メキシコのフィギュア
メキシコシティのアナワカリ博物館で、暗い博物館内部の神聖な雰囲気に息を呑みながら展示を見ていく。
先に述べたように個々の土器に説明が付されていないが、
「これは別の博物館で見た風の神と似ている」
「おそらくオアハカ地域の雨の神コシホではないか」
「おかっぱ風な像はたしかテオティワカンだった」
など、このひと月でまわった遺跡や博物館の記憶を手がかりにして見るのは楽しい。
また説明がない方が、歴史的な遺物ではなく美術品として眺めることができ、形の複雑さや面白さにより気付かされる。
1階には小さな人形のコレクションがあり、よくもまあこんなに集めたものだと感心する。
そして予想通りこのコーナーは夫の心をわしづかみにし、待てども待てどもまったく進まなくなった。
しかしわたしはそんな夫を、珍しく寛容な気分で見守った。
わが夫はこうした細かい造形物が好きだ。
日本で夫はしょっちゅう動物フィギュアのガチャガチャをやりたがり、わたしはつい
「このネコは時給1000円の場合18分の労働と同じ金額やで。
18分間追加で働いてでも欲しい?」
などと言って水をさしてしまっていたが、中身がここにあるようなフィギュアであれば、わたしもコンプリートするまでガチャガチャするだろう。
夫よ存分に見ておきなさい。
というわけで夫をその部屋に残して1階を見終わり、いつのまにか追いついてきた夫と合流して2階へ。
まだまだ展示は続く
2階に上がると大きなスペースが現れる。
階段のある壁の下部はガラスケースになっており土器が並ぶ。
そして上方にはディエゴの壁画の巨大な下絵。
現代のアーティストの作品と思われる大きなオブジェも、空間の中央にダイナミックに存在している。
その作品については次回紹介することにしてひとまず土器の展示を見ていこう。
1階よりも密度高く整理された土器は、見覚えのあるものも初めてみる形も両方あった。
おそらく地域ごとにまとめられているのだと思うが、各地からこれだけの質と量を個人が集めることができたということに驚く。
以前メキシコシティの国立宮殿でディエゴの壁画を見たとき、古代の風景がたくさん描かれているのが印象に残った。
きっとこうしたコレクションを見ながら描き起こしたのではないか。
そう思うといずれもう一度国立宮殿を訪れ、今見ている土器がこっそり描かれていないか探してみたくなる。
展示説明の断片から、1920年代ディエゴは深い資金難に陥ったためコレクションの一部を海外に売らなければならず、そのことを悔やんでいた、と読み取れる。
美術品を手放したというより、自分たちの手に取り戻したいと思っているこの国の歴史を売ったような気がしたのではないかと想像した。
と、さまざまなことを考えながら2階を見終わる。
もう「今日はこのへんで」と言いたくなるような密度の展示だったが、上方への階段が見えるではないか……。
待て待て3階もあるのか。
勘弁してくれ。
仕方がないので集中力をリセットし3階も心して見た。
動物の着ぐるみをかぶったおじさんの像に癒され、メタテ(石皿)を模した備品の椅子に「さすがこだわってるなあ」と敬服し、最後のオアハカ地域の土器コーナーまでひととおり眺めて、屋上に上る。
屋上に展示はないが見晴らしはよく、曇天でなければより開放感があったことだろう。
わたしは博物館のまわりを見渡しながら、なんとか1日で展示の全てを見終わったことに安堵した。
後編に続く。
(小さめのフィギュアが並ぶ、夫お気に入りの棚)
(はっきりと描かれた人物、その下部には目のような模様、透かしの入った脚。
「かわいい」がアップデートされていく)
(これ、これはすごい。
人の中にミニチュアの人(神?)が4体入っている)
(MRI……?)
(この土器たちを見ると「平和ってこういうことなのかなあ」と思ったりする)