荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「ちのいたま」と「日吉屋」

2025年01月04日 | 散文

深川の田巻屋本店です。「深川江戸資料館通り」にあります。創業大正13年の老舗です。

本来は着物屋だけど、今は雑貨屋です。

今日(今年?)の暖簾は「ちのいたま」です。

歩道も店舗です。

深川は松尾芭蕉が暮らした場所です。

私の目当ては、蕎麦屋です。

田巻屋の向かいです。

創業大正6年の老舗です。

今月の予定です。元より営業日は少ないです。

しかも、よく臨時で休みます。カレンダーの予定はアテになりません。

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「旧葛西海岸堤防」に遭遇

2025年01月03日 | 散文

江戸川区を走っていたら遭遇しました。在る、ことは知って聞いていましたが、探したことはありません。出遭ったら、それはそれで嬉しいです。

周辺を眺めます。正面の中空は、「首都高中央環状線」です。左の坂は、「清新町出口」です。

そこに、地上に出ている「地下鉄東西線」が被ります。

中央の黒い塊が「旧葛西海岸堤防」の一部です。史跡として残したものでしょう。ここが昔の海岸線です。

海側を見ます。左に在る大きな団地が、「清新町」です。首都高の出口の名称はここから来たものです。埋立地です。ずっと南下して、清新町も「ロッテ葛西ゴルフ場」も「首都高湾岸線」も、あの広い「葛西臨海公園」も越えて、約2.5km先まで行かないと海に出られません。

ずいぶん埋め立てたものですねえ。

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相撲部屋の正月風景

2025年01月03日 | 散文

霊巌寺の正月風景です。松平定信の墓が在ります。

この界隈に相撲部屋が散在しています。

錣山部屋です。いつも門松は出しません。

こんなことを始めたんですね。親方が変われば部屋が変わります。現在の親方は、元小結豊真将です。部屋頭は小結阿炎です。1度優勝したけど、後輩に追い越されています。

大嶽部屋に門松は有りません。喪中でしょうか?

ここは横綱通りです。

高田川部屋です。

そして、深川稲荷神社です。

深川七福神の一社です。

そこに有る昭和の大横綱大鵬の名前です。

中村部屋です。元関脇嘉風が師匠です。

元陸奥部屋でした。昨年転居したので、今年が中村部屋になって初めての正月です。十両に嘉陽と友風の関取が居ます。これから期待できる部屋です。

時津風部屋はいつもこうです。角松はありません。

双葉山ゆかりの名門部屋です。時津風一門のトップですが、最近低迷しています。部屋頭の正代が大関復帰しそうにないし。

でも、勝手口は正月風景です。

もうすぐ初場所です。琴櫻と豊昇龍の横綱取りの場所です。豊昇龍が優勝して、琴櫻が13勝以上で準優勝したら、同時昇進もあります。一人横綱の照ノ富士の体はもう限界です。新しい横綱が欲しい相撲協会です。

待ったをかける力士が多士済々です。伊勢ヶ濱部屋に、熱海富士に尊富士。当然、照ノ富士が居ます。二所ノ関部屋には、近いうちの横綱と言われている大の里。

荒汐部屋には、横綱にはなれないけど、次の大関候補の若元春と若隆景が場所を盛り上げます。体を大きくして横綱を目指してもらいたいです。

さあ、初場所が楽しみです。

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松尾芭蕉宅の正月風景

2025年01月02日 | 散文

小名木川の上から眺める、隅田川に架かる清洲橋です。この橋の風景が「ケルンの眺め」と言われています。

小名木川に架かる萬年橋です。葛飾北斎は萬年橋の下に富士山を描きました。

萬年橋の坂を下った所に稲荷神社が存ります。芭蕉稲荷神社です。艶やかに幟が靡きます。正月風景です。ここに松尾芭蕉が暮らしていました。芭蕉庵史跡です。

芭蕉が暮らした家の跡が稲荷神社になっています。

狭いです。

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西濃運輸の正月風景

2025年01月02日 | 散文

正月休みの西濃運輸の出荷場前です。壮観です。

左側の施設が建て変わりました。こうして並ぶ初めての正月です。

正月ならではの風景です。

次はこちら側の建て替えでしょうか?

労働環境が厳しい職場です。骨休みしてください。

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アメ横から

2025年01月01日 | 散文

明けましておめでとうございます。昨年入院した私から、皆様のご健勝をお祈りします。そして、ウクライナに、ギザに、世界に平和の到来を祈念します。 例によって寝正月です。正月風景が無いので、年末風景を報告します。アメ横です。

カニの有名店です。ここからいくら迄値切れるか勝負です。

マグロが売り切れです。例年より財布のよう紐が緩いように思います。

例によってTVの撮影に遭遇です。

YVで一度はご覧になったっと思います。チョコレートの叩き売りです。外国人にも有名です。

説明抜きでお送りします。

円安もあって、外国人に人気らしいです。

インフルもコロナもマイコプラズマ肺炎も関係ありません。「押すな押すな」の混雑です。

ガード下に逃げます。

ガード横は相変わらずです。

良いお年を。

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今年の年没

2024年12月31日 | 散文

2024年最後のマジックアワーです。

来年は晴れで始まりそうです。皆さん良いお年をお迎えください。

 

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東京の正月準備完了!

2024年12月31日 | 散文

浅草寺です。

すき焼きの浅草今半です。

乙女稲荷社の鳥居の新調が間に合いました。やっぱり背が低くなりました。座らないと社殿が鳥居に入りません。

谷中の寺町です。

こちらは寺町のホテルです。

幼稚園も。

庭の掃除中です。準備の仕上げです。

上野駅です。

立石仲見世商店街。

梅の花ですね。下町だから、商店街組合が活動しているから、こういった結び方が伝承されているのでしょうね。

一方相撲部屋。伊勢ヶ濱部屋は、例年のお飾りは出したが、室内は大掃除中です。

こちら、荒汐部屋は、大掃除の真っ最中です。

後援会等の行事で忙しいのでしょう。

根津教会です。

キリスト教なので。

皆さん良いお年を!

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「千代の湯」との再会

2024年12月31日 | 散文

何処に居るのか分かりません。下町で迷っています。

物干しにいっぱいの干し柿です。下町らしい光景です。

突き当たりは寂れた商店街でした。右に曲がります。

あっ! そこに「千代の湯」です。久しぶりです。さっきの角を左に曲がったら出逢えませんでした。路地散策の楽しさです。

見上げる看板です。何年ぶりだろう? よくぞ営業を続けて頂きました。

年末年始の営業スケジュールです。

お約束のコインランドリー併設です。注意書きが有ります。コインランドリーではペットは洗えません。・・・注意するくらいだから、洗う人が居たのでしょうね。ホントに?

お湯の説明板が有ります。・・・読めません。

2階以上が共同住宅のようです。もう、この形態じゃないと、銭湯経営は難しいみたいです。

あ、ここにもお湯の説明板が有ります。・・・隠れた部分があって、よく分かりません。銭湯は常連客が多いので、もう皆んな知っているでしょうね。

再び看板を見上げて退出します。

角を曲がったら、こちらも寂れた商店街でした。

そこから千代の湯の煙突が見ました。

ここに、廃業した店舗です。

下町らしい光景です。何屋だったのだろう?

反対側へ行きます。角から見る、三度目の看板です。

次はいつ遭えるだろうか?

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西ヶ原みんなの公園

2024年12月30日 | 散文

何度かトイレを使っただけで、中まで入った事はありません。今日の目的地です。坂の上に老人ホームが在ったりして、広大な公園は有事の際の避難場所でもあります。

これは、幾つか有る災害時対応施設の一部です。「防災パーゴラ」です。災害時に、屋根にテントを張ります。「パーゴラ」との名称を初めて知りました。そして、このような施設とアイデアを初めて知りました。

「まちのうつりかわり」の説明です。ここにも下瀬氏が開発した火薬の説明が有りました。日露戦争に使われて、世界の注目を集めた、との記載も有ります(司馬遼太郎氏は小説を書くに当たって念入りに調査した、と聞いています。「坂の上の雲」でもその行動に裏付けられた描写になっています)。

また、海軍火薬製造所が移転した後、昭和19年に東京外語大学が一橋から移転して来て、平成12年に府中市に移転した旨も記載されています。更に、東京外語大学の府中市移転に際して、キャンパス跡地を「防災公園」とした旨も記載されています。

ちょっと変わったベンチです。これは時々各所の公園で見ます。

名残りの紅葉です。真ん中は、今は枯れていますが、谷川です。上の公園と繋がっています。

広大な公園です。ここと上と、全てが東京外語大学の敷地だったのでしょうか?

周辺は、私がよく行く下町です。

もう商店街の名残りしかありません。

角を曲がると、これが商店街のメイン通りの端っこです。ソメイヨシノ発祥の地の「染井商店街」に続きます。

「西ヶ原銀座商栄会」です。

その角っこに、「西谷戸新道」の表示があります。

栄えた商店街を彷彿とさせます。昭和は遠くなりにけり、です。

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下瀬坂の由来は「下瀬火薬」

2024年12月30日 | 散文

別用があって通り掛かりました。坂の下り口に説明板が有ります。何度も通った路です。いつもは下り坂に向かう勢いで素通りしていました。

読みます。「下瀬坂 この坂名は、明治32年(1899)、ここに設けられた「海軍下瀬火薬製造所」に由来します。戦前に製造所は舞鶴(京都府)へ移転し、跡地は東京外語大学のキャンパスとなりました(現在は移転)。このあたりは、江戸時代に幕府の御薬園があり、谷田川の水源となる湧水もありました。」

この説明が、長年何かのきっかけの度に思い出していた記憶にジャストミートしました。ちょうど今、NHKで「坂の上の雲」が再放送されています。小説を読んだのは30歳代の初めでした。色々なシーンが記憶に残っていますが、「下瀬火薬」も印象深く残っています。

「バルチック艦隊との戦いで使用された日本海軍の砲弾は、諸外国のそれのように、鋼板を貫通して内部で爆発させるのではなく、甲板で破裂して高温の炎を発し、一面を焼き払って兵を焼死させ、戦闘能力を奪うことを目的としていました。その敏感さたるや、海面に当たっても爆発して高熱を発する」と記憶しています。凄いな、と思いました。酷いな、とも思いました。財力に乏しい開花期の日本が発明した弾薬です。 ここが、その火薬を発明した場所だったのです。記憶が現地と繋がりました。

引き返して周辺を探索します。今日の目的にも叶うと思いました。広場が在ります。初めて踏み入れます。敷地が土じゃない公園です!

「西ヶ原みんなの公園」です。

ここに、「東京外語大学西ヶ原キャンパ跡地」の石碑が有ります。つまり、この界隈が「海軍下瀬火薬製造所」の在った場所です。

向かいには、「武蔵野学院」が在ります。下瀬火薬製造所が在った場所は、その道路のこちら側だと思います。

坂に向かいます。この辺りも製造所の敷地だったのではないでしょうか?

現在は「飛鳥晴山苑」という老人ホームです。

隣は「高齢者あんしんセンター」です。「下瀬の小径」との表示が有ります。後で知ったのですが、この先にエレベーターがあって、下の公園(西ヶ原みんなの公園)と繋がっています。構造的に、下が公園の中心地です。

高齢者あんしんセンターの前を坂に向かいます。

下瀬坂を、スピードに乗って下りました。

坂の下は広い公園です。

広大な「西ヶ原みんなの公園」です。時々、トイレを使います。

この話、続きます。

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アブルボアの初冬風景

2024年12月29日 | 散文

いつものとおり静寂の場所です。東京大学農学部のキャンパスです。

今日のメニューです。最近メニュー編成が変わりました。料理の種類が少なくなっています。

まあ良い。この庭の風景が好きです。

東門脇の銀杏が散り残っています。黄葉が鮮やかです。

庭に降ります。

ここは寮の跡地です。

綺麗に下草が刈られていました。とても歩きやすいです。

敷地の向こうは、東京大学野球部のグラウンドです。

建物を眺めます。

蔦が素敵です。これを観に来ました。

隣の大木に絡みついた蔦はまだです。2週間くらい後に再度訪問しましょう。

東門です。インターホンを押すと、レストランから開けてもらえます。

扉の先は「異人坂」です。

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本郷もかねやすまでは江戸の内

2024年12月29日 | 散文

本郷三丁目の交差点です。信号待ちなどの時、とにかく目立ちました。私が知っている限り、もう20年以上シャッターが降りたままでした。むしろそれが当たり前でした。

それが、どや焼きを売っているではないですか!? びっくりです。

「丹波やながわ」の看板が有ります。創業明治25年の老舗らしいですが、私は知りません。丹波だったら、名産の黒豆の餡子でしょうか?・・・胃もたれしそうだな。

「兼康祐悦という口中医師が、乳香散という歯磨粉を売り出した。大変評判になり、客が多数集まり祭りのように賑わった。(御府内別歩による) 享保15年大火があり、防災上から町奉行(大岡越前守)は三丁目から江戸城にかけての家は塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺を禁じて瓦で葺くことを許した。江戸の街並みは本郷迄瓦葺が続き、それからの中仙(中山)道は板や茅葺きの家が続いた。 その境目の大きな土蔵のある『かねやす』は目だっていた。『本郷もかねやすまでは江戸の内』と古川柳にも歌われた由縁であろう。

 

 柴神明前の兼康との間に元祖争いが起きた。時の町奉行は、本郷は仮名で芝は漢字で、と粋な判決を行った。それ以来本郷は仮名で『かねやす』と書くようになった。」 -郷土愛をはぐくむ文化財 -  文京区教育委員会 昭和61年3月

こんな由緒ある「かねやす」に店を出した「丹波やながわ」は天晴れです。1等地です!

従前のかねやすです。ずっとテナント募集していたんですね。(2017年8月)

 

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根津神社西参道名残の黄葉

2024年12月28日 | 散文

根津神社西参道へ行きます。

おっ! 鳥居が朱色になっています。

鳥居の上部を銅板で葺いています。思わず声を掛けます。「正月に間に合ったね」忙しいのに、手を止めずに答えてくれます。「はい」「以前より鳥居が低くない?」「そうですか?気のせいだと思いますよ」気が散るのでしょう、素っ気ないです。

乙女稲荷社が艶やかです。

池は落ち葉で真っ黄色です。

乙女稲荷社は七五三参りのようです。遅いお参りを今でも見かけたます。子供や両親及び祖父母のスケジュール合わせが大変ですね。

透かし塀に冬日が注ぎます。

陽が射しても寒い東京です。

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根津神社の黄葉最終盤

2024年12月28日 | 散文

根津神社の舞殿です。銀杏がすっかり落葉しています。日当たりが良い場所です。

ちょっと覗く楼門の向こうは、名残の黄葉です。

いつものアングルです。

楼門です。

舞殿から見る手水舎。

唐門です。

唐門と手水舎。

楼門と名残の黄葉です。

落葉した銀杏です。

本格的な冬が来ました。

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