能登半島地震の被害状況を今日も調べていましたが、被害が大きく深刻なので、被害にあわれた方たちや動物たちのことを思うとまったく落ち着きません。
政府の対応や避難場所の状況、原子力発電所などいろいろ思うことはあります……。
能登半島地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げますとともに、被災地の一日も早い復興を願っております。
アメリカのシドニー工科大学には、思いやりある保全センターが設立されており、オーストラリアやインドなども、この思いやりある保全の研究を行なっています。
思いやりある保全とは、野生動物に害を与えないという第一原則に沿って行なわれる自然環境保護の研究で新しい国際的な学問です。その研究者が現在行なわれている保全生態学の問題の指摘を行なっており、内容にとても納得したので紹介したいと思います。
●記事はこちらです
自然生態系保全として、野生動物の管理が行なわれています。野生動物管理はハンターを父に持つアルド・レオポルドの思想が中核をなしています。
保全生態学は、生物多様性の保全と「健全」な生態系の維持を目標としており、野生動物の個体群に焦点を当てています。
つまり、集団として保護をすることに価値があるという考え方です(生物群の保護・遺伝的多様性を維持するのに十分な個体数サイズの確保)。
「自然保護は、個人(個々の野生動物たち)の福祉ではなく、自然過程の完全性と継続性を保護する取り組み」とされています。
集団が存続する限り、知覚的存在である「個々の動物たち」は重要ではないのです。
そのため、「健康」な生態系に悪影響を「与えるかも」しれない個々の動物たちは生態系保全という名目で無数と殺害されています。
今回、保全生態学の問題を指摘したGosia Bryja博士は、この考えの保全モデルは2つの理由で失敗すると述べています。
1つは、野生動物たちは複雑な社会関係を形成する知的存在であるということです。
動物たちには家族や仲間がおり、その関係性は道徳規範に従ってあり、それぞれの動物たちは悲しみを経験し、発達した道徳(ルール)、友情などのシステムを持っているということです。
博士は、「人間がかけがえのない個性(自己)を持っているように、クマたちも個々にとって意味ある人生を歩む」と語っています。
クマやその他の動物たちも、環境など変化しても個々の特性に一貫性があり、性格の厳密な定義を満たしているということです。つまり、人間のように他の動物たちも、恥ずかしがりやだったり積極的だったり、個々の動物たちによって正格は異なるのです。
性格が異なる個々の動物たちが、動物たちの社会を作っているため、個々の動物たちを殺すことは、結果的に自然生態系の保全には繋がらないということです。
例えば、積極的なクマはそうでないクマより行動範囲が広かったり、新天地に行ったりします。しかし、そのようなクマは、人間の目にとまりやすく捕殺される可能性が極めて高いです。冒険心あるクマの行動は集団の繁栄に不可欠なので、そのクマを殺すことは、集団間の遺伝子流動の妨げになるとのことです。
2つめは、母親の重要性です。
クマたちの社会にも文化があり、子どもは母親から食糧源の選択や採餌技術の取得、生息地の移動パターン、脅威などへの対応を学びます。
成獣を「駆除」やハンティング対象にすると、子どもは母親から生きるに必要なことを学びことができません。
また、人間による脅威を経験した親子は、子どもの認知システムと感情システムに深く影響します。
母性学習は、急速に変化する環境で重要となり、遺伝的進化よりも早く広がると博士は述べています。「母親の不在は子グマに悪影響を及ぼし、個体群にも悪影響を及ぼす」そうです。
「母親の指導を受けること自体が、子どもの発育プロセスを促進します。たとえば、資源配分の変化や入手可能な食料の変化に対処するために採餌行動を調整する精神的な準備が整います。彼らは重要な発達段階で一度学習にさらされているため、再度学習することができます。学習は再学習を促進します。幼児期に培われた認知スキルは、将来の精神的柔軟性、向社会的行動、および好奇心を高める特権を与えます。
最新の神経科学がそれを実証しています。ゲイ A. ブラッドショーは、著書肉食動物の心の中で、ジョン ボウルビィの愛着理論を応用して、子グマと母親の間の初期の愛着が精神的および感情的な成長を促すことを示しています。それは社会的相互作用と将来の関係を支え、思考、感情、行動のパターンに影響を与えます。独特の受容的な生物学的状態で伝わる母親としての教えは、子グマの認知システムと感情システムに深く浸透します。」(翻訳機能使用)
さらに博士はこう述べています。
「母親の指導の恩恵を受けたクマを射殺するということは、これまでに行われたすべての努力を即座に残酷に無効にすることになります。繰り返しますが、それは人口を弱体化させます。地元の環境によく適応したクマは、生物群集に利益をもたらす方法で環境を利用するでしょう。それぞれの動物は、困難な生態学的複雑性を乗り越える際に互いに補完し合う役割を果たしています。殺人はこの複雑な補完的なシステムを打ち砕きます。不確実性の時代においては、人口が転換点に近づき、取り返しのつかない減少になる可能性があります。」(翻訳機能使用)
個々の動物たちの殺害は、個性を持つ個人の生涯の歴史に終止符を打つだけでなく、より大きなクマの社会全体に損害を与えることになるということです。
野生動物管理による動物たちの殺害は、その名の下に森に暴力を浸透させ、動物たちへの残酷な行為を正当化します。捕食者制御手段として合理化される大虐殺は、思いやりの欠如と生態学的理解の欠如が重なる可能性があると博士は指摘しています。
わたしは博士の記事を読んで、それぞれの生物群は、個々の動物たちが形成していることを忘れてはいけないと思いました。
また野生動物個体数管理の創設者であるアルド・レオポルドが言う「健全」な自然環境(安全性・安定性・美しさ)は、ハンターである父の影響を多大に受けたレオナルドが理想とする自然環境を語るにすぎないと思いました(=思想)。
Bryja博士は記事でこのようにまとめています。
「素晴らしい動物を不確実性・政治的便宜から守るために、グリズリー狩猟の完全な禁止を法律に記載する必要がある。」
日本の野生動物管理や「駆除」も政治的であるため、そうでない自然環境保護が行なわれることを願っています。
アメリカなどでは、このように新たな視点の保全生態学の研究が行なわれているので、他の国の取り組みを希望にしていきたいなと思います。
にほんブログ村のクリックをお願いします。
↓ ↓ ↓