経緯(21)~やる気を失う~
(前回の続き)
さて、母の死後、受験老人はやる気を失った。
積極的に何かをやろうという気がしなくなってしまった。
考えるに、母は、受験老人が小さいころから、いかなる時も、受験老人を応援してくれた。
そして、受験老人に良いことがあったら、母は大いに喜んでくれた。
受験老人は、その母の期待に応えるために、頑張っていた部分が多分にあった。
まあ、結婚後は、妻が母に代わる存在になったが、妻に対しては責任もある。
手放しでの受験老人の応援者というと、やはり母だった。
そして母の死後、父も元気を失った。もう90代の後半になっていた。
受験老人は、父の介護を本格的にする時になったことを悟った。
役所の人たちと相談し、基本的に業務は実家でテレワークで行うことにした。
作業をしてその成果をメールで送り、必要な打ち合わせはリモートで行うこととした。
役所の人たちは快く受験老人の願いを受け入れてくれた。ありがたかった。
そうして受験老人は月に4、5日だけ、役所に登庁し、あとは実家で過ごすようになった。
3食、父の食事を用意し、風呂や掃除等を引き受けた。
父は頭ははっきりしているから、余分な手間がかからず、それはありがたかった。
母が認知症になった後は親孝行できなかった代わりに、父には精一杯尽くしたかった。
さらに、200平米ほどある実家の畑の管理もするようになった。
ただし、畑は、とてもじゃないが整備して野菜を植えることまではできなかった。
せいぜい草抜きをして、ネギとかトマトとかを植えるくらいだった。
さらに、受験老人には、依頼により、兼業を行うことになった。
受験老人の得意とする分野で、定期的にブログを書く作業である。
受験老人として書いているいいかげんなブログと違い、
そのブログは、結構評判がよく、かなりのアクセス数を示している。
夕食後や週末、かなりの部分がその作業に費やされるようになった。
そうなってくると、医学部受験どころか、司法試験受験も、全く手が回らなくなった。
3年前から、受験老人の受験勉強は、全くストップしてしまったのである。
こうなると、そもそも「受験老人」とは言えなくなってきた。
さて、そんな時である。Mさんに会いに行こうと思ったのは。
Mさんとの再会は、受験老人にとって、高齢での医学部受験について、
ひとつの決断を促すものとなったのである。
(次回に続く)
(1月2日)
・腕立て 42回
・腹筋 63回
・ヨガ
記録更新。もう限界は間近だ。
だが、怖くはあるものの、一度、限界を見極めておく必要がある。
自分の挑戦が無謀であるかどうか知るために。
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