前回の続きとなります。
前回はコチラ:
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この映画の特筆すべきシーンをもう一つ挙げておきましょう。
それは、大西洋横断の途中で、マデイラ島へ数時間停泊するところです。
アイリーン・ダンは、ボワイエの叔母の訪問へ同行し、そこで美しいチャペルを見出します。
太陽の光が差しこむチャペルにあるマリア像に打たれたアイリーン・ダンは、すっと跪き、祈りを捧げ、ボワイエも横に跪きます。
その撮影の神々しさは、撮影監督のルドルフ・マテが1929年に撮った『裁かるゝジャンヌ』を思い出さずにはいられません。(手法は全く異なりますが)
そして、老いた叔母のマリア・オースペンスカヤの弾くピアノにあわせて『愛の喜びは...』をアイリーン・ダンは歌います。
その高貴さ。
『めぐり逢い』のデボラ・カーは吹替でしたが、アイリーン・ダンは歌手出身だったこともあり、吹き替えではありません。
別れ際に、アイリーン・ダンは、老いた叔母のマリア・オースペンスカヤへ、ショールを掛けてあげるのですが、黒い服へ掛けられたショールの白さとのコントラストの超絶的な技巧の素晴らしさはどうでしょう。
この島のシーンは、大変に繊細な明暗法の撮影によって成り立っているのです。
最もダンディな男優ボワイエと、大人な女性アイリーン・ダンとがいて、本当に豊潤なシーンです。
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そして、ラストシーンの素晴らしさは、映画史上で永遠に記憶されるべきものです。
この稿では、それについて解説してみたいと思います。(ネタバレです)
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シャルル・ボワイエが、自らが描いた絵をアイリーン・ダンの家で発見するシーンの演出の妙については、前回触れた通りです。
ここでは、脚本の素晴らしさについて、述べたいと思います。
脚本上の伏線としては、以下の2つが既に示されています:
①その絵は、ボワイエが、遊び人をやめて画家業に専念した結果生まれた、真の傑作と評判になっている絵である。
②その絵には、例のショールを羽織った女性が描かれている。
その女性は、ボワイエが愛を誓ったアイリーン・ダンの姿らしく、(上述の)思い出のショールを幻想の中でまとっている。
以上のような伏線が張られていて、ラストシーンを迎えます。
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ボワイエは、怪我のために立って動けない(と彼は知らないのですが)アイリーン・ダンの部屋を訪れます。
そこで、ボワイエは、半年前のエンパイアステートビルでの約束を、アイリーン・ダンが破ったことについて、(直前に事故に遭い行けなかったことも、もちろん知らず)恨み言をひとしきり伝えます。
※なお、これも大変巧みな脚本で、このシーンでは、ボワイエがある配慮をしていて、アイリーン・ダンが破ったのではなく、ボワイエが破ったという体にして、謝罪してみせるのです。ここら辺は、子供には分からない大人の脚本になっています。
そして、ボワイエは、自分は今からニューヨークからパリへ帰るのだと、アイリーン・ダンに告げます。
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ボワイエは、アイリーン・ダンへ、お別れの品とクリスマスプレゼントを兼ねて、奇しくも、上述のマリア・オースペンスカヤのショールを贈ります。
「老いたマリアが死んだから、君にあげるよ」とボワイエは説明します。
そして、アイリーン・ダンがショールをその場で羽織ると、先の絵に描かれた女性そのものの姿となります。
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ここからがクライマックスです。
ボワイエは、そのショールを描いた絵にまつわる話を語り始めます。
「僕は気前よくその絵を上げたんだよ。
画廊に来た女性客がとても欲しがったそうだ。
画商の話では、彼女はとても貧しく・・・」
以下は、若干恣意的な解釈が含まれます。映画ではくどくどと説明されていません。
そのとき、ボワイエが「彼女はとても貧しく...」のあと飲み込んだ言葉は、「脚が不自由だったらしいんだ」という言葉だったのです。
ボワイエが絶句したのは、
- アイリーン・ダンがずっと長椅子から動かないでいる理由
- 彼女が約束を破った理由
- 2について、彼女がボワイエに知らせない理由
- 彼女が質素な家に住んでいる理由
以上の全てを同時に理解したからなのです。
- 彼女がずっと長椅子から動かないでいる理由、それは、彼女こそが、絵を譲り受けた客だったからであり、脚が不自由だから。
- 彼女が約束を破った理由、それは脚が不自由になったために、超高層ビルであるエンパイアステートビルに行けなかったから。
- 彼女がボワイエに約束を破った理由を知らせない理由、それは彼女が脚が不自由であるために、ボワイエに迷惑がかかると配慮したから。(あるいは彼女がプライドが高かったから)
- 彼女が質素な家に住んでいる理由、それは彼女が脚が不自由で生活に苦労しているから。
更に、ボワイエは、次のことに気づくのです。
- 自らが幻想の女性像(祖母のショールをまとった女性、すなわち最愛の人、すなわちアイリーン・ダン)を描いた絵を、画商のところで買い求めたという、貧しく脚が不自由な女性とは、実はアイリーン・ダン自身だったのだ。
- であれば、その絵が、この家にあるはずである。
- アイリーン・ダンが、この絵を画商にねだったのは、彼女がボワイエを愛し続けてくれたから。
- エンパイアステートビルの約束に彼女が来なかったのは、アイリーン・ダンがボワイエを愛してなかったからではなく、脚が不自由になって、その怪我について自分に知られまいとしているから。
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驚くべきことに、そこにキスシーンはありません。
そして、キスシーンなど不要なのです。
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男女の愛の機微を、くどくどと説明せず、それを絵とショールをモチーフに、簡潔な脚本と、上質な撮影で表現するマッケリーの映画こそ、真にエレガントな映画術だと考えます。
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最後に、アイリーン・ダンが口にするセリフは、映画史上に残る名セリフだと思います。
私が悪いの。
上を向いていたからなの。
そこは天国にいちばん近いところ。
そこに貴方がいたのよ。
Oh, it was nobody's fault but my own.
I was looking up.
It was the nearest thing to heaven.
You were there.
ここで、彼女が遭った交通事故が、前方不注意による事故であったことと、事故による遭った原因が明かされます。
なぜ、前方不注意だったのか --- それは、上を見上げていたから。
なぜ、上を見上げていたのか --- それは、ボワイエが待つ高層ビルの展望台に、必ず行かなくてはならなかったから。
そこは、彼女にとって天国にいちばん近い場所であったのです。
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余談です。
シャルル・ボワイエ(ミシェル)の婚約者であるアメリカの富豪の娘は、彼のことを始終「マイケル」と呼びます。
確かに綴りは、Michel (ミシェル)とMichael(マイケル)と大差ないのですが、シャルル・ボワイエにとってすれば、「フランス語をちゃんと発音できないヤンキー娘が」と、愛が冷めていくきっかけともなったでしょうし、失意のうちにあっても、決して彼女とやり直したいと思わなかったのでしょう。
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