10連休の最終日がやっときたーーー







お正月休みも今日で終わり!

明日から仕事始めなので

やっと

普通の生活に戻れることを思うと

心が弾む♪







5月病ならぬ正月病に

ならないように気をつけなくては!







先日は一日かけて本を読む






何故この本を借りたのか?

図書館の本棚を見ると母と同じ名前を見つけた!

(下の名前のみ)








些細なことだけど

作者の名前が




うちの母と同じだった‼️

母には二つ名前があり

戸籍に載っている名前と戦前に

家族や皆んなに呼ばれていた名前だ








母の時は語尾を長く読んでいたらしい

沖縄独特のイントネーションだ






まかて〜

まかて〜










戦後も

まかてー

と呼んでいたのを思い出す




幼い頃

お母さんはなんで2つの名前があるの?

と聞いた事があった






戦後にすっかり没落してしまったが

沖縄県にも士族と平民があったらしく

その名残りがあり

その時に呼ばれていた名前で

母も呼ばれていたようだ

今思うと村の人は戸籍名で呼んでいるのを一人も聞いた事が無かった









この本は

内容を見ないで借りたので

どんな本かは読むまで分からなかった






ページを読み進めると






なんと

なんと








私と同じ介護福祉士の話だった!

それも江戸時代、、、

女子ばかりで現在のように男性は

いない

あたりまえだけど







江戸時代はどうだったのか?








気がつけば一気に

読み終えていた









江戸時代でも

介抱人(かいほうにん)としての

生業があったらしく






形は違えど

介助しているのは同じではないか!




本では

ナイト介助が主で3日泊まりで1日休むシフトだった

(あと看取り(ターミナルケア)の依頼もある。うん、うん、と頷くように同感する私)


今で言う泊まり込みの仕事だ

介抱人の他にも女中奉公人もいたらしく、話があればその家に派遣する

お金の交渉も旦那と女将さんがする



現在も事業所にお金が入っても

介護福祉士はそうそう高い給金はもらえないものだ😭



江戸時代

お給金もそこそこは貰っていたらしいが、、、

大した給金では無いと思う


仕事は昔も今も大変だ

なにしろ徒歩で移動するので

若さと体力が無いと出来ない仕事だ

介抱人の当たり外れもある

現在と同じだと笑ってしまったぁ





江戸と言えば日本橋を中心に

その時の長屋暮らしや武家や庄屋などの生活が上手に書かれている

あと

介護も昔も現在も格差が厳然とある!

昔は余裕のある人しか

介抱人は使えない

余裕のある人ほどミエがあり扱いが大変だ





現在では余裕のある人でも

生活保護の人でも利用が出来る





あと食べ物の話とかも面白い







時代は変わっても

人間の中身は同じだ








仕事をしたなら

プロを目指したいものだと

思った

自分で納得のいくままに極めたいとも思った

人生の後半に介護職をしている

自分が信じられない気持ちもある。

視覚障害者のガイドヘルパー5年、そして介護職10年になる。

なんらかの縁だと思う

今日この頃だ!










最終日の今日








ウクレレ教室♪









音楽を楽しんでこようかね
















それでは、また

無事故の一日を















ありがとうございました😊