呉の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)にきました。
航空母艦の特別展示が開催されているので、両方見ましょう。800円です。
大和ミュージアムは、呉工廠で造船された世界最大の46cmを擁する戦艦大和にちなんだ博物館です。
博物館の外に、戦艦陸奥の41 cm 主砲身、主錨、スクリュー、主舵1枚が展示されてます。
そうか、戦艦陸奥は爆沈して、そのまま終戦時に残ってたんだな。
陸奥の主砲 41cm砲の砲身です。
陸奥の主錨です。
陸奥のスクリューです。
陸奥の主舵です。
大和ミュージアム入館前からワクワク感がつのります。
陸奥(むつ)は、大日本帝国海軍の戦艦[6]。艦名は青森県から福島県にかけての旧国名・陸奥国に由来する。姉妹艦「長門」とともに帝国海軍の象徴として、長く日本国民から親しまれたものの、1943年(昭和18年)6月8日に主砲火薬庫から爆発を起こして沈没した。
<概要>
軍艦 陸奥は長門型戦艦の2番艦。八八艦隊計画二番手である。1番艦「長門」と共に、日本の力の象徴として日本国民に長く愛された。 横須賀海軍工廠で建造。 また竣工当時は世界に7隻しか存在しなかった40cm砲搭載戦艦として『世界七大戦艦』と呼ばれた。 長門型戦艦2隻(陸奥、長門)は交互に連合艦隊旗艦の任にあったため、知名度は高かった。 戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である長門、陸奥であった。『陸奥と長門は日本の誇り』といういろはがるたも作られ 海軍兵学校でも「陸奥、長門の四〇センチ砲が太平洋を睨んでいればアメリカは攻めてこない」と語り継がれた程である。陸奥湾に入泊した際には多くの青森県民が見学に訪れた。陸奥艦内神社は岩木山神社の御分神を祀っていたため、乗組員も岩木山神社に参拝した。
第二次世界大戦中には他の戦艦部隊(大和、長門、伊勢、日向、山城、扶桑)等と共に温存された。陸奥はミッドウェー作戦や第二次ソロモン海戦等で出動したが、敵水上艦隊と交戦する事はなかった。
1943年(昭和18年)6月8日、「陸奥」は原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没した。
戦後に浮揚作業が行われ、1970年(昭和45年)には艦体の一部や菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収され、日本各地で陸奥の装備が展示された。大戦末期にアメリカ軍の攻撃で沈没し、終戦後に浮揚され解体処分された他の日本軍艦と異なり、艦体の一部が2023年現在も周防大島に残っている。
呉市海事歴史科学館(くれし かいじれきしかがくかん)は、広島県呉市にある科学館。
愛称は大和ミュージアム(やまとミュージアム)で、正式名称よりも愛称が広く定着している。
2024年度に改修工事が行われる予定であり、改修工事中は休館となる。2024年2月現在、休館期間は未定。なお、2024年9月30日までの教育旅行の受付はされている。リニューアルオープンは2025年度の予定。
<概要>
呉市海事歴史科学館条例に基づき設置されており、同条例の第1条で「明治以降の日本の近現代史の縮図ともいえる呉の歴史及びその近代化の礎となった各種の科学技術を紹介することにより住民が歴史への理解を深め、科学技術への興味と関心を高め、平和の大切さについて考えるとともに、学習の場及び住民交流の場を提供することにより地域の教育及び文化の向上並びに観光の振興に寄与することを目的」とすると定められている。愛称の「大和ミュージアム」も同条例で定められている(第2条)。
愛称の「大和ミュージアム」が示すように、旧日本海軍の超大型軍艦「大和」の建造と軍事活動が中心となっている。
構想あるいは建設に関しては、「戦争責任」について様々な意見を向ける旨もあったが開館以来盛況を続けており、呉市の歴史的観光資源を再発見するきっかけとして呉市を全国的観光地に一躍押し上げた立役者である。呉市の経済社会にも影響を与えており、様々なイベントが行われる地域拠点の役割も果たしている。
初代館長の戸高一成は、当館の展示が戦争賛美ではなく、とくに戦艦大和建造など軍事や戦争によって発達した産業技術そのものとその使われ方(軍事目的)とは分けてとらえるべきだとしている。館の方針としては、当館を「平和学習の場」として開放するため、実物の兵器や当時の映像フィルムなどの歴史的資料を淡々と提示するかたちで意見や注釈は付けず、政治的に中立的な立場をとるよう努めている。「歴史認識についての判断は来館者個々に任せる」という方針を採用している。
2019年(令和元年)10月に来館者累計1,400万人となった。
開館から時間が経っても、年々漸減しているものの大和ミュージアムは多くの入館者が訪れている。4年目以降の来館者は90万人から74万人の間で安定的に推移しており、年間10万人で成功とされる地域の歴史博物館としては異例の多さである。太平洋戦争に関連する映画が公開されると、来館者が増える傾向がある。
<地域経済社会への影響>
大和ミュージアムの盛況に伴い、呉も広島湾一帯の観光ツアーに組み込まれるようになった。
戦後の広島湾岸諸都市の間には、広島が「軍都」から「平和都市」となる一方、呉・岩国・江田島が、広島のみならず日本の平和を守る自衛隊や在日米軍の拠点を担うという「分業」が存在した。広島は「軍事と平和」という二項対立のもと、「周辺都市の軍事拠点を隠し続けることで平和都市としての機能を維持している」という一部の政党や市民団体による見方もあった。しかし、多くの観光客が大和ミュージアムと平和記念公園を往来するようになると旧来の二項対立構造は瓦解し、この地域における「軍事と平和」は観光面で融合を果たしたとされる。
<大和ひろば>
入口を入ってすぐの『大和ひろば』には、実物の10分の1サイズの戦艦大和の模型が展示されている。
この模型は、大和の海底調査や発見された資料により判明した最新の情報に基づいて制作されており、新たに判明した史実や資料があれば随時それに合わせて改装されている(この変更点には、偵察機の追加搭載などがある)。
大和の模型の他、戦艦陸奥や重巡洋艦青葉に実際に搭載されていた主砲身、戦艦金剛のイギリス・ヴィッカース社から輸入した当時のボイラーや、戦艦陸奥の錨、航空戦艦日向 (戦艦)のマストに掲揚されていた軍艦旗、零式艦上戦闘機六二型、人間魚雷”回天10型(試作型)、特殊潜航艇「海龍」を展示の主体として、海軍兵器の実物が数多く展示されている。その他、実物の潜水調査船である「しんかい」の屋外展示など、戦後の海事史についての展示物も充実している。
住所 広島県呉市宝町5-20
TEL : 0823-25-3017
FAX : 0823-23-7400
じゃ、又ね
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コメント
ひびき
同じく入場する前からワクワクしましたよ。
もう、10年以上前の訪問になりますね。
2024/03/07 URL 編集
Pochi
2024/03/07 URL 編集