心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし

感性が澄んでいく。心地いいなぁ、ずーっと居たいなぁ、と思う。②

2024年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

遠く離れた地で、この古い写真を目にした時、私は懐かしくも切ない思いに駆られました。

清楚で、たおやかな、亜麻色の髪の乙女。歴代のイタリア大使のご家族の方でしょうか。

が、いつか何処かでお逢いしたような気がしたのです。

 

 

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例えると、《銀河鉄道の夜 監督:杉井ギサブロー 1985年》【新世界交響楽】より。

~BGMで新世界交響曲第二楽章がオーケストラ編成で流れている~

ジョバンニ  「あっ!?」  

女の子    「あら!?」

カムパネルラ 「なんだい?」

女の子    「男の子がいたの、小さな家の前にひとり」

カムパネルラ 「そうかい」

女の子    「私ね、あの子を知ってるわ」

ジョバンニ  「僕も、知ってる!」

カムパネルラ 「きっと、どこかで逢っているんだね」

ジョバンニ  「うん」

女の子    無言でうなずく

・・・

 

記憶とは曖昧なものでもあるけれど、同じ思いは、この物語中にも。

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古い写真の場所は、奥日光中禅寺湖畔《イタリア大使館別荘記念公園(HPはこちら)》。

2024年6月15日(土)この建築と周辺だけで、日がな一日、佇んでいました。

 

草木、深い森や山並み、透明な湖、カジカ蛙や野鳥の合唱、梢の葉擦れや湖面の波の音、

風の香り、季節感、ゆっくりと、とうとうと流れる時の感覚・・・、感じる、観じる。

 

均質で画一的な大量工業生産品で固められている現在の都市・住・生活環境では、

ここで得られる様な、心地良いゆらぎは無い。ほっこりとした気持ちにはならないなぁ。

 

人間が都市で生活していく為のノイズは、ここには無い。

そこで何かに急かされるこころのあり様は、ここでは無い。

 

感性が澄んでいく。おおらかな自然に包まれて。

森羅万象、平衡を感じる。魂もここでは中心に還っていく。土に還っていくようだ。

 

この環境、心地いいなぁ、ずーっと居たいなぁ、と思う。しみじみ。

 

建物を残してくれて、一般公開もしてくれて、イタリア大使館と栃木県に、心の底から感謝します。

 

 

大自然の只中、まさに環境と共生する建築。自然と一体となっていて、紛れもない数寄屋です。

設計者はアントニン・レーモンド(1888~1976)。1928年(昭和3年)創建 木造。

さすがデザインの国イタリアが選んだ建築家。魂のこもった設計は、溜息が出るほどに素晴らしい! 

自然の森にしか感じないほど、建築が環境と調和しています。意匠を凝らした外観なのに。

 

6月15日は栃木県民の日で、埼玉県民の私も入館無料でした。島根県からの老夫婦の方とご一緒に入館。

つくづく、

建築家の設計理念と意匠を受け入れた、デザインの国・文化先進国イタリアのものづくり精神には感銘を受けます。

外壁は、杉皮と屋根のこけら葺き(トントン葺き)に使用する薄板(椹:さわら)の面材と竹の押縁。

創建時の屋根は、こけら葺きだったようだ。軒天は、杉皮の面材と竹の押縁。軒の出も深い。

 

建材は全て建築地近辺の自然素材。地産地消の時代の家の作り方は、環境へのやさしさ最上級でしょう。

 

室内に入っても森の中に居る印象。内外装も、建築家として地元職人と意見交換して、設計したそうです。

 

居間と広縁は天井照明なし。心の豊かさの為に、部屋の隅々まで煌々と平板状に明るくする事を避けています。

 

私は懐かしの木造校舎で学んだ経験がありますが、教室と廊下と間仕切りの木製窓の空間構成を思い出します。

栃木県の計らいでイタリア製ソファは自由に座って良く、私、朝9時から夕方5時迄佇んで、心遊ばせていました。

設計次第で『こうも心豊かになれるものなのか!』 成れるものならイタリア大使になりたかった(笑)

建築家は、窓からの風景を【絵画】にデザインします。ピクチャーウインドウ②(2024年6月17日記事)

溜息が出るほど美しい。しかも肌に心地良く、優しいほのかな風が、窓を通して建物内を通り抜けています。

豊穣で至福の時を過ごすことが出来ました。建築でこれほど感動し、琴線に触れた事は、そうはありません。

次は盛夏、避暑を体験しに訪れたいと思っています。5月~11月までは無休とのこと。栃木県に感謝ですね。

 

参考過去記事:2012年7月7日【環境共生住宅の設計にあたり

 

【データ】

自宅を朝5時に125ccスクーターで出発。下道を走り、現地到着8時45分位。

朝9時の開館と同時に入館。食事時は一旦外出して湖畔のベンチで佇んだり、湖畔を散歩したり、

近隣のイギリス大使館別荘記念公園を見学に行く。その後また戻り、夕方5時の閉館まで佇む。

 

華厳の滝も戦場ヶ原も中禅寺湖も観光せず、日がな一日、ほぼイタリア大使館別荘記念公園内に居た。

埼玉県狭山市の帰宅は夜10時頃。

走行距離305.7km 消費ガソリン4.84L(770円) 燃費63.1km/L

 

 

 

 

 


ピクチャーウインドウ②

2024年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

額縁の中に豊かに拡がる交響詩、ピクチャーウインドウ。

ここまで美しいと、止観の為の窓ですね。 感じ、観じます。

 

建築からの眺めを遠近法的に立体構成させる設計手法を、借景といいます。

部屋内外の明度対比、屋外樹々の葉による陰翳、パースペクティヴ効果、素晴らしい!

 

風景を窓で切り取る事で、余韻が豊かな残響音を取り込み、豊穣の交響詩を響き出しています。

ウイーン・フィルハーモニーの奏でる音色を、絵画にしたような。

しかも肌に心地良く、優しいほのかな風が、建物内を通り抜けています。

人の五感とはこの様な環境からより多くを学習して、感じ取っていくものだと思うのです。

 

この窓、現在主流の工業製品の鋼製建具(アルミや樹脂サッシ)ではありません。

建具職人による木製建具。大工職人による敷居・鴨居・窓枠製作。私は懐かしい。

 

建物は《イタリア大使館別荘記念公園(HPはこちら)》

設計者はアントニン・レーモンド(1888~1976)。1928年(昭和3年)創建 木造。

感性が澄んでいく。心地いいなぁ、ずーっと居たいなぁ、と思う。②】(2024年6月19日記事)

 

1階居間からの眺め。湖面は中禅寺湖。  

電球色壁掛照明、室内外の明度対比、陰翳、連続感、高さ感覚、そしてヒューマンスケール。

何て素敵な設計なのだろう!

 

湖岸の木製デッキはヨットの桟橋。湖面にすぐに下りて行ける高低差と距離。

昭和初期、自動車の普及以前は、ここでは舟が生活の移動手段だったようです。

 

建物出隅部。

現在の住宅と異なり、【シェルター】感が突出していません。私はとても好き。

 

ここでは、美しいピアニッシモやニュアンスを聴き分けられると思います。例えば、

Schubert : Piano Sonata No.21 D.960   Wilhelm Kempff(Pf)

 

第二楽章『…それは神秘的な湖上にこだましている弔いの鐘の音のようであり、

聞いているうちに時間と空間が溶け合ってしまうような音である。…』解説者石井宏氏。

 

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さて、別の建築のピクチャーウインドウ。

 

「夏には外務省は日光に移る」の先鞭をつけた、奥日光中禅寺湖畔初の外国大使館別荘建築。

《イギリス大使館別荘記念公園(HPはこちら)》

 

建築主はアーネスト・サトウ(1843~1929)。1896年(明治29年)創建 木造

外交官だった彼の個人別荘だったのを、後年英国大使館別荘として使ってきた経緯との事。

 

湖面とテラスに8.5mの高低差があり、眺望もそれを考えて設計されているそうです。

【旧英国大使館別荘整備基本計画ー栃木県】pdfはこちら

 

1階。透明ガラスに ”ゆらぎ” があるのが分かりますか?

現在の大量生産工業化ガラス製法ではもう作れない、味のあるレトロガラス。

修復には、手仕事である吹きガラス製法で、このゆらぎガラスを作ったそうです。bravo!

 

2階。美術館で鑑賞する【絵画】のような印象のピクチャーウインドウ。

切り取られた風景の絵画的美しさ。18世紀英国のピクチャレスクの感性なのでしょうか。

 

2階。大使の部屋(居室)。現在のしつらえに通じるモダニズム意匠。

眺望が開ける広縁とは、敢えて明瞭に連続させない為に間仕切りの壁面を作るデザイン。

プライバシー重視設計のピクチャーウインドウだったのですね。

 

 

Beethoven : Sonate für Klavier Nr.14 "Sonata quasi una fantasia"

                   (Mondscheinsonate) cis-moll Op.27-2 Wilhelm Backhaus (Klavier)

「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」を、ここでの月夜の湖面に感じるのでは。

 

或いは、Debussy : clair de lune(suite Bergamasque Ⅲ)。

 

 

 

 


私の旅・2024お墓参り《鳥辺野・化野》を巡りて

2024年05月23日 | 旅行記

令和6(2024)年5月、人生2度目の甲辰(きのえたつ)の節目を迎え、

125ccスクーターに跨り、テント生活をしながら、京都と奈良へお墓参りツーリング。

還暦の翌日に出発して、旧灌仏に、無事帰って来る事が出来ました。

 

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京都では、

いにしえからの葬送地、鳥辺野(とりべの)と化野(あだしの)の葬送ルートを歩いてきました。

父方先祖の古い墓石がある現在のお墓が市営清水山墓地にあり、エリアが鳥辺野そのものだからです。

 

大正十五年三月二十五日の曾祖母の葬送で『遺骸を輿に乗せ、花籠車・放鳥車を共に「故小嶋〇〇の棺」

と大書きした弔旗を先頭に立てて葬列をつくり、清水山の小嶋家の墓地に葬った』(正に野辺送り)の記録があり、

昭和十五年十月、明治三十七年生まれのまだ若き祖母の葬送も土葬だったと、伯父が話していました。

 

先祖も通ったかもしれない、かつてこの世とあの世の境だった六道の辻と葬送の地に赴き、

そして現在の墓地に先祖を訪ね、万感の思いを込めて、お墓参りをしてきました。

 

鳥辺野への出発点は、鴨川・旧五条大橋西詰(現在の松原橋)。

つまり、音羽山清水寺への参道起点。この後、スクーターを駐輪場に入れて、歩きはじめる。

昭和30年まで祇園祭の山鉾巡行は松原通りを通っていた! 麩屋町松原も通っていた!

私の生家はその麩屋町松原下ル、私は昭和39年生まれ。

 

60年前の【私の原風景のひとつ】と同じ場所からのスタート。

鴨川と東山の山並みは今も同じで、とてもうれしい。

 

ただし、平安時代と現在の京都市内、かなり違っているとのこと。60年前でさえそうだし。

平安京は現在の寺町通りにあたる東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)が東端。

 

平安京オーバーレイマップ(こちら)を見ると、現在の河原町通りは秀吉の築いた御土居の外がほとんど。

つまり鴨川の河原だった(だから河原町通り)様です。現在の『土手町通り』が御土居の跡だそう。

川幅は今より3倍以上あった様だし、現在の五条から南は氾濫で流域が西へと拡大していった様です。

 

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京都市平安京創生館(京都アスニー:HPはこちら)で、平安時代の京都の地形と、

平安京復元模型の巨大ジオラマ(縮尺1/1000)が見学出来ます(無料)。

 

当時の予想復元地図もインターネット閲覧することが出来ます。

◎古代の京都~ヤマシロオーバーレイマップはこちらで、

◎平安時代と現代を重ね合わせた平安京オーバーレイマップはこちら。 

◎近代京都(明治25年~昭和28年)オーバーレイマップはこちら。 物凄く楽しい!

 

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さて、松原通りを東へ進み、東山区松原通大和大路東入ル二丁目轆轤町81、西福寺。

合掌。

この辺りからが、平安時代、鳥辺野の入り口とされたエリア。

大昔は轆轤(ろくろ)町ではなく髑髏(どくろ)町だったとか。

 

檀林皇后や小野小町の死への尊厳、九相図(Wikipediaによる閲覧注意)。

深く考えさせられますし、釈尊の前世の捨身飼虎が真っ先に頭に浮かびました。

 

界隈にある六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)。HPはこちら

合掌。

 

閻魔大王の木座像と、この世と冥界を井戸を使って往来し、閻魔大王の裁判の補佐をしていた伝説のある、

小野篁卿(Wikipediaによる説明はこちら)の木立像が安置されたお寺。

◎六道珍皇寺にある井戸:死の六道の井戸⇒冥界への入り口。

◎京都嵯峨にあった福正寺にあった井戸:生の六道の井戸⇒冥界からの出口。

   福正寺は1880年嵯峨薬師寺と合併して廃寺。嵯峨薬師寺は清凉寺境内内塔頭。

 

ここにもある、六道の辻の石碑。

『「六道」とは、仏教でいう一切の衆生が生前の業因によって赴くとされる

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六種の冥界をいう。』のだそうです。

 

この六道の辻から先は、隠亡(おんぼう)によって、風葬の地へ運んで行かれたとのこと。

私の知る由もない、遥かいにしえの先祖もそうして自然に還って行ったのかもしれないと思うと、

お盆前の《精霊迎え六道まいり》、お参りしたいです。

 

ただ、中世迄は六道の辻から先の鳥辺山麓迄どころか、鴨川の河原からして葬送地(水葬)。

 

◎古代・中世の京都の墓 /  五十川伸矢 ー 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ 論文pdfはこちら

◎親鸞と川 ー日本人の河川観ー /  池末啓一 論文pdfはこちら

 

論文中の『嶋田と鴨の河原の髑髏5千五百余頭』って、尋常ではない数。

当時の疫病・感染症死者?それとも常時?

 

嶋田とは古代河川の嶋田川らしく、現在の右京区の南・南区の北西辺りにあったらしい(現在消滅)。

当時の水葬地の様なので、流量を考えると葛野川(現在の桂川)を想像するけど、現在の御室川の古代流路かも。

 

現在の御室川でさえ、明治の治水工事直前の京都地誌で、

『いつもは水が無いのに、強雨が降ると堤を壊す深さ七~八尺の瀑漲河川化して、氾濫が凄かった』らしく、

ひとたび強雨が降れば大きな掃流力(運搬力)を発揮(水葬に適)していたので、古代の嶋田川かも。

 

ちなみに貞観十三年(871年)当時、鴨川と葛野川の合流する辺りの河原を、

『佐比(さい)の河原』と呼んでいたようです。平安京の外、葛野郡と紀伊郡の葬地だったらしい。

『賽(さい)の河原』のサイは、ここからきているらしい。

 

平安京も右京は葛野川(現在は桂川と呼ぶ)が暴れ川として氾濫扇状地を東方に広げていて、

都としての機能は早々に放棄していたらしい(平安京創生館の学芸員さんによる)。

 

さて、歩き続けて、現在は清水坂。

目的が目的なだけに、早朝に訪れてよかった。

静寂がまだ続いている。

 

少なくとも中世までは水葬、風葬≒林葬(野葬)。

 

いずれも訪れた死が、還るというか、生態学的循環というか、動的平衡というか、

自然の大きなバランスの中に吸収されていく様な、尊厳があると思う。

葬送が「利他行」に通じていると思う。現代では死体遺棄で犯罪なのだが。

 

清水寺へ。

父は子供の頃、この広場で野球をしていたそうだ。何と長閑な時代だったのだろう。

画像右下の垣根の内側に、旧子安塔跡の石碑がある。(現・子安塔は奥の院の更に奥にある)

ここで右へ曲がり、更に進み、清水寺境内自転車駐輪場の脇道へ。

 

道が開けると、鳥辺野葬送地の代名詞、大谷本廟(龍谷山本願寺による沿革はこちら)。

合掌。

この辺りを鳥辺山と呼ぶそうです。隣接して延年寺旧跡墓地(鳥辺山墓地)があります。

 

◎近代京都(明治25年~昭和28年)オーバーレイマップ(こちら)では、

明治25年や大正元年で墓地の地図記号⊥(こちら)が。付近には荒地や笹地、広・針葉樹林も。

国土地理院(トップページはこちら)の年代別の空中写真(はこちら)では、

昭和20~25年以降に墓地面積を拡張したようです。

 

そもそも鳥辺野のエリアは、歴史的にはかなりの広範囲。

 

さて、清水坂ルートではないけれど、ここも鳥辺野。音羽川の南側、市営清水山墓地入り口。

父方の先祖のお墓参りへ。谷を越え、道路をくぐり、階段を上り、山中を歩く。

 

清水山墓地からは京都タワーが望めます。

「おじいちゃん、おばあちゃん、ご先祖の皆さま、きたよー!」

蝋燭ではなく、灯台をイメージしたらしい。京町家の瓦屋根の屋並を波に見立てて。

 

市営清水山墓地の出口(裏入り口)。墓地から出て林道を歩くと、裏から清水寺へ行ける。

「おじいちゃん、おばあちゃん、ご先祖の皆さま、またくるねー!」

「60年間ほんとうにありがとうございました。家族共々これからもよろしくおねがいします」。

 

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途中、京都市平安京創生館(京都アスニー:HPはこちら)にて学習。

 

素晴らしい女性学芸員の方に、平安京の丁寧な解説と当時の衣装の着付けまでしていただきました。

ありがとうございました。私は何回でも勉強に行きたい生涯学習施設です。とても楽しい!

 

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化野葬送地へ。

 

平安時代、檀林皇后が風葬の地とした帷子辻(かたびらがつじ)があったとされる、

付近といわれる現在の帷子ノ辻(かたびらのつじ)にある、太秦西蜂岡町西地蔵尊。

合掌。

お参りさせていただきました。檀林皇后、素晴らしい方だと私は思います。

 

帷子辻があったとされる地点から、古くからの道らしき道をひた歩き、大覚寺門前交差点へ。

ここは福生寺(ふくしょうじ)跡。平安時代、化野葬送地の六道の辻。

 

現在はかなりの交通の往来があります。

モニュメントがありました。

六道の辻の石碑と、小野篁卿が冥界からこの世に戻る時に使ったとされる井戸(生の六道)。

 

福生寺は今は無いけれど、この井戸だけは残したのかな?、それともモニュメント?

化野葬送地は、この付近がこの世とあの世の境、つまり六道の辻だったのですね。

 

モニュメントには、三途の川らしきものと、橋(鬼谷橋の銘があった)も。

六道の辻から先、葬送地への道は愛宕街道となり、あだしの念仏寺へ続く。

 

階段があだしの念仏寺へ。

道路は愛宕街道。集落は国の重伝建地区に指定されている嵯峨鳥居本集落。

 

あだしの念仏寺(HPはこちら

【あだしの念仏寺HPの沿革より抜粋】

「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、

又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、

極楽浄土に往来する願いなどを意図している。

 

この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、

永遠の別離を悲しんだ所である。

 

境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。

何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していた。

 

明治中期に地元の人々の協力を得て集め、

極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。

賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。

合掌。

「西院の河原」内は観光客も入れます。だけど内での撮影は禁止です、迷惑外国人観光客の方。

 

裏手には竹林があり、見事に美しい。

私は無常を感じます。

 

さて、あだしの念仏寺からの帰路、嵯峨薬師寺(清凉寺(嵯峨釈迦堂)境内塔頭)へ。

合掌。

福正寺は清凉寺境内にある嵯峨薬師寺と1880年に合併して廃寺、今はここが小野篁卿の遺構。

 

小野篁卿、生の六道の石碑。

死の六道、生の六道。今は言葉が出てこない。

 

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さて、父のお墓参り。亀岡への国道9号線の老ノ坂峠へ。

父は祖父・祖母・ご先祖と違う墓地なので、スクーターはたいへん便利🛵。

 

「父さん、きたよー!」

父は私が結婚する前に亡くなった(63歳出直し)ので、妻と3人の子供を知る由も無い。

 

もう少し生きていてくれたらなぁ。というか、もうどこかで出直してる?

どこかで見守ってくれていると信じてるよ。遠方で頻繁にお墓参りに来られないけど。

 

「父さん、またくるねー!」

「60年間ほんとうにありがとうございました。家族共々これからもよろしくおねがいします」。

 

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母と母方ご先祖のお墓参りへ。京都から奈良県磯城郡田原本町に。

母の分骨と、私が大好きだった祖母、そしてご先祖、

そしてマッチ箱の様な狭い借家で一緒に暮らした3匹のマルチーズ犬のお墓のある教安寺。

 

最初、「母さん、きたよー!」

お墓参りが母の日だったので、カーネーションの墓花をお供えしたよー。

 

私には、母は間違いなく、どこかで見守ってくれているように思えるのです。

何かにつけ、感じる時がある。

分骨の片方は自宅で、妻が毎日、水をお供えしてくれています。感謝ですね。

 

「母さん、またくるねー!」

「60年間ほんとうにありがとうございました。家族共々これからもよろしくおねがいします」。

 

次は、大好きだった祖母とご先祖のお墓参り(お墓の画像は撮影していない)。

 

「おばあちゃん、ご先祖さま、きたよー!」

田原本の祖母がいなかったら、私、既に冥界に行っていたかもしれない。

「60年間ほんとうにありがとうございました。家族共々これからもよろしくおねがいします」。

 

そして3匹のマルチーズ犬、アイコ・パク・ポンのお墓参り。

「アイコ、パク、ポン、来たよー!」

慈愛に満ちた優しい愛情を与えてくれました。母さんのそばで飛び跳ねてる?

 

「ありがとう。また会いにくるよー!」

「俺、60歳になったよ。家族共々これからもよろしくおねがいします。」

 

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埼玉への帰路、父の兄弟の長男夫婦のお墓参りへ。

私の伯父と伯母。私の親の離婚で、小学4年生の私を引き取ってくれたかもしれなかったご夫婦。

お二人とも苦労人。だけど現在の子、孫達のあたたかい家庭の土台を築いた努力人。

 

「おじいちゃん、おばあちゃん、きたよー!」

「私、還暦を迎えることが出来ました。いつもあたたかく迎え入れてくれて、ほんとうにありがとう。

 これからも家族共々、よろしくおねがいします。またくるからねー」。

 

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父の兄弟の弟である、叔父のお墓参りにも行きました。

京都・奈良への墓参にさきがけてお参りをしました。

叔父も苦労人。でも、明るい性格でポジティブ。とても思いやりのあるあたたかい人でした。

 

離婚で父親がいなかった私は、20歳前後から30歳前後までしょっちゅう叔父の家へ

泊りに行っていました。あたたかった、叔父の家庭。その頃の私は捨てられた犬みたいでしたから。

 

叔父の家庭が無条件に受け入れて包容してくれたお蔭で、私、立ち直れました。時間はかかったけど。

私には、私を救ってくれた人達が、本当にたくさんいます。ありがとう。感謝してもしきれない。

 

叔父にももう少し生きていてほしかった。父と同じで、私の結婚前に出直し(亡くなる)しました。

妻と3人の子供を連れて、叔父に会いに行きたかった。

 

「おじさん、きたよー!」

「私、還暦になりました。いつもあたたかく迎え入れてくれて、ほんとうにありがとう。

 これからも家族共々、よろしくおねがいします。またくるからねー」。

 

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還暦を健康で迎えることが出来、今回の旅でこころに残るとても良いお墓参りができました。

ご先祖の皆さま、ほんとうにありがとうございます。家族共々これからもよろしくお願いします。

 

さて、私も旅の冥界から戻らなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて⑤

2024年05月22日 | 旅行記

私はライダーです。現在は125ccの原付2種スクーターに乗っています。

 

令和6(2024)年5月、人生2度目の甲辰(きのえたつ)の節目を迎え、

それに跨り、テント生活をしながら、京都と奈良へお墓参りツーリング。

還暦の翌日に出発して、旧灌仏に、無事帰って来る事が出来ました。

 

道中、歴史的町並みの保存・整備・活用を行っている

《重要伝統的建造物群保存地区》(Wikipediaによる説明はこちら)を訪ね、

歩き、見て感じ、観じ、豊穣のひとときを過ごしていました。

 

【全国伝統的建造物群保存地区協議会(伝建協)】ホームページはこちら

長いので『重伝建』とか『伝建地区』と言う人が多いようです。

 

今回の旅で訪れた重伝建地区。

北国街道海野宿(長野県東御市)→旧中山道・奈良井宿長野県塩尻市

→旧中山道・妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)→越中五箇山・相倉集落(富山県南砺市)

→越中五箇山・菅沼集落(富山県南砺市)→白川郷( 岐阜県大野郡白川村)

郡上八幡重伝建地区(岐阜県郡上市)→美濃市美濃町(岐阜県美濃市)

彦根市河原町芹町(滋賀県彦根市)→東近江市五個荘金堂(滋賀県東近江市)

近江八幡市八幡(滋賀県近江八幡市)→若狭街道(鯖街道)・熊川宿(福井県三方上中郡若狭町)

小浜市小浜西組(福井県小浜市)→南丹市美山町北(京都府南丹市)→京都市産寧坂地区(京都市東山区)

京都市嵯峨鳥居本(京都市右京区)→宇陀市松山(奈良県宇陀市)→旧東海道・関宿(三重県亀山市)

名古屋市有松(名古屋市緑区)→焼津市花沢(静岡県焼津市)→早川町赤沢(山梨県南巨摩郡)

甲州市塩山下小田原上条(山梨県甲州市)。22の歴史的町街並み。

 

《白川郷・五箇山の合掌造り集落》は、世界文化遺産(文化庁によるHPはこちら)。

 

 

今回は【私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を巡りて④】の続編。

 

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宇陀市松山(奈良県宇陀市)

 

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旧東海道・関宿(三重県亀山市)

今回2024年(アドレス125🛵)と、2022年(アドレスV125G🛵)に訪れた時の画像。

 

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名古屋市有松(名古屋市緑区)

 

 

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焼津市花沢(静岡県焼津市)

 

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早川町赤沢(山梨県南巨摩郡)

 

 

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甲州市塩山下小田原上条(山梨県甲州市)

                                                                                       

 

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エンジンを切り、ヘルメットも脱ぎ、スクーターを押し乍ら、静かに街並みを歩く。何度も。

私の遊学。文字通り『遊びながらの学び』。

 

感性が澄んでいく。心地いいなぁ、ずーっと居たいなぁ、と思う。

良いものです。自然環境と共生した、自然素材によるヒューマンスケールの街並みでの滞在。

感覚を錯乱させるノイズが殆ど無く、やわらかく抱かれる。こころが癒され、なごみ、ほっこりします。

 

いにしえの日本人が作って来た日本の美しい街並み、景観。

現在や未来の街並み作りに是非活かして欲しいと、私は切に願っています。

 

【私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて①②③④⑤】完。

 

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【旅の記録】

日程  :2024年5月6日~2024年5月15日(10日間) 

走行  :2035.3km スズキ・アドレス125スクーター 燃費概算58km/L

     全行程一般道路 自動車専用道路(高速道路等)走行不可

燃料費 :ガソリン代5591円

 


私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて④

2024年05月20日 | 旅行記

私はライダーです。現在は125ccの原付2種スクーターに乗っています。

 

令和6(2024)年5月、人生2度目の甲辰(きのえたつ)の節目を迎え、

それに跨り、テント生活をしながら、京都と奈良へお墓参りツーリング。

還暦の翌日に出発して、旧灌仏に、無事帰って来る事が出来ました。

 

道中、歴史的町並みの保存・整備・活用を行っている

《重要伝統的建造物群保存地区》(Wikipediaによる説明はこちら)を訪ね、

歩き、見て感じ、観じ、豊穣のひとときを過ごしていました。

 

【全国伝統的建造物群保存地区協議会(伝建協)】ホームページはこちら

長いので『重伝建』とか『伝建地区』と言う人が多いようです。

 

今回の旅で訪れた重伝建地区。

北国街道海野宿(長野県東御市)→旧中山道・奈良井宿長野県塩尻市

→旧中山道・妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)→越中五箇山・相倉集落(富山県南砺市)

→越中五箇山・菅沼集落(富山県南砺市)→白川郷( 岐阜県大野郡白川村)

郡上八幡重伝建地区(岐阜県郡上市)→美濃市美濃町(岐阜県美濃市)

彦根市河原町芹町(滋賀県彦根市)→東近江市五個荘金堂(滋賀県東近江市)

近江八幡市八幡(滋賀県近江八幡市)→若狭街道(鯖街道)・熊川宿(福井県三方上中郡若狭町)

小浜市小浜西組(福井県小浜市)→南丹市美山町北(京都府南丹市)→京都市産寧坂地区(京都市東山区)

京都市嵯峨鳥居本(京都市右京区)→宇陀市松山(奈良県宇陀市)→旧東海道・関宿(三重県亀山市)

名古屋市有松(名古屋市緑区)→焼津市花沢(静岡県焼津市)→早川町赤沢(山梨県南巨摩郡)

甲州市塩山下小田原上条(山梨県甲州市)。22の歴史的町街並み。

 

《白川郷・五箇山の合掌造り集落》は、世界文化遺産(文化庁によるHPはこちら)。

 

 

今回は【私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を巡りて③】の続編。

 

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若狭街道(鯖街道)・熊川宿(福井県三方上中郡若狭町)

 

 

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小浜市小浜西組(福井県小浜市)

 

 

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南丹市美山町北(京都府南丹市)

 

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京都市産寧坂地区(京都市東山区)

 

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京都市嵯峨鳥居本(京都市右京区)

 

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エンジンを切り、ヘルメットも脱ぎ、スクーターを押し乍ら、静かに街並みを歩く。何度も。

私の遊学。文字通り『遊びながらの学び』。

 

感性が澄んでいく。心地いいなぁ、ずーっと居たいなぁ、と思う。

良いものです。自然環境と共生した、自然素材によるヒューマンスケールの街並みでの滞在。

感覚を錯乱させるノイズが殆ど無く、やわらかく抱かれる。こころが癒され、なごみ、ほっこりします。

 

いにしえの日本人が作って来た日本の美しい街並み、景観。

現在や未来の街並み作りに是非活かして欲しいと、私は切に願っています。

 

【私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて⑤】へ続く。

 


私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて③

2024年05月19日 | 旅行記

私はライダーです。現在は125ccの原付2種スクーターに乗っています。

 

令和6(2024)年5月、人生2度目の甲辰(きのえたつ)の節目を迎え、

それに跨り、テント生活をしながら、京都と奈良へお墓参りツーリング。

還暦の翌日に出発して、旧灌仏に、無事帰って来る事が出来ました。

 

道中、歴史的町並みの保存・整備・活用を行っている

《重要伝統的建造物群保存地区》(Wikipediaによる説明はこちら)を訪ね、

歩き、見て感じ、観じ、豊穣のひとときを過ごしていました。

 

【全国伝統的建造物群保存地区協議会(伝建協)】ホームページはこちら

長いので『重伝建』とか『伝建地区』と言う人が多いようです。

 

今回の旅で訪れた重伝建地区。

北国街道海野宿(長野県東御市)→旧中山道・奈良井宿長野県塩尻市

→旧中山道・妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)→越中五箇山・相倉集落(富山県南砺市)

→越中五箇山・菅沼集落(富山県南砺市)→白川郷( 岐阜県大野郡白川村)

郡上八幡重伝建地区(岐阜県郡上市)→美濃市美濃町(岐阜県美濃市)

彦根市河原町芹町(滋賀県彦根市)→東近江市五個荘金堂(滋賀県東近江市)

近江八幡市八幡(滋賀県近江八幡市)→若狭街道(鯖街道)・熊川宿(福井県三方上中郡若狭町)

小浜市小浜西組(福井県小浜市)→南丹市美山町北(京都府南丹市)→京都市産寧坂地区(京都市東山区)

京都市嵯峨鳥居本(京都市右京区)→宇陀市松山(奈良県宇陀市)→旧東海道・関宿(三重県亀山市)

名古屋市有松(名古屋市緑区)→焼津市花沢(静岡県焼津市)→早川町赤沢(山梨県南巨摩郡)

甲州市塩山下小田原上条(山梨県甲州市)。22の歴史的町街並み。

 

《白川郷・五箇山の合掌造り集落》は、世界文化遺産(文化庁によるHPはこちら)。

 

 

今回は【私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて②】の続編。

 

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郡上市郡上八幡北町(岐阜県郡上市)

 

 

 

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美濃市美濃町(岐阜県美濃市)

 

 

 

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彦根市河原町芹町(滋賀県彦根市)

 

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東近江市五個荘金堂(滋賀県東近江市)

 

 

 

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近江八幡市八幡(滋賀県近江八幡市)

 

 

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エンジンを切り、ヘルメットも脱ぎ、スクーターを押し乍ら、静かに街並みを歩く。何度も。

私の遊学。文字通り『遊びながらの学び』。

 

感性が澄んでいく。心地いいなぁ、ずーっと居たいなぁ、と思う。

良いものです。自然環境と共生した、自然素材によるヒューマンスケールの街並みでの滞在。

感覚を錯乱させるノイズが殆ど無く、やわらかく抱かれる。こころが癒され、なごみ、ほっこりします。

 

いにしえの日本人が作って来た日本の美しい街並み、景観。

現在や未来の街並み作りに是非活かして欲しいと、私は切に願っています。

 

【私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて④】へ続く。

 

 


私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて②

2024年05月18日 | 旅行記

私はライダーです。現在は125ccの原付2種スクーターに乗っています。

 

令和6(2024)年5月、人生2度目の甲辰(きのえたつ)の節目を迎え、

それに跨り、テント生活をしながら、京都と奈良へお墓参りツーリング。

還暦の翌日に出発して、旧灌仏に、無事帰って来る事が出来ました。

 

道中、歴史的町並みの保存・整備・活用を行っている

《重要伝統的建造物群保存地区》(Wikipediaによる説明はこちら)を訪ね、

歩き、見て感じ、観じ、豊穣のひとときを過ごしていました。

 

【全国伝統的建造物群保存地区協議会(伝建協)】ホームページはこちら

長いので『重伝建』とか『伝建地区』と言う人が多いようです。

 

今回の旅で訪れた重伝建地区。

北国街道海野宿(長野県東御市)→旧中山道・奈良井宿長野県塩尻市

→旧中山道・妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)→越中五箇山・相倉集落(富山県南砺市)

→越中五箇山・菅沼集落(富山県南砺市)→白川郷( 岐阜県大野郡白川村)

郡上八幡重伝建地区(岐阜県郡上市)→美濃市美濃町(岐阜県美濃市)

彦根市河原町芹町(滋賀県彦根市)→東近江市五個荘金堂(滋賀県東近江市)

近江八幡市八幡(滋賀県近江八幡市)→若狭街道(鯖街道)・熊川宿(福井県三方上中郡若狭町)

小浜市小浜西組(福井県小浜市)→南丹市美山町北(京都府南丹市)→京都市産寧坂地区(京都市東山区)

京都市嵯峨鳥居本(京都市右京区)→宇陀市松山(奈良県宇陀市)→旧東海道・関宿(三重県亀山市)

名古屋市有松(名古屋市緑区)→焼津市花沢(静岡県焼津市)→早川町赤沢(山梨県南巨摩郡)

甲州市塩山下小田原上条(山梨県甲州市)。22の歴史的町街並み。

 

《白川郷・五箇山の合掌造り集落》は、世界文化遺産(文化庁によるHPはこちら)。

 

 

今回は【私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて①】の続編。

 

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旧中山道・奈良井宿長野県塩尻市

 

        

 

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旧中山道・妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)

 

 

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越中五箇山・相倉集落(富山県南砺市)

 

 

 

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越中五箇山・菅沼集落(富山県南砺市)

 

 

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白川郷( 岐阜県大野郡白川村)

 

 

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エンジンを切り、ヘルメットも脱ぎ、スクーターを押し乍ら、静かに街並みを歩く。何度も。

私の遊学。文字通り『遊びながらの学び』。

 

感性が澄んでいく。心地いいなぁ、ずーっと居たいなぁ、と思う。

良いものです。自然環境と共生した、自然素材によるヒューマンスケールの街並みでの滞在。

感覚を錯乱させるノイズが殆ど無く、やわらかく抱かれる。こころが癒され、なごみ、ほっこりします。

 

いにしえの日本人が作って来た日本の美しい街並み、景観。

現在や未来の街並み作りに是非活かして欲しいと、私は切に願っています。

 

【私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて③】へ続く。

 

 


私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて①

2024年05月17日 | 旅行記

私はライダーです。現在は125ccの原付2種スクーターに乗っています。

 

令和6(2024)年5月、人生2度目の甲辰(きのえたつ)の節目を迎え、

それに跨り、テント生活をしながら、京都と奈良へお墓参りツーリング。

還暦の翌日に出発して、旧灌仏に、無事帰って来る事が出来ました。

 

過去記事【ソロ・バイクツーリング、私の旅】のその後、2024年編。

 

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気を付けて行ってきまーす( 'ᴗ' )و

妻におにぎりを作って貰って出発!

2年前のお盆時期に同様のお墓参りツーリングをした際は、直射日光対策で白装束。

今回は日較差対策で、アウターに防水・防風・透湿素材のライダーウェアで旅に出た。

 

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道中、歴史的町並みの保存・整備・活用を行っている

《重要伝統的建造物群保存地区》(Wikipediaによる説明はこちら)を訪ね、

歩き、見て感じ、観じ、豊穣のひとときを過ごしていました。

 

【全国伝統的建造物群保存地区協議会(伝建協)】ホームページはこちら

長いので『重伝建』とか『伝建地区』と言う人が多いようです。

 

今回の旅で訪れた重伝建地区。

北国街道海野宿(長野県東御市)→旧中山道・奈良井宿長野県塩尻市

→旧中山道・妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)→越中五箇山・相倉集落(富山県南砺市)

→越中五箇山・菅沼集落(富山県南砺市)→白川郷( 岐阜県大野郡白川村)

郡上八幡重伝建地区(岐阜県郡上市)→美濃市美濃町(岐阜県美濃市)

彦根市河原町芹町(滋賀県彦根市)→東近江市五個荘金堂(滋賀県東近江市)

近江八幡市八幡(滋賀県近江八幡市)→若狭街道(鯖街道)・熊川宿(福井県三方上中郡若狭町)

小浜市小浜西組(福井県小浜市)→南丹市美山町北(京都府南丹市)→京都市産寧坂地区(京都市東山区)

京都市嵯峨鳥居本(京都市右京区)→宇陀市松山(奈良県宇陀市)→旧東海道・関宿(三重県亀山市)

名古屋市有松(名古屋市緑区)→焼津市花沢(静岡県焼津市)→早川町赤沢(山梨県南巨摩郡)

甲州市塩山下小田原上条(山梨県甲州市)。22の歴史的町街並み。

 

《白川郷・五箇山の合掌造り集落》は、世界文化遺産(文化庁によるHPはこちら)。

 

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海野宿へは旧中山道ルートではなく、国道299→国道462を行く🛵。

志賀坂峠にて。埼玉県からトンネルを抜け、群馬県へ。

 

520人の死者を出した1985年8月12日の《日本航空123便墜落事故》の

慰霊の園(墜落事故の慰霊塔と納骨堂)のある群馬県多野郡上野村にて、旧黒澤家住宅を訪れた。

 

群馬県多野郡上野村による旧黒澤家住宅の説明はこちら

 

十石峠を越える。群馬県から長野県へ🛵。

十石峠はWikipedia(の説明はこちら)によると、『かつて米のとれない上州地方西部の山間部に、

信州佐久盆地から一日十石の米を運び込んでいた道であることからこの名がつけられたとされる』らしい。

 

十石峠を下り佐久盆地に出て、雄大な風景の中を走り、旧中山道の宿場町だった望月宿へ。

佐久市観光協会の散策マップpdfはこちら。旅籠「大和屋」の真山家住宅は国の重要文化財。説明はこちら

 

そして夕刻少し前に、ついに重伝建地区の北国街道海野宿(うんのじゅく・長野県東御市)へ。

 

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エンジンを切り、ヘルメットも脱ぎ、スクーターを押し乍ら、静かに街並みを歩く。何度も。

私の遊学。文字通り『遊びながらの学び』。

 

感性が澄んでいく。心地いいなぁ、ずーっと居たいなぁ、と思う。

良いものです。自然環境と共生した、自然素材によるヒューマンスケールの街並みでの滞在。

感覚を錯乱させるノイズが殆ど無く、やわらかく抱かれる。こころが癒され、なごみ、ほっこりします。

 

いにしえの日本人が作って来た日本の美しい街並み、景観。

現在や未来の街並み作りに是非活かして欲しいと、私は切に願っています。

 

【私の旅・2024お墓参り《重要伝統的建造物群保存地区》を廻りて②】へ続く。

 

 


感性が澄んでいく。心地いいなぁ、ずーっと居たいなぁ、と思う。①

2024年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

野の趣き、里地里山の景観、自然。

草木、森、田んぼと蛙の合唱、野鳥のさえずり、梢の重なり合う音やせせらぎの音、風の香り、季節感、

ゆっくりと、とうとうと流れる時の感覚・・・、感じる、観じる。

 

均質で画一的な大量工業生産品で固められている現代の都市・住・生活環境では、

ここで得られる様な、心地良いゆらぎは無い。ほっこりとした気持ちにはならないなぁ。

 

人間が都市で生活していく為のノイズは、ここには無い。

そこで何かに急かされるこころのあり様は、ここでは無い。

 

感性が澄んでいく。おおらかな自然に包まれて。

森羅万象、平衡を感じる。魂もここでは中心に還っていく。土に還っていくようだ。

 

この環境、心地いいなぁ、ずーっと居たいなぁ、と思う。しみじみ。

 

狭山市の自宅からスクーターで30分ほど、埼玉県と東京都にまたがる狭山丘陵。

そこはオオタカも棲息する森、多摩湖・狭山湖の水源を保護する森林が残り、

環境省の《生物多様性保全上重要な里地里山》に指定されている地域。

 

2024年4月27日(土)、その東京都側にある【狭山丘陵の6つの都立公園】のうち、

野山北・六道山公園》の里山民家・岸田んぼ・入谷戸で、たたずんできました。

 

パンフレットPDFはこちら

 

既にカエルの合唱に包まれた里山民家の景観。いいンですよね~ε-(´∀`*)ホッ

母屋(おもや)、蔵、周囲の緑、

そしてスタッフやボランティアの皆さんのウェルカムボード、素敵ですよね~ε-(´∀`*)ホッ

木組みの門。ヒューマンスケールで、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ

母屋。江戸中後期の名主格の農村住居で、狭山丘陵南麓の民家を新築復元との事。

茅葺屋根、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ  防火やメンテは大変だけど、いいものはいい!

真壁で土壁、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ もちろん木舞下地。

古民家100年超の高耐久の秘訣のひとつ。

土間の三和土、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ コンクリートやモルタルと質感がまるで違うし。

構造材現わしの渡腮梁組、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ 古民家100年超の高耐久の秘訣のひとつ。

過去記事【2006年8月27日 わたりあご③】参考まで。

釘を使わない・釘に頼らない木組み、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ 

古民家100年超の高耐久の秘訣のひとつ。

(かまど)、掛け花、一輪挿し、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ

ちなみに、私が子供の頃、奈良県磯城郡の母の実家(おばあちゃんの家)は、まだ竈だった。

囲炉裏、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ

陰影礼賛。いいよね~ε-(´∀`*)ホッ

映画の中の風景みたいで、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ

『カチッ、カチッ、・・・』のんびりした時を刻む様な音のする柱時計。いいよね~ε-(´∀`*)ホッ

畳、漆喰土壁、床の間と生け花、竿縁天井、端午の節句の飾り、和服、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ

縁側、和紙の明かり障子、板の雨戸、いいよね~ε-(´∀`*)ホッ

木造伝統構法の納め方のひとつ。自然石と栗の土台と柱と貫の小根ほぞ。木組み。

戸袋も木組み。木の臼は関東風。関西は石の臼が主流かな。土壁の風化具合がいい!

縁側下。床下の通風が縦横無尽に行われる作りが古民家100年超の高耐久の秘訣のひとつ。

現代の木造住宅はコンクリートの立ち上がりに土台を敷くので、床下にこもる湿気で短寿命。

深い軒の出、樋ではなく雨落ち。いいよね~ε-(´∀`*)ホッ  

古民家100年超の高耐久の秘訣のひとつ。

古民家といえども人工物。だけど、自然素材、生物材料を手塩にかけてハンドメイドで作ると、

どうしてこうも有機的なほっこり感が醸し出されるのか! 本当にいいよね~ε-(´∀`*)ホッ。

 

里山古民家の裏に広がる田んぼへ。入り谷戸へ散歩。

途中の木橋の上や、せせらぎに居た野鳥たち。

つがいで、そばで見ていて、ほっこり (*´ω`*)。

素晴らしい里地里山の環境で、とても癒されました。 ε-(´∀`*)ホッ

次回はウチの柴犬のふくを連れてこよう!

 

市町村レベルでも、野の趣きのある茅葺屋根の《あずまや》でいいので、

例えば市民農園や朝のラジオ体操兼ゲートボール場の様な身近な所にも整備してくれないかなぁ。

 

 

 


木組みによる隅木⑥振れ隅木(薬研・都市型)その3

2024年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

『化粧振れ隅木の製作承ります』(反り軒を除く木造一般住宅の振れ隅木関連材の手墨・手加工)。

 

☆振れ隅木編☆

2016/08/04【木組みによる隅木④振れ隅木(都市型)その1

2016/08/08【木組みによる隅木⑤振れ隅木(都市型)その2

2024/04/21【木組みによる隅木⑥振れ隅木(薬研・都市型)その3

 

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今回は薬研の振れ隅木(平角105×270×5200)。

つまり振れ谷木。

 

やはり機械プレカットでは出来ないので、口脇以外は全て手墨・手加工。

しかも、PC加工機のデフォルト設定に合わせるタスク。

 

さて、正多角形の谷木ではなく、純粋な振れ谷木。

薬研の振れ隅つまり振れ谷木は、どの伝統大工の墨付け(規矩術)参考書にも無いと思うし、

ましてやプレカット工場のデフォルト設定での解説なんて、ある訳ない。

 

そこへ渡り腮(木組み模型では大入れ)あり、棒隅(鎬)との仕口あり、(( ̄▽ ̄;;)ア、ハハハハ…

物凄く鬱陶しい((+_+))

 

さて、実際の小屋組の伏図

10.0寸と3.36寸の振れ谷木。棒隅は10.0寸。

 

毎度お馴染み『こまったちゃん( ◠‿◠ )』

【2016/08/04 木組みによる隅木④振れ隅木(都市型)その1】による物件。

谷ですよ、しかも平10.0寸急勾配(角度でいうと45度)の。

 

酸性雨に生命の危険を感じる豪雨に、雹(ひょう)や霰(あられ)や霙(みぞれ)や積雪等々、

降水の全てがこの谷に集中して、屋根を容赦なく浸食するというのに。

 

現在の日本の住宅の平均寿命26年のはるかはるか手前で雨漏りするのではないか?

建築主による実験住宅なのかな?

 

さて、βPC工場のデフォルト設定がこれ↓

口脇は峠の設定から決めていないのだ。

材幅、屋根勾配に関係なく、材芯からの距離22.5mmが共通。

 

但し、最大手のPC加工機メーカーA社のCAD・CAM連動だと、

峠の設定が手入力出来るんですけどね。

 

PC工場は、導入している工作機械とCADソフト及びその連動の有無の違いにより、

機械加工プレカットとはいえ、会社の技術レベルの違いが相当にあります。

 

生産の現場では、

加工機をドライブする専用CADと汎用CADの性能差・アウトプットが、そもそも歴然の違い。

ハッキリ言って、汎用CADは汎用建売住宅の為のソフト。応用が全く利かない。

 

ハードとソフトの両面で柔軟に対応出来る組織というのは、やはり高品質なモノ作り。

 

営業とCADオペ双方とコラボ出来、難解物件時は依頼者と打ち合わせも行えた柔軟なαPC工場と、

硬直した縦割り組織で、管理職が聞く耳を一切持たない(毎回短納期の強制)βPC工場とでは、

品質はαが優れていました。何しろβはミスが日常で、年間500万円以上のペナルティだもの

 

そのβによる、母屋が振れ隅木からこぼれるCAD入力(ミスだと思う)と、私の対応例。

『こぼれるけど、どうする?』と、手加工大工はCADオペに質問して対応をとる手順。

出来る側の大工が出来ない側のCADオペに対応策を指示して貰わなければならないという、

なんという技術レベルが低く、しかも硬直した縦割り組織。CADオペ、3Dレンダリングすら出来ないのか?

 

依頼主による構造計算等で材の寸法が決められてしまっているからか、あるいは、

CADオペの所要時間ノルマが原因理由なのかは、コラボ出来ない手加工大工にはわからない。

いずれにしても、βの品質管理システムと品質の証明。

 

ほとほとβでは、機械と組織に合わせる事の難しさ・面倒くささ・鬱陶しさを痛感しました。

よって今回はミスをしない為に、休日出勤をして、急所を網羅した木組み模型を製作したのです。

 

 

 

 

 

(@@;) でしょ!?  ( ☝`ิิω`ิิิ )☝どんだけぇ~

 

ンもう、言うこと無いよ、ホント。ホセメンドクセー(クレヨンしんちゃん観てください)。

この木組み模型により、私は今回も実物大の仮組みは行わずに、ノーミスでした。

 

薬研の形状、こんなんになっちゃいました。 βPC工場のデフォルト設定に合わせると。

 

垂木の拝みも、峠を手入力出来ないと、異勾配ではこの様な納まりになってしまうのだ。

数センチ単位で厳密に言えば、設計図書の最高高さと違う寸法になってしまっているのです。

 

更にこの物件を受注したβPC工場では、斜め材・登り梁・隅木関係等の構造金物は全て現場対応。

現場でのローコスト・ロープライスビルダーの対応の実態は、読者のご想像にお任せします。(゚∀゚ ;)

 

そもそも業界最大手γPC工場が、振れ隅木は100%現場対応(関係部材全て)。

そのおこぼれを狙っての営業戦略ですな、βPC工場。

 

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因みに、業界最大手γプレカット工場が100%現場に丸投げした、

パワービルダー(TVCMする会社)の振れ隅木(鎬)物件がこれ↓ 

105×360×4000材の振れ隅木と関連部材全てを現場対応って、

γPC工場もパワービルダーも、その無茶振りぶりは流石に業界最大手のパワー(ハラスメント)。

会社は、安さと棟数確保の為に『そんなの関係ねぇー、おっぱっぴー』ですな (^^♪

 

この建設現場では、無茶振りされたぶっつけ大工が逃げてしまったそうです。

ヤベ!!Σ(゚Д゚;≡≡≡≡≡ヾ(;゚д゚)/ニゲロ~!!  (そりゃそうだ。ぶつけるにも程がある。)

 

工期遅延(品質が悪い事よりも、これを最もパワービルダー管理職は戒める)で、

困り果てた現場監督が「当社(βPC工場)に泣きついて来た」と、営業が私に持って来て判明。

 

この時の業界最大手γPC工場のデフォルト設定がこれ。↓

峠ではないし、βPC工場とも異なる設定なんだよね~。

口脇の肩12が固定値。

 

これ、《全て材芯からの距離22.5mmが共通》よりも、旧式機械の設定なのだ。

業界最大手なので、てっきり最新設備による加工かと思いきや、違ったのネ。

 

で、この設定で検証してみたら、そもそも実現出来ない納まりである事が判明 ┐(-。ー;)┌ 

ヤレヤレ…  ヽ(゚~゚o)ノ  アキマヘンワ 

 

結局、私が彼らのレスキュー出動をして、1か月以上停滞していた現場が納まった次第。

まるで私、業界の山岳救助隊ですな。

 

振れ隅木の物件は、彼らにとっては毒饅頭とか毒キノコなんですよね。

棟数社是で、美味しさも束の間、無知な為に、自家中毒を引き起こしてるのだから。

 

そもそもパワービルダーとパワービルダー型プレカット工場というのは、

大量生産の為に汎用技術のみで低賃金従業者酷使の回転率で運用する技術ランクの低い集団なのだから、

高技術・高技能所持者にしか出来ない振れ隅木は受注しちゃダメでしょ。

 

国(国土交通省)は、技術ランクをA・B・C・Dの4つに区分(公共工事)して、

技術ランクの低い建設会社に高い技術が必要な高額物件を受注させないルールですよ!

 

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・・・ということで、

プレカット工作機械のデフォルト設定で平角振れ谷木を墨付けする事がどんなに面倒か、

読者の皆さん、木組み模型作ってみて! 今回記事は、作れた人だけが理解出来ます。\_(・ω・`)

 

 

 


大工と設計の2刀流 建築基準法・建築物省エネ法 設計等実務講習会

2024年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム

2023年12月21日 於:さいたま市JA共済埼玉ビル

多忙極める((+_+))年末に、国土交通省主催の実務講習会を受講してきました。

 

この様なダイレクトメールが来ました。

講習会の案内。

私が受講したのは設計等実務講習会。

 

 

大工としてだけならば、断熱施工実技研修会のみで済むのだけれど、

墨付けと刻みが出来る大工かつ設計が出来る一級建築士の2刀流なので。

 

 

ちなみに大工として【断熱施工実技】も当然手抜かりはありません。

 

 

座学については、オンライン講座も用意されているのだけれど、

《重要なお知らせ》との事なので、今回は実際に講習会場へ行きました。

 

 

 

講習会当日、説明のあったテキスト。

構造編。

 

構造については、比較的規模の小さい木造住宅についても品質を担保する為に、

ペーパー建築士(や無資格なりすまし建築士)を排除する目的と思われる、 

”実務上作成しているはず” の重要書類の ”提出” が義務化されます。

 

 

その書類① 壁量計算書(壁量判定+四分割法判定)

私は、【2012年設計・N邸】の時点で、既に完全マスター済み。OK!

《手描きCAD(JWW)》にて設計・作図済。

 

 

この壁量計算、実は出来ない1級建築士と2級建築士、本当に多数います。

過去、主にパワービルダーが、この書類の提出義務が無いのを良い事に、

壁量を満たしていない大量の住宅を作っていて、社会問題になりました。

 

 

だからね、

安いのは、そうやって手間(人件費)を省くから安く出来る訳です。

 

 

その書類② 柱頭柱脚金物算定書(N値計算書)

①とセットになる書類で、軸組(柱と梁の骨組み)の接合強度を算定するもの。

 

私はこちらも【2012年設計・N邸】の時点で、既に完全マスター済み。OK!

軸組図も《手描きCAD(JWW)》にて設計・作図済。

 

このN値計算、これまた、出来ない1級建築士と2級建築士が多数です。

 

今回の改正は、《伏図=木造建築の構造図》が描けない(⇒構造を理解していない)

ペーパー建築士を建築行政が氾濫させてしまった反省から、採られた措置だと思われます。

 

残念なのは、伏図の提出が見送られた件。

一気にそこまで義務化してしまうと、建築棟数の急激落ち込みによる景気低迷を懸念したからでしょうか。

 

 

省エネ編

こちらは、地球温暖化・CO2削減から避けて通れない対応です。

毎年の様に異常気象が叫ばれていますから。

 

今回、創エネ住宅(ZEH:ゼロ・エネルギー・ハウス 等)迄はまだ踏み込んでいませんでしたが、

「いずれ段階的に規制の数値が厳しくなっていく」との当日講師の弁。

 

 

省エネ分野は【2012年設計・N邸】の時点で、

建設地の地域区分で最高等級の断熱性能を建築主に提案して採用され、設計施工しました。

但し、省エネ判定の為の書類作成&提出義務はありませんでした。

 

よって今回改正で国交省が準備している判定システムをマスターする事になります。

 

 

 

大工と設計の2刀流、日々勉強です 〆(._.)

 

 

 


建築士定期講習修了2022年度

2023年02月05日 | 資格・転職・就職

令和5年 2023年1月21日(土)

建築士事務所に所属する建築士に課せられた3年毎の法定講習を、受講、修了しました。

前回は令和元年(平成31年) 2019年7月6日(土)でした。

 

私は一級建築士です。

そして木造伝統構法の技術と技能を保持する大工です。

 

 

『建築設計監理の出来る伝統大工&伝統大工の出来る建築設計監理士』の二刀流で、

現在も日々研鑽を積んでいます。

 

 


125ccスクーターの10万km走破! アドレスV125G

2022年05月01日 | 日記

通勤での毎日の相棒である125ccスクーターが、

2022年4月28日の仕事帰り、ついに10万kmを走破!

ルーラル・ライナー

 

 

ついに積算走行距離計が、一周しちゃいました

記録では、2009年5月23日が納車。

 

 

足掛け13年、

雨ニモマケズ 

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

・・・

 

付き合ってきたことになる。

 

 

この先、行けるところまで、

まだまだ走り続けようと思う。

私はライダー。

万感の想いを込めて、風になる!

 

 

 

※過去記事参考

【2014/12/14 ソロ・バイクツーリング、私の旅

 


予約購入! スウェーデン放送所蔵音源によるバイロイトの第9

2021年10月16日 | 日記

Ludwig van Beethoven(1770-1827)
Symphony No.9 in D Minor,Op.125 "Choral"

 

【バイロイトの第9】

 

私が死んだ時、

棺の中に一緒に入れて彼岸へと送って欲しいと思っている演奏の、

全ての実況収録盤が発売される事に!

 

フルトヴェングラー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団

 

輸入元情報によると、

【まさに1951年7月29日、スウェーデン放送によって中継放送された番組、

冒頭の4か国語(独語、仏語、英語、スウェーデン語の順)によるアナウンスから巨匠の入場、

渾身の指揮、やや長めのインターバルをはさみ、

最後の2分半以上に及ぶ大歓声と嵐のような拍手(と番組終了のアナウンス)まで、

85分間、一切のカットなしに当夜のすべての音をSACDハイブリッド盤に収録しました。

 冒頭アナウンスは「1951年バイロイト音楽祭。バイエルン放送が

リヒャルト・ワーグナー音楽祭(バイロイト音楽祭)のオープニング・コンサートを

バイロイト祝祭劇場からドイツ・オーストリア放送、英国放送、フランス放送、

ストックホルム放送を通じてお届けします。

曲はヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮によるベートーヴェンの交響曲第9番です。」

というもので、これがまさに生中継だったことがうかがえます。】

2021年12月20日に発売予定との事。

 

生きてて良かったぁ~ \(^o^)/

 

 

 


盛夏から立秋へ2021

2021年08月09日 | 日記

2021盛夏から立秋の候

暑中じゃなかった、残暑お見舞い申し上げます。

『ふく、風鈴の音を聞きながら、風通しの良い日陰で佇む』

 

 


  翻译: