この数ヶ月間、
何かに急き立てられているような気がして、
彼是と、身の回りの整理を始めた。
そして何故か…
何故そうなのかは大方、察しはついていたのだが、
しかしそれにしても、運命が目に見えて変わり始めていることに、些かの不安を感じていたのである。
そしてまた……。
それと比例するかのごとく、
もうじき、全く知らない遠方の世界へ
向かわなければならないのだと、
そんなふうに、感じられてならないのである。
その、予感とも何ともつかない思いが頭を離れず
占ってみれば少しはスッキリするだろうと思い
ある夜更けのこと、タロットとルノルマンで札読みをするに至ったのである。
そして、数十分後に。
机上に並んたタロット札は、
月毎に分けてある。
二月に剣のⅩ正位置。
しかし隣には剣のⅥも正位置と出て、
どうやら当月には、危険を回避できるらしい。
そして五月、六月、七月と札を引いて行き、
十一月、十二月と並べたところで、
流石の私も、ぐっと息を飲んでしまう。
法王正位置。
ーーああ、身に覚えのある札だーー
それは、ふた昔前のこと。
急病に倒れ、危篤の床に伏す
母の看病の合間に。
搬送先の談話室で引いた札二枚。
片方が金貨のⅢの逆位置と、
もう片方が法王の逆位置だった。
そして刹那に。
その二枚から、母との永遠の別れの暗示を読み取り、
思わず肩が震えたが、しかし無情にも、湧き出す閃きは止むこともなく、
二枚共に宗教を意味する札で、金貨のⅢは本来ならば教会(或いは寺)、法王は僧侶を指しているのに、その数奇な生まれ立ちから、「私は無宗教だ」と自称する母は、檀家寺がある訳でもなく、繋がりもない……だから逆位置に出たのだと……
終にはそう、結論付けたのであった。
斯くして、三日が過ぎて。
占いのとおりに母は永眠し、
葬儀社を手配する傍らで、ちょうど母の養父母と、同じ真言宗の僧侶の方が、私の友人から話をお聞きになり、わざわざお出でくださったのだった。
その方は豊山派のお坊様で、母方は智山派だったのだが、無理を承知でご相談させて頂いたところ、「僕で良ければ」と快諾してくださり、斎場まで同行なさり御経を読誦をしてくださったのだった。
ーーまさに逆位置とはこのことを指していたのだと、改めて涙を流したのを鮮明に覚えている。
そして今年の、ある日の夜更けに。
自分を占って得た札の法王は、母の時とは違い正位置だった。
その昔に別れた、熱心な仏教徒の彼氏への反発心から、
キリスト教へと改宗してしまった私は、それでも不信心なことに御ミサへも、半年以上与らせて頂いていない。
しかし、札の神秘とは恐ろしいもので、
「それでも自分はクリスチャンなのだ」と、頑なに意識する私の胸の内を、鋭く見透かしてしまっていたのだ。
因みに追加札は、ルノルマンの36番目の十字架と、14番目の子供。
子供はともかくも、36番目の十字架もまた宗教を指す札であり、法王は神父様と、そして十字架の札は、ロザリオにもリンクしていたのだから……!
だが、厄介なことにその時点でもまだ、不安の拭い去れない私は、つい今さっきも、今度は周易にて占筮したのだが……。
すると、何と言うことだろう……?
何とこちらも得卦は 風山漸 上九だったのである。
と言うのも……。
卦自体が、帰魂卦と言われる卦で、
五番目の爻が変ずると八純卦となる八つの卦
火天大有 天火同人 雷沢帰妹 沢雷随 山風蠱 風山漸 地水師 水地比がそれにあたり、これらの卦の上爻にきた時期に、命が終わるとされる卦なのである。
そして爻辞にも、
初爻から徐々に進んできた鴻(コウ)が、
上爻では終に、天高く雲の上までのぼって行き、
遥か彼方へと飛んで行くとある。
一年後、一体どこの世界へと私は旅立つのであろうか?
少なくとも此のうつしよの何処にも、
思い当たる土地はないのだが……。