カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

シューティングゲームの面白さ

シューティングゲームの面白さはどこから来るのか・・・?

同じような記事やツイートを過去に何度もしていると思うけれど

これは何度でも言いたいし言っておかなければ搔き消されるので

まあ何度でも書いていこうと思う。

 

先ず大事なのはよく言われる「爽快感」なのだが、これは多少の

言い訳を含む表現だ。

 

「何」を爽快と感じているのかを薄ぼやかしているのだ。

勿論敵を撃つことなのだが、嫌な言い方をすれば「暴力」である。

 

多くのゲームは形を変えた「暴力」を行使して攻略していく。

弾を撃つことも、近接攻撃で薙ぎ払うのも、緊急回避でボムを使うのも

嫌な言い方をすれば暴力の行使だ。

 

人間の社会では暴力はいけない事だとされている。

しかし、肉食動物が草食動物を狩ったり或いは草食動物が植物を

食い散らしたりするのを普通は暴力と呼ばない。

 

これは彼らの本能からの行動であり、それを抑制することは不可能だからだ。

 

でも・・・それは人間も同じことなのではないか?

実際に他の誰かや動物を傷めつければそれは間違いなく「暴力」だろう。

しかし僕らが楽しんでいるのは「ゲーム」なのだ。

 

ゲームの楽しさとは何か?それは動物の子供たちが大人になる為に必要な

狩りの練習や異性をめぐるライバルとの戦いに備えたケンカ遊びと同じで

技術や知識を「身に付ける」獲得の喜びだと思っている。

 

一つ一つのシーンを突破し、一つ一つのボスを撃破し、ステージを一つずつ、

進めていく行為がそのような行為の代替となっているのだ。

 

子供時代にゲームに夢中になった者が大人になって今のゲームを見た時に

「昔は出来たんだけど」など口走ってしまうのは実はゲームの複雑さや

難易度に付いていけないだけでなく、その技術や知識は既に獲得済みである

と言う意識が働いて学習意欲が湧き起こらないせいでもあるのではないか?

 

シューティングゲームの面白さの根源は

『本能から来る暴力性(もっと相応しい言葉が必要だ)』にある。

 

それは全てのゲームに当てはまるのだがシューティングゲームは特に

そう言ったものだけが選別され凝縮されたジャンルなのだ。

 

昨今のゲームは・・・それとは真逆のテーマを提示して人気を博している。

 

「暴力はいけないのだ」「優しい世界観が好き」「難しいところが無い」

「とにかく美しい」

 

これらは今の時代においては正しいように感じるが、その言わんとする所は

技術や知識などの「獲得するものが無い」と言うこと。

 

既に身に付けたから必要が無い?余計なことを考えずに済むので楽?

それなら『暇つぶし』と言う言葉がピッタリだ。

 

「息をつく暇もない」シューティングゲームには無い要素だ。

  翻译: