三浦綾子さんという作家がいました。



三浦さんと言えば、

 

人はどのように生きたらいいのか。

生涯をかけて問い続けた作家です。


旦那様も、もう亡くなりましたが作家の三浦光世さん

 

優しい方でした。

重病で何年も寝たきりだった三浦綾子さんと結婚されました。

三浦さんは北海道に生まれ育ち、

平成11年、77歳で亡くなりました。

 

デビュー作は『氷点(ひょうてん)』。TV化もされました。



さて、彼女の回想録で、

お父さまとの間で、こんなエピソードを語っています。

病床にあった若い三浦さんが、

誰かの不正に、大変怒っていました。

 

三浦さんにとってみたら正義の怒りです。

 

自分は正しいのです。

「自分が正しく、相手が間違っている。

怒るのはもっともなこと・・」という

 

義憤の念に駆られてのことでしょう。

 



ですが、それを見たお父様が、

 

「綾子や、そんなに怒るものじゃないよ。

誰にも間違えることはあるし、

たまたまそうなってしまっただけかもしれないのだから」・・

 

そう仰ったのです。

要するにお父様は、

 

正義を振りかざした怒りは、

 

たとえ自分が正しかろうと、

相手も そして自分も傷つけてしまうから、

 

そう、怒りなさんな・・と言ったのでした。



さて、ブッダが生前こんなことを言いました。

嘘をつけないような人になっては いけない


優しさは真実に勝る

つまり、ブッダの仰りたかったことは

 

相手を思いやる優しさや、調和の為の嘘は、

真実よりも尊い・・ と言う事を仰ったのでした。



同じく、こうも仰りました。

捨戒の法

ブッダは言った。

戒律を破るとき、仏教を辞めたと言って、
戒律に違反した行いをなし、
その後もう一度仏門に入ると言って戻って来て良い。

この意味は、

ブッダが仰るには、
仏教徒が戒律を破るとき、

 

いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。

そして、酒を飲んだり、戒律を破る。

その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。




ブッダは人間の弱さを知っていました。 

 

そして温かい目で人間を見ていました。


決して過ちを見て、

人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。

人を追い詰めることはなさいませんでした。

ブッダは

戒律重視ではなく、

優しさ(慈悲)を教えていたからです。

そして人間の弱さも、ちゃんと理解していました。


その弱い人間にこそ、寄り添っていました。


人間の過ちを裁くのではなく、

慈悲の心で許し、辛抱強く見守っていました。



いくら自分が正しいと思っても、

相手が間違っていると解っていても、


そのことで相手をやりこめ、

追い詰めることは、

調和という意味では良くないのかも知れません。

相手をやり込めた!!  

 

そう思っても、必ずそこにひずみが発生します。

一見、やり込めて、勝った・・ 

と思われるような状況になっても、必ず反転します。



自分基準の「正義」は、

人にとっても同じ「正義」では決してないからです。


「無名戦士の祈り」にもありました。。

大きな事を成しとげるために

強さを与えて欲しいと神に求めたのに


謙虚さを学ぶようにと、

弱さを授かった



強い、弱い、

正義、非正義、

豊かさと貧困、

健康と病弱

 

は一瞬にして反転します。

それらを全てひっくるめ、清濁併せ飲み
人間としての大きな優しさを、身に着けたいものですね。

優しさと、
強さと同じ意味です。


 

人に優しくなるためには 

自分が、強くならなければならないのかもしれないですね。 

 

 

 

 

※画像はネットからお借りしました。