広義の国際法と狭義の国際法の違いはなんだろうか。
これは欧州発祥の国際法が狭義で、それを大きく超えた非ヨーロッパ世界で決められた国際慣習を広義の国際法と呼ぶのではないかと思う。
今、この国際社会で適用せざるを得ないのは「国際法の父」と呼ばれるグロティウスが1625年に亡命先のパリで出版された『戦争と平和の法』に始まる。2025年である今年は、この刊行から400年となる。
次に1648年のウェストファリア条約である。この条約の当事者は国家に限定されておらず、神聖ローマ帝国の選帝侯や諸侯なども含められているが、国際法史上の一つの転換点である。ちなみに佐藤優氏はよく、ウェストファリア条約は大事なことなのに1648年にこれが生まれたことを知らないことに嘆いている。彼にしてみると1945年の終戦くらい大事な年号だと言う。
では狭義の国際法は外務省の条約サイトをみればわかりきったことであるが、それを除く広義の国際法とは何か。柳原正治放送大学特任栄誉教授は広い意味での国際法として、
●シュメール王朝時代の「禿鷹の碑」
●支那春秋時代の礼
●イスラム世界のスィヤル
を挙げている。いずれも非ヨーロッパ世界である。
禿鷹の碑は、都市国家ラガシュ王が都市国家ウンマとの戦いに勝利して、その境界に碑を建てた。これにより国境を画定させたのだが、これを侵すと神が天罰を下すと碑に記されている。実際、これを侵した場合に神が天罰を下すかどうかは定かではないが、いわば国際法として決められているのも同然である。
春秋時代の礼は、諸侯がお互いに守るべき規律であり、以下の内容となっている。
・諸侯の不可侵は保障されない
・理由を付すことなく小国の併合が可能
・諸侯間の結合は礼をもってすれば十分であり、人質による保障は無用
・諸侯間の使節は不可侵であり殺害してはならない
スィヤルは、イスラム地域と非イスラム地域との戦争を規律する法体系であった。その条約はあくまでも暫定的なものとみなされたがこれも国際法の一つだったと言えよう。その後、アッバース朝が衰退し、セルジューク朝が進出してくるとスィヤルによっては説明ができなくなっていった。
このような非ヨーロッパ世界の国際法は存在していたが、アジア・アフリカ等の各国は今やヨーロッパ世界の国際法に駆逐されている。明治維新以来、我が国が清国・中華民国・中華人民共和国よりも優位に立っていたのは、彼らよりもいち早くヨーロッパ世界の常識を取り入れたからであろう。ではどうして中華世界はこのヨーロッパ世界の常識の取り込みに遅れたのであろうか。それは華夷思想があったからだと思われる。それは漢民族が自国民を中華と称して尊び、異民族を夷狄(いてき)と称して卑しみしりぞけた思想である。
朝鮮・ベトナム・琉球などの東アジア世界では、中華に吸引されるネットワーク社会であった。これは中華の皇帝の徳の感化であり、周辺諸国はこれにただ従属してばかりではなく、恩恵を受けていたのである。
日本においては、遣隋使・遣唐使の時代や日宋貿易などはあったが、朝鮮・ベトナム・琉球に比べるとその吸引される力は弱かったために彼らとは違う路線を歩んだ。だが、今はどうだろう。徳もなく、ただ単に領土欲しさにアジア周辺に脅威を及ぼし、資本欲しさにアフリカに進出しては資源を搾取する行為をしているのが中華人民共和国だ。
かつての華夷思想は王道としての思想であったが、今なされている一連の国際行為は覇道としての侵略思想なのではないか。
覇道をもって侵略にひたむきになっている国家はたやすく崩壊しやすい。よって我が国は中華人民共和国とは距離を取るべきである。岩屋毅外務大臣は彼らの言いなりになっているが、王道を歩み、周辺諸国に多くの貢献をしていた時代とは今は真逆だ。アメポチ時代が終わって、シナポチ時代が始まるのではないかと懸念する。
シナポチとアメポチの両方も避けることが望ましいが、この両方を比べるのならば、今はアメポチであることがマシである。なぜならば、これまで米国がなしてきた近代ヨーロッパ国際法の発展過程と関係があるからだ。米国はヨーロッパ発祥の国際法に対して、ヨーロッパと全く同じ態度を取ってきていない。なぜならば米国は英国に歯向かってできた国家だからである。米国はヨーロッパのやることに対して距離を置くという「モンロー主義」を何度もやってきている。だが、世界大戦や世界恐慌のたびに、ついついヨーロッパ発祥である国際社会の常識に飲み込まれてしまい、いつのまにかモンロー主義を放棄しているというパターンを何度かたどっているのである。
そしてトランプ前大統領が再び大統領となる今年、そのモンロー主義回帰が現れるだろう。その時に日本はそれに賛同すべきだと思うのである。これは、我が国も米国も、自国において独立するということを指している。米国に守られなくても、我が国の自衛隊によって国防がきちんとなされる国家であり、他国の輸入に依存しなくても自国だけで自給自足ができる食料・エネルギー体制こそが最高の安全保障だろう。人口減少社会の今後はそうしたことが次々に可能になっていくと思う。そうなれば米国の支配下でいなくてもいいし、中国の支配下でなくてもよい。
そのためにはこれまでのグローバル経済社会を見直していく必要が出てくる。そうなると、各国が国内に閉じこもるゆえに、世界平和に近づくことができる。無理して、文化の違う民族や国家と付き合うことこそがストレスであり、国民に不満を抱かさせ、戦争の火種になることを人類は知るべきではないだろうか。