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2024年5月21日 (火)

生活と世の中と思い出と(1982年③)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。74回目は1982年の第3回です。

当時小5から小6にかけての年でしたが、当時見た番組とそれにまつわる個人的な思い出などを絡めてお送りします。

 

●ドラマ

「あんちゃん」

 …水谷豊さんと伊藤蘭さん、今では夫婦ですが、初共演したドラマです。
 見た訳ではないのですが、当時買っていた小学館の学習雑誌に1シーンが載っていました。
 また当時イモ欽トリオで活躍していたワルオくんこと西山浩司さんがドラマ出演した事でも話題になっていました。

「女7人あつまれば」

 …これも小学館の学習雑誌がらみですが、こちらはシブがき隊がドラマ出演した事で記事になっていました。
 加山雄三さんが主演であり、彼らはストーリーの大勢に影響を及ぼすわけではないのですが、小学生向けの雑誌というのは、とかくアイドル系の方にスポットが当たる訳ですね。

「ザ・サスペンス」

 …ドラマ名ではなく、「Gメン'75」終了後にスタートした2時間ドラマ枠です。
 同時期にスタートした日テレの「火曜サスペンス劇場」と双璧を成す2時間ドラマ枠として人気を博し、2年半放送されました。

「ザ・ハングマンⅡ」

 …親が見ていた後ろで少しだけこっそり見ていました。
「ザ・ハングマン」の続編ですが、新メンバーにヨガ(沖田さとしさん)が登場し、うちの親がなぜかジャッキー・チェンと勘違いしていました(笑)
ラストもこっそり(笑)見ましたが、そのヨガとタミー(夏樹陽子さん)の死があまりに哀しく、タミーは自白剤で吐くのを恐れて服毒自殺、ヨガはナイフであちこち突き立てられた挙句に、自白剤を打たれる寸前に振りほどいて逃げるも、あちこちから拳銃で蜂の巣にされ…
当時のドラマはハードな殉職が大流行りともいえる状況で、これもその一つだった事を感じます。

「Gメン'82」

 …Gメン'75が約7年間の長きにわたって放送されて遂に3月に終焉を迎えましたが、ナント半年後に復活しました。
 しかし古巣の土曜21時ではなく、日曜20時枠でした。大河ドラマや西部警察シリーズとの競合はあまりにも厳しく視聴率的に苦戦していたようで、当時時々見てはいましたが、やはり西部警察を見てしまい、いつの間にか終わってしまった、という感じでした。
 篠田三郎さんが警部補役で登場しましたが、Gメン向きではないな…となんとなく感じていました。しばらくTVで見ていなかった清水健太郎さんが出ていましたが、その後覚せい剤で逮捕されることになります。最年少の島刑事には三浦浩一さん、この時彼の存在を初めて知りました。この人ってその後の作品を見てて、真面目な役と不良っぽい役と両極端だなと感じました。

「西部警察PARTⅡ」

 …2年半続いた「西部警察」が4月に終了し、その後5週間「傑作選」として過去エピソードが放送された後にスタートしました。
 このシリーズの目玉は何といっても三浦友和さん演じる「オキ」の登場でしょう。
 それまでのナイーブ青年系の役柄から脱皮し、髪型もスポーツ刈りにしてハードな男を演じるという事で当時話題になりました。
 まだ「百恵さんの旦那さん」的なイメージも強く、その払拭の意味合いもあったのかな、と感じます。
 彼の演じる沖田五郎は、ある事件で犯人に腰を撃たれて、その傷が食い込んだままで、手術をすれば立てないかもしれないという状況で手術を拒み、余命1年の運命の中、刑事として命を燃やし尽くすために西部署へ志願して転任してきたというものでした。
 最初こそ、その設定が生かされた回もありましたが、その後は何もなかったかのように忘れ去られ、また降板間近に急にぶり返す、みたいなことになっていました。
 
 そしてPARTⅡになって大きく変わったのは、OPテーマを初め劇伴が変わった事、また舘ひろしさん演じる「ハト」が若手の中心刑事になっていき、それまでの寺尾聰さんのようなポジションになっていきました。
 また「全国縦断ロケ」として、大門軍団が静岡や名古屋、広島など各地をめぐる「イベント」が盛んに行われ、これだけ地方ロケがイベントと化したのは西部警察ならではだと思います。広島では市電を爆破させるなど、今では考えられない事をいくつもやっていました。

「チャコとケンちゃん」

 …我々が子供時代に欠かせなかった「ケンちゃんシリーズ」の最終作でした。
 それまでケンジちゃん役だった子がここで初めて「ケンイチ」に昇格したのですが、主役はチャコちゃんであるばかりか、シリーズ自体が終了してしまうという、残念な結果となりました。子供が塾通いをするようになり生活スタイルが激変した為、このような番組が世の中に合わなくなった、事が終了原因とされていますが、子供が忙しくなるっていうのはなんなんだろうな、、と思いました。世の中のスピードがせっかちすぎる、もっと緩くてよくない?と思ったものですが…。
 これ以降、子供を中心にした良質なドラマというのが本当になくなってしまいました。幼少期なりに良心的な番組として見ていたし、親もそのような意図で見せていたんだろうな、と今でも思います。

「だんなさまは18歳」

 …「チャコとケンちゃん」の後番組で、好評永続していたケンちゃんシリーズを打ち切った後に放送されたドラマで、往年の名作「おくさまは18歳」のだんなさま版です。竹本孝之さんが主演で伊藤さやかさんが相手役でした。竹本さんは当時、「太陽にほえろ!」で竹本刑事役を演じていた渡辺徹さんと混同されていたようです。近藤真彦さんと新田純一さんがソックリというのもありましたこの当時。
ドラマはよく見てなかったです。なんとなくやってたな、という感じで。

 

ここまでは、この年に始まったドラマについて触れましたが、前年以前に放送されたものについて触れていきます。

「Gメン'75」

 …1975(昭和50)年から始まったハードボイルドドラマで、「キーハンター」から続くTBS系土曜21時の娯楽タイムドラマでした。
 末期はメンバーも女性が増え、最末期はベテラン刑事と無名の新人刑事を登場させたもののインパクトが出せずという感じで、重厚な「トメ」の役柄の警視がいなくなったのも大きく、ほぼ若林豪さんの立花警部の独壇場という感じでした。草鹿刑事の鹿賀丈史さも存在感を見せてはいたものの圧倒的に若林さんとその恋人(島かおりさん)のシリーズが人気を博していました。
 主演の丹波哲郎さんもこの時には60歳を迎え、元々そんなに出番かありませんでしたが、刑事ドラマの主演は…という感じでした。
しかし半年後に「Gメン'82」がスタートするとはよもや思いませんでした。

「西部警察」

 …1979(昭和54)年にスタートし、自分は翌年から見ていましたが、2年半全126話をもって4月に終了しました。
 3月末には寺尾聰さん演じるリキがマシンガンの弾を全身に浴びる壮絶な殉職を遂げ、大変話題になりました。その後彼の石原プロ破門という事でワイドショーで連日放送されていた時期もありました。
 4月初めの回には、長期入院していた石原裕次郎さん演じる木暮課長が復帰し、ファンを安心させました。

「太陽にほえろ!」

 …放送10周年の節目の年にして、4人が番組を去るという激動の時期でした。

 1月には前年から欠場していた沖雅也さん演じるスコッチが病死の形で降板しました。降板前に新聞の夕刊に載っていましたが、「今年は30歳を迎えるので新しい事に挑戦したい」ような事を書いていたのに、31歳で亡くなるとは夢にも思いませんでした。
 1976(昭和51)年に登場したスコッチは番組に波風を立てる「反抗刑事」として難しい役柄でした。その彼が心が開いて去っていくまでが半年かけて描かれ、1977(昭和52)年春に初の転勤の形で番組を一度去りました。その後は2度ゲスト出演しながら、前回降板から3年経った1980(昭和55)年春に400回記念で華麗に復帰しました。
 80年代の番組を担うニューリーダー、将来のゴリさんのポジションに就くだろうとして大いに期待されますが、その後沖雅也さんが身体的にも精神的にも異常をきたし、番組を休むことが増え、継続出演が困難と判断し「最後のケジメ」として(設定で)入院先の病院を抜け出して、最後の事件に果敢に挑む姿は印象的でした。視聴率回復の旗頭として復帰はしたものの、予想外に早かった終焉、そしてその終りはやはり死であった、という形になりました。グリーンの芝生を口から大量吐血して真っ赤に染める演出はインパクトがありました。搬送された病院で死んだのはスコッチだけでした。

 2月にはそのスコッチのキャラを踏襲したようなクールキャラ・ジプシー(三田村邦彦さん)が登場しました。すべての内臓があべこべについてるという謎設定がありましたが、その設定を活かした回もありました。しかし彼はだんだん馴染んでいき神田正輝さんのドック、渡辺徹さんのラガーと共に「ミワカン」トリオなどとしてアイドル的に人気を博しました。この番組が最もアイドル的人気を得た時期でもありました。

 8月には5年ぶりの海外、カナダロケが敢行され、番組10周年記念にもなりました。そしてその回で5年間新人から若手として活躍を続け、途中加入で唯一の70年代から生き残りだったロッキー(木之元亮さん)が文字通りロッキー山脈で殉職を遂げました。山上に投げられたダイナマイト、周りには野生動物たちが、という中、果敢に走ってダイナマイトの火を手で消した瞬間、腹部に1発の凶弾が…という呆気ない死でした。残された早瀬婦警(長谷直美さん=後のマミー刑事)と1歳の双子の子たち…子供が小さいうちに父親が亡くなるという、番組史上初の父親刑事の殉職となりました。

 さらに翌週はスターとから10年間番組を支えてきた最年長である長さん(下川辰平さん)がロッキーの件もあり「彼のような優秀な刑事を育てたい」との意向で警察学校へ転出となりました。番組スタート時の男性刑事で唯一の生き残りとなりました。4年後に「PARTⅡ」で復帰します。

 この少し前?に番組10周年記念のイベント的な番組が企画され、OBの刑事たちも集結した形で放映されていました。コント的なものであったり、普段TVで見る彼らとは全く違う顔が見れる…これを見たのは後年の事でしたが、リアルでは見れず、親が「録音」したものを聞かせてくれました(笑) ここではテキサス(勝野洋さん)、ボン(宮内淳さん)、スニーカー(山下真司さん)、スコッチなどのOBが顔を見せ、また長さん、ロッキーと後任のボギー(世良公則さん)との顔合わせもありました。またゴリさん(竜雷太さん)の殉職もここで発表されていました。

 9月には世良公則さんのボギー刑事が登場、最初のシーンで車をぶつけチンピラまがいの男たちと大ゲンカして警察のお世話になるというハチャメチャな登場ぶりでした。

 しかしその1か月後の10/1、かねてより発表のあったゴリさんか遂に殉職してしまいました。番組スタートから10年、最後の3年は他の仕事を入れなかったといいます。若手の新人刑事を中心としたストーリーながら、これをしごく熱血漢の先輩として、また無名の新人からテレビで人気者になった先輩という側面からも、この番組におけるゴリさん(=竜雷太さん)の位置づけはとても重要なものでした。当初1クールで降板する予定だったボスの石原裕次郎さんも竜さんに説得されて出演継続になったといわれるほどでした。
 そんな番組の功労者の殉職劇として、初の90分スペシャル版として制作され、またその死をボスが直々に看取ったという異例づくしのものでした。実に11人もの殉職者を出した番組でしたが、ボスに直接看取られたのはゴリさんただ一人でした。

 覚せい剤の製造工場へ単身乗り込んだゴリさん、一人の若者の命を守りながら10人ほどの犯人と銃撃戦を繰り広げます。当時母とテレビを見ていましたが、「40越してこんなクルっと回ったりもうキツイやろ」とか言ってました(笑) この10年間ずっと第一線で戦い続けたゴリさんの集大成ともいえる銃撃戦でした。一時危機を迎えますが、仲間たちの機転で形勢逆転、無事に全員逮捕にこぎつけました。あれ?終わり?と思っていたら伏線があって、序盤逮捕した覚せい剤中毒患者が刑務所を脱走し、落ちていた拳銃を拾って…背中を向けて歩いているゴリさんへ乱射しました。後ろから立て続けに3発、最後はとどめとばかりに前から1発…強靭な肉体を誇ったゴリさんも彼に這って近寄り、手錠を打つのがやっとでした。その後救急車で搬送され、ボスと、婚約の決まっていた女性(水沢アキさん)とに看取られ、実に安らかな顔でこの世を去りました。

 ゴリさんの死である意味番組が終わった、という方もいるぐらい、一時代の終焉を感じさせる殉職劇でした。

▼ゴリさん最後のOPカット

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 翌週から登場した後任はスッポンの異名をとるトシさんこと井川利三刑事(地井武男さん)で、彼の役柄はゴリさんの後任でありつつ長さんの役目も担ったというところで、やはりゴリさんよりはいささか地味な役割になった感がありました。

 この年ではラガー役の渡辺徹さんがだいぶ太ってきたのもありました。まだアイドル的な要素も強く「約束」の大ヒットで歌番組に出たりしていましたが。
 

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