点ではなかろうか。密かにベートーヴェンの作品における巨大さを惹きdしているように思う。
第3変奏においては、決してテンポを急激に速めることはなく、第3楽章への終わりを目指して一直線の道を描くような神秘的な長い道が眼に浮かぶ。朝比奈先生だからこそ織りなす美しい音楽である。
終わりに近づくにつれ、途中金管楽器のファンファーレが登場する。最初の方は第3楽章の美しさの余韻を残した優しい音色なのだが、最後の方はトランペットの音色がよく響いている。
そして第4楽章へ。
第4楽章:Presto, Allegro Assai
Presto。引き続き第1楽章のようどっしりとしたテンポで幕を開ける。前回の記事で述べたが、幕開けには二つの演奏方法が存在する。朝比奈先生はとにかく原典にこだわる傾向があり、フルートのパートもトランペットで演奏する方法は愚劣であると厳しく批判している*2。よく聴くとトランペットは続けて演奏されておらず、合間合間に休符が挟んでいる。
Allegro assai。合間を開けずに非常に小さな音でコントラバスとチェロによって歓喜の主題が奏でられる。意外にもこの歓喜の主題は意外と快速的テンポである。しかし、今回の演奏はいつもより遅いと朝比奈先生は語っている*3。快速的テンポで奏でられる歓喜の主題は非常に美しいものである。
そして、金管楽器が主題が奏で始めると美しくロマンティクに輝かしい音楽が広がる。そして意外にもさっぱりとしており、かなり強い推進力を持って進んでいく。
Presto; Recitativo "O Freunde, nicht diese Töne!"; Allegro assai。いよ合唱が伴う。朝比奈先生は引き続き快速的テンポでスイスイと歓喜の主題を奏でていく。
合唱は力強さも備わっているのだが、とにかく美しく圧倒的な歌声は実に素晴らしいものである。この朝比奈先生の快速的テンポと相まって聴くと不思議と何か熱いメッセージが込められているようである。
Allegro assai vivace (alla marcia)。ご存知の行進曲風の場面である。今までの快速的テンポからは一変して従来のどっしりとしたテンポが展開されている。この辺りのテンポは非常に難しいようである*4。不思議とホルンの音色がやたら目立っているのが面白い。
非常に複雑なフーガ間奏の後に超有名な箇所に入る。標準的なテンポで堂々たるコラールと様々な楽器が鳴り響いた素晴らしい音楽である。裏で響く弦楽器の8部音符も非常に心地よい響きである。
Andante maestoso。トロンボーンによって始まる。ブルックナーの対位法が用いられたような荘厳なコラールである。合唱の美しさも非常に素晴らしく神々しい響きをしている。朝比奈先生が作り上げる音楽はいつも圧倒される。
Allegro energico e sempre ben marcato。このニ長調はいつ聴いても素晴らしい。各楽器が非常に緻密なバランスが取れおり、感動的な場面である。とにかく合唱のソプラノパートが大変素晴らしいものであり、どこまでも突き抜けるような素晴らしい歌声は当時サントリーホールではどのように響いたのだろうか。
Allegro ma non tanto。男声合唱と女声合唱が交互に歌う。再び快速的テンポが戻ってきたようである。もう終わるとなると寂しいものだ。
Presto; Prestissimo。いよいよ、最終部である。最後の最後まで朝比奈先生らしい丁寧な音楽であるが、ピッコロの音色が目立っている。全ての楽器が鳴り響いており、朝比奈先生のパワーを感じる。最後の合唱も高らかに歌い上げる演奏は圧巻のものである。
最後も快速的テンポで重厚な音色を響かせながら力強く演奏する音楽はやはり圧倒的なパワーであるし、朝比奈先生だからこそ感じる感動がある。
総括
演奏の総評
やはり朝比奈先生の音楽は偉大である。ドイツよりもドイツらしい音楽であるし、その重厚さから生み出される音楽は巨大なものである。この重厚で巨大な音楽的要塞を構築する音楽はもはや朝比奈先生しかいない領域である。
朝比奈先生といえば大阪フィルハーモニー交響楽団であろう。亡くなった現在でも大阪フィルの創立名誉指揮者としての地位にある。朝比奈先生と大阪フィルが二人三脚で歩んだ音楽は大変素晴らしい音楽を展開するのである。しかし、私は何故か朝比奈先生と大阪フィルが演奏した第九を所持していないのはなんとけしからんことか。朝比奈先生の第九はこの新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏しかないのである。
しかし、この朝比奈先生と新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏には、朝比奈先生と東条碩夫先生の対話があるのだ。
なお朝比奈先生は東条先生の対話で第九について以下のように述べている。
今はマーラーでなんだと言いますけれども、強烈ではとてもこの曲にはかなわないでしょう。
結局ベートーヴェンは、このシンフォニーを実際に自分の耳で一度も聞いたことがないわけですね。全部頭の中で鳴っていただけ。まあ作曲料ぐらいはもらったかもしれないけども。作曲家にとって、出来上がった音を実際に聞くのがいちばんの喜びなのに、自分が実際に聴けもしない音楽を作って、われわれに残して、二百年、おそらく永久に世界中で演奏される。自分が死んで永遠の生命を人類に残した、そういう象徴的な感じがしますね。それが本当の作曲というもので、もうそういう時代は二度とこないかもしれない*5。
この部分を読んで私は大いに共感する。たまたまこの作品が「交響曲第9番」と名付けられたからこそ、ベートーヴェン以降の作曲家は「交響曲第9番」を作曲する上では、偉大なるベートーヴェンの作品に引けを取らない作品を作らなかればならないという義務感という呪縛に囚われていたのだろう。
もっとも、朝比奈先生が述べられているように「強烈ではとてもこの曲にはかなわない」のだろう。
そして、この記事を持って今年の音楽に関する記事を納めることにします。毎回スターをつけてくださっている読者の方、いつもこんなもの好きな記事を読んでくださる方は記事を書く上で大きな励みとなっておりました。
来年も引き続き何卒よろしくお願いいたします。
次回予告
未定