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#著名な歴史家のいい動画を見つけましたので、以下のようなコメントをしました。よろしければお付き合いください(^_-)-☆
【冒頭30分】本郷和人「天皇とは何か? 日本史夜話第4回」 文藝春秋 電子版@YouTube
興味ある話題をありがとうございます。
七世紀末ころから天皇(スメラミコト)という称号が使われ始めたのはおっしゃるとおりですが、ヤマト王権の起源を探求して、天皇の称号に関して通説は日本書紀の潤色のためにかなり歪曲されているようです。
初代天皇を神武天皇は、日本の建国、つまりヤマト王権が成立した三世紀までの史実が、勝者藤原氏にとって不都合なものであったので、歴史を改ざんする目的で登場させた架空の人物です。ヤマトの祭祀王の初代応神天皇の虚像だったと分かりました。虚像というのは実像(史実)を誤魔化すためのイメージですので、神武東征神話を信じると史実とは全く異なったファンタジーになるということなのです(注1)。
応神天皇は大国主を祀るヤマトの初代祭祀王ですが、初代天皇というのは間違いなのです。長くなったのでブログ記事にしました。よろしければ「刮目天の古代史」をご参照ください(#^.^#)
天皇という称号は、中国(なかつくに)の三皇五帝神話の最初に登場する三柱の神(天皇・地皇・人皇)の筆頭の人類の始祖神天皇伏羲(ふっき)からきたものです。前漢時代の司馬遷の史記に登場しますが、さらに後漢時代には三皇五帝神話に関する伝承が数多くの書物で見られるようになります(中澤良彦「『帝王世紀』の成立とその意義」日本中國学会報44、1992、pp.32-46に詳しい)。これらは道教の影響もあり、天地開闢(かいびゃく)の神盤古(ばんこ)の後に登場した伏羲は天地の理(ことわり)を理解し人類の文化を最初に作った神とされています。
しかし三皇神話の元々の話は、紀元前3200年に興った長江文明のひとつ良渚文化(りょうしょぶんか)に由来するようです。紀元前2200年頃に突然消えましたが、洪水伝承があり、生き残った伏羲と女媧の二人が人類を創ったという伝説です。
紀元前2000年ころに、その末裔の禹貢 (うこう)が黄河中流域で夏王朝を建てました。紀元前十七世紀ころに殷(商)王朝に滅ぼされましたが、禹貢の末裔の古公亶父(ここうたんぽ)が、殷(商)王朝を滅ぼした周王朝初代の武王の曾祖父となります。古公亶父の長男の太伯(たいはく)と次男の虞仲(ぐちゅう)が長江下流域で呉を興し、倭人の王となりました。紀元前473年に呉王夫差が越に敗れて自害しましたが、呉王族の一部が半島南部に逃れました。さらに紀元前4世紀初頭に福岡市吉武高木遺跡に降り立った初代奴国王が天御中主(あめのみなかぬし)です。記紀神話で高天原に最初に登場する神として隠されましたが、日本で最初の王墓の存在から実在人物だと分かりました。
十世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として日本の国号が正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのです。天皇陛下の皇祖神が初代奴国王の天御中主だったのです(詳細は「王年代紀は記紀神話を正した!」参照)
天御中主は、天は海(あま)を意味し、中はナーガ(龍蛇神)のことですから、江南の海洋民族の倭人が信奉する龍蛇神国(奴国)の王という意味だったのです。倭国の地名に見られる那珂・那賀・長柄・中山などなどは倭人が開拓した地域を表しています。
記紀神話で、天皇陛下が奴国王天御中主の子孫であることが隠されましたので、多くの方は皇祖神が女神アマテラスだと騙されています(詳細は「日本神話が隠した大きな秘密?」参照)。
二世紀初頭に奴国宮廷楽師らのクーデターで殺された最後の奴国王スサノヲの弟ニギハヤヒが出雲に逃れて、裏切り者の吉備の勢力を討って奴国を再興し、第十九代王天照大神尊と呼ばれました。その子孫が纏向遺跡を王都とする狗奴国(旧奴国)王卑弥弓呼(ヒコミコの誤り)です。記紀で「ハツクニシラススメラミコト」とされた崇神天皇が日本を統一したのです。日本神話で天照大神尊ニギハヤヒ大王の名前を高天原の女神につけて誤魔化したのです。
ニギハヤヒ大王は倉敷市楯築王墓に葬られました。墳頂にある楯築神社のご神体「亀石」にはヘビを象った弧帯文に人の顔が彫られています。亀石はニギハヤヒ大王を示しているのですが、蛇身人首(人面蛇体)と考えられている天皇伏羲と同様なのです。ニギハヤヒ大王の子孫の天皇陛下が龍蛇神である天皇伏羲の末裔だったと考えられていた物証なのです。ニギハヤヒ大王の子孫の尾張王が記紀で景行天皇や仲哀天皇とされていますので、日本書紀ではヤマトの大王に匹敵するニギハヤヒ大王の末裔を天皇と呼んでいたことが分かりました(詳細は「抹殺された尾張氏の謎(その1)~(その3)尾張と言えばカニだ~わ!」参照)。
京都にある天皇家の菩提寺「泉涌寺」では天智天皇とその孫の光仁天皇から歴代天皇を仏式でお祀りしています(注2)。日本書紀が天智天皇の出自を誤魔化したのでその先の皇祖神が分からなくなっていたのですが、考古学や民俗学の成果から天智天皇が敏達天皇の孫であることがわかり、さらにその父祖がニギハヤヒ大王の子孫の龍蛇神だということも推理しました(詳細は「天智天皇とは何者だ?( その1 )~( その4 )」参照)。
天皇陛下のルーツは中国(なかつくに、龍蛇神国)神話の伏羲なので天皇という称号が与えられたのだと考えられます(「詳細は「天皇のルーツは人類の始祖神なのだ!」参照))。
なお、古代天皇を「スメラミコト」と呼ぶのは「澄らかな神」という尊称が由来のようです(荒木博之「スメラミコト考」九州人類学会報14 1986, pp.20-30)。
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(注1)日本建国の過程の仮説は以下のとおりです。科学的な推論法アブダクションを適用し、考古学や民俗学の成果によって検証して仮説を修正、詳細化、拡大して、様々な謎を解明しています(詳細は「【刮目天の古代史】古代史を推理する」参照)。
史実は、崇神天皇紀の大田田根子の話に近いものです。三輪山の大物主大神の祟りで民が半分以上死に、百姓が流離し、反逆者が出たとあります。そこで、大神の神託によって子の大田田根子を探し出してヤマトで祀らせると祟りが鎮まったという話です。
史実は、大国主命を討って日本を統一したのですが、280年に大国主が立てた倭国の女王台与が朝貢していた西晋が呉を討ったので、倭国を討った纏向遺跡の狗奴国(旧奴国)王の卑弥弓呼(ニギハヤヒ大王の子孫ヒコミコの誤記、記紀の崇神天皇)が、次に狗奴国が西晋に討たれることを怖れたので、大国主と台与の子ホムダワケを纏向遺跡に呼び寄せて、両親を祀らせたのです。邪馬台国の後継国とするために纏向遺跡をヤマトと呼んだのです(^_-)-☆
(注2)女性天皇は明治になるまで誰一人として祀られていませんでした。明治になって仏事に掲げる天皇の肖像画を作ったと分かりましたので、すべての女性天皇は日本書紀が創作したフェイクだったと分かりました。持統天皇の前の二人の女帝(推古天皇、皇極・斉明天皇)も持統天皇とその後の女帝(元明天皇、元正天皇、称徳・孝謙天皇)も藤原氏が権力を握り続けるために創作したようです。すべてウソだったようですよ(;^ω^)
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吉備や出雲は日本建国で活躍した奴(龍蛇神)国王の子孫らが活躍した地域だったので中国(なかつくに)と呼ばれたのですよ(^_-)-☆
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【刮目天の古代史】目からうろこの大発見?(その19)
日本書紀で創作された神話は、藤原氏が権力を握りつづけるために八世紀に創作されたインチキな神話だったのですよ。古来から伝承されていた本当の神話は中世日本紀に見られた中国(なかつくに、龍邪神国)神話だったのです(^_-)-☆
最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!
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