風見鶏
小さな村の古い教会に、一羽の風見鶏がありました。いつからそこにいるのか誰も知らないほど古く、村人たちは当たり前のようにその風見鶏を見上げては、今日の風向きを確認していました。
風見鶏は、毎朝教会の鐘が鳴るたびにそっと祈ります。
「どうか、今日も私が役に立てますように」
季節が変わり、嵐が来て、風が激しく吹く夜もありましたが、風見鶏はどんなときも耐え、ただそこに立って村人たちに風向きを伝え続けました。
ある年の秋のこと。風見鶏の体が少しずつ錆びてきていることに、村人たちが気付きました。何代も村を見守ってくれた風見鶏に感謝を込めて、村人たちは修復することを決めました。
しかし、その夜、大きな嵐が村を襲いました。古びた教会は激しい風雨に耐えられず、崩れ落ちてしまったのです。
翌朝、嵐が止んだ後、村人たちが教会の跡を見に行くと、瓦礫の中に埋もれた風見鶏がいました。村人の一人がそっと風見鶏を拾い上げると、驚いたことにその小さな風見鶏は、最後まで教会の方向を向いていたのです。
その姿に、村人たちは涙しました。
「この風見鶏は、私たちのために最後まで使命を果たしたんだ」
そうして風見鶏は村人たちの手によって再び修復され、今度は村の広場の中心に据えられました。そこから村人たちを見守り続ける風見鶏は、嵐の夜も晴れた朝も、変わらずに静かに風を伝え続けました。
風見鶏は、今も広場の上で風に身を任せながら、こう願っています。
「神様に召される日まで、どうか私の使命を果たせますように」
私も三重県の片田舎で小さな風見鶏になれたらいいな、と思って働いています。