光る君へ 感想
2024年の大河ドラマ『光る君へ』が終わりましたね。
昨年の『どうする家康』まで15年間、当ブログで大河の解説レビューを素人なりにやってきましたが、今年はとうとう3回ぐらいで挫折してしまいました。
知らないんですよね、紫式部のことも、この時代の歴史も。
なので、今年は無理して毎週レビューすることはやめて、純粋にドラマを観ていましたが、まあ、レビューしなくてよくなったら、気持ちが軽くなって、毎週月曜日が楽なこと(笑)。
元より一銭の得にもならないことを15年もよくやっていたなあと(笑)。
で、最終回まで観終えた感想ですが、わたし的には面白かったです。
歴史を知らない分、粗探しをすることなく純粋に楽しめました。
一部の視聴者の方々は、これは大河ドラマではなく少女漫画だ!といって批判する声も耳にしましたが、わたしはそうは思いませんでした。
それは、まひろと道長のラブストーリーの一部だけを切り取った評価だとわたしは思います。
まひろこと紫式部のパートがファンタジーっぽくなるのは仕方がないこと。
彼女に関する史料はほとんどありませんからね。
紫式部といえば、いうまでもなく『源氏物語』の作者であり、平安時代を代表する女流作家ということは誰でも知っていますが、じゃあ、紫式部ってどんな人物って聞かれると、よく知らないという人がほとんどじゃないでしょうか。
わたしも同じです。
実は、後世に紫式部が実在したかどうかは、学術的にいえば、藤原実資の記した『小右記』という一次史料に、「藤原為時の女(むすめ)」として登場するという、その1点だけで実在性が確認できるだけの人物です。
同時代でいえば、和泉式部も、藤原道長の『御堂関白記』に「江式部」として登場することでその実在性が確認できますが、清少納言は、一次史料にはまったく出てこないそうで、実在したかどうかは100%確実とは言い切れないのだとか。
自身が書いたとされる『枕草子』に登場するから実在したというのは、歴史学的には通用しないそうです。
つまり、この時代の女性というのは、それほど確認しづらいってことですね。
紫式部も、実在性こそ確認できるものの、ほぼ謎の人物ってことになります。
そんな人物が主人公の物語ですから、彼女の人生がフィクションになるのは当然のこと。
『光る君へ』における紫式部はいわば狂言回しで、彼女の視点で描く平安貴族の物語だったと考えるべきでしょう。
そう思って見れば、藤原兼家の宮廷での強かな政から始まって、道隆、道兼、道長三兄弟のドロドロの骨肉の争い、道長の天下となったのちは、伊周との因縁など、非常にねちっこく描かれていて引き込まれました。
道長の出世に伴って態度が変わっていく宮廷の貴族たちも、現代のサラリーマン社会のようで面白かったですね。
また、摂関政治時代における円融天皇、花山天皇、一条天皇、三条天皇、後一条天皇という5代の天皇の立場や苦悩なども丁寧に描かれていたと思いますし、その天皇に藤原家から入内した3人の后たち(詮子、定子、彰子)が、この物語の裏主人公だったように思います。
わたしは、このあたりの歴史の経緯をまったく知らなかったので、単に、円融天皇の后が兼家の娘の詮子で、一条天皇の后が道隆の娘の定子と道長の娘の彰子、三条天皇の后が道長の娘の妍子で、後一条天皇の后も道長の娘の威子という、藤原摂関家の独占状態にあった・・・という認識でしかなかったのですが、その入内にあたっても、摂関家内でドロドロした人間模様があったんですね。
「一帝二后」というのも、道長の政から生まれたものだったんですね。
まあ、ドラマ向けに脚色された部分もあったとは思いますが、道長と伊周の対立は本当の話ですから、概ね史実と見ていいのでしょう。
定子で思い出しましたが、清少納言の『枕草子』は、中宮定子のために書いたという話になっていましたが、あれって事実なのかなぁ。
その清少納言についてですが、『紫式部日記』には「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人(得意顔でひどい人だった)」という有名な悪口が書かれていますから、ファーストサマーウイカさんが配役と知ったとき、もっと高慢な女性で紫式部と火花バチバチに描かれるのかなぁと思いきや、意外に仲良しの関係でしたね。
まあ、そこをフィーチャーしてしまうとフィクション性が強くなってしまうってことだったのかな。
他にも、和泉式部や赤染衛門など、小倉百人一首オールスターズが勢ぞろいでしたね。
みんなキャラが個性的で面白かったです。
最後の「嵐が来る」というまひろの台詞。
ネットやSNSでは武士の世の到来を予感したものだと考察されていますが、双寿丸が言っていた東国の戦というのは、おそらく時代的に上総国で起きた平忠常の乱(長元の乱)のことでしょう。
この乱に対して朝廷は討伐軍を派遣するも3年にわたって鎮圧できず、有力武士の源頼信を起用して、ようやく平定しました。
これにより、坂東平氏の多くが頼信の配下に入り、河内源氏が東国で力をつけていくことになります。
双寿丸は架空の人物ですが、ここにつなげるための伏線だったんですね。
単なる賢子の彼氏枠ではなかったんですね(笑)。
昭和51年(1976年)の『風と雲と虹と』に次いで大河ドラマ史上2番目に古い時代を描く作品となった『光る君へ』。
大河ドラマといえば戦国時代と幕末の作品が最も多く、それ以外の時代を描くと視聴率が振るわないというのがお決まりでしたが、本作はどうだったのかな?
わたしは、面白かったですけどね。
元よりNHKはスポンサーに媚びる必要はないわけですから、視聴率など気にせず、いろんな時代の歴史を大河では描いていってほしいと常々思っています。
その意味では、今年の作品はたいへん意味のある意欲作だったと思いますし、来年の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』も、天下泰平、文化隆盛の江戸時代中期を舞台にした、合戦のない大河ドラマですよね。
骨太の大河ファンにとっては、2年連続で物足りないかもしれませんが、わたしは、今年と同じくまったく知識がない時代なので、楽しみです。
ということで、来年も当ブログで解説は出来ません。
一緒に楽しみましょう。
とにもかくにも1年間楽しませていただき本当にありがとうございました。
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by sakanoueno-kumo | 2024-12-17 17:43 | 光る君へ | Trackback | Comments(2)
初めごろは「合戦がないからつまらない」とか、「平安なんて知らないから楽しめない」という声も多かったですが、始まってみると、夢中になってみてました。むしろ、かつて、大河ドラマを本格的に見始めた頃の感覚を思い出すような感じでした。名作と言われる「独眼竜政宗」も、当初は「政宗って誰?」って感じでしたし、「太平記」も、9月ごろには足利尊氏が将軍になって、その後どうなるんだと思っていたら、ややこしい観応の擾乱に入っていきました。「鎌倉殿」も義時は知っていたけど、ほかの御家人衆は、知らない名前も多い中で入っていきました。知識がないと、あの人、そこで死んじゃうんだ、と驚いてました。
また、中納言や大納言、関白などが出てきたおかげで、時代は異なりますが、逆に、なぜ秀吉があれほど関白にこだわったのかとか、どの戦国武将がどんな官位に就いたのか、どれくらいのポジションなのか、というようなことも考えるきっかけになりました。戦国や幕末がメジャーなのも、大河ドラマ故とも言えますし、今回の作品で新たな分野を開拓できたかな、と思っています。
コメントありがとうございます。
なるほど、官位官職の再認識ですか。
その着目点は素晴らしいですね。
知らない時代の知らない歴史に触れるということは、その時代だけじゃなく、他の時代の歴史も含めて知ることができる。
これ、長い歴史を持つ日本だからこその面白さですよね。
ありがとうございます。