冠着駅から上り松本行きに乗車してひと駅。列車は聖高原駅に到着です。
2番線の到着。"行ったり来たり戦法"はここまでにして下車します。
聖高原駅は長野県東筑摩郡麻績村漆田にある篠ノ井線の駅。
麻績村の読みは「おみ」・・・難読です。筑北村を走る篠ノ井線がこの付近だけ麻績村に入っており、そこに当駅がひと駅だけあります。1900(明治33)年11月の開業時は麻績駅と呼ばれていたそうです。
この駅から北方にある高原を「聖高原」と呼ぶそうです。その主峰であり高原の名の由来となった「聖山」がそびえています。「聖山」、前回の「冠着山」、そして「四阿屋山」を"筑北三山"と呼ぶそうです。ちなみに3つ目の「あずまやさん」といえば・・・学生の頃に行った林間学園が「四阿山」の麓にありました。そちらは嬬恋にある山でこちらは違います。当時のうちの学区では、柏学園や岩井の臨海学校、八ヶ岳高原学園と四阿学園の2つの林間学校がありました。
駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線で北から1~3番。ホーム間は跨線橋で連絡しており、駅舎は単式1番ホームの北側に面しています。
2,3番ホーム松本方からの様子。線路は左(北)から1~2番。奥に跨線橋。その左に駅舎があります。
付近にスキー場やキャンプ場があるそうで、特急「しなの」が1往復だけ停車するそうです。奥に見える山々が聖高原スキー場がある方面で、聖山自体ははもっと左の方にあると思われます。
そして目立っていたのが観音堂。
「聖観世音菩薩」とありますが、ホーム上にあるものにしてははなかなか立派なものでした。
跨線橋から見た松本方面。線路は右(北)から下り1番、上り2番。島式の外側に3番線、更に側線もあります。3番には一部の上り列車が発着するそうです。
1番ホームに降りて松本方面。最近リニューアルされたのか、ホームなど全体的にきれいな様子。
駅舎に入ります。ホームとの段差があるため、左端に見える駅舎内のスロープを経由します。
この駅も簡易委託の無人駅だそうで、窓口は開いており駅員さん(と呼んでいいのかな?)もいました。ここで大阪万博のポスターを見るとは^^;
そして駅舎外観。1932(昭和7)年3月の改築で、2013(平成25)年9月にリニューアルされたらしいです。
滞在約10分ほどで次の長野行きが1番線にやってきました。今回乗車する3本目の長野行き・・・。
乗車車両は2連先頭クハE126-102。これだけ行ったり来たりしていれば、一度は乗車した編成だろうな~と思い、ブログ内検索してみたところ・・・今回は出てきませんでしたが、17年冬の篠ノ井線、19年冬と23年夏の大糸線の3度乗車したことがありました。→→クハE126-102の検索結果
この列車で終点の長野まで向かいますが、その手前に長時間停車する駅があります。つづく
※おまけ。色々検索していたら、何故かとても懐かしい映像を見つけました(笑
「がんばれ!!ロボコン」。石森章太郎原作の特撮ドラマ。内容はほぼ覚えてませんが・・・
このセリフだけは記憶にあります→→「ろーぼこんっ、れーてん」 byガンツ先生
Comments 8
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松理
四季彩
こんばんは。
koganeturbo
きゃみ
投句箱
きゃみ
観音様
風来梨
聖高原駅・・、あまりいい思い出がありません。
ぢ・つ・わ・・40年も前の事ですが、恐らくきゃみさんと同じルート(篠ノ井線→飯山線→只見線)で只見線を攻めようと『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』を使ったのですが、快速〔みすず〕が聖高原に停車した時に、『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』の2日券(発売開始当時は2日有効券があって6日間有効だった)を紛失してる事に気づいて、このまま只見に行けば帰れなくなるので、急遽碓氷峠を下って東京に出て、大垣夜行(当時はカボチャだった)で残り一枚を使ってギリギリ帰れました。
このキップを無くした時は、大阪→豊橋→飯田線→松本→篠ノ井→碓氷峠→東京→大垣→大阪と、24時間で1250kmの移動という普通・快速乗り継ぎの最長記録を打ち立ててしまいました。 この快速・普通だけで1250kmは、未だに破れぬ最長不倒記録となっています。