善人ぶるわけじゃ無いけどさ | 突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

2,018年6月
54歳で主人が突然亡くなりました。
私はその時45でした。

同じような経験や思いを持つ方、そしてそうでない方もこの突然の出来事、この思い、何よりもこの世で54年生きていた主人の事と、その後の私の人生を知って頂けたら幸いです。


結構ね、気になってしまう事がある。

どこかのスーパーなんかに買い物に行った時、車を止める駐車場、スーパーの入り口の一番近いところに車いすマークの付いた場所、そんな専用駐車場ってありますよね。

率直に言うと、

そこに止める資格のある人(たち)がどれだけ使っているのかな…って思うことです。


わかりませんよ。

調べたわけじゃ無いし、そこに見張って見てる訳でも無いから、そりゃ本当のところはわからない。

だけど私は、使う資格のない普通の人が(抵抗なくも)ほとんどそこには止めているんじゃないかと、

いやきっとそうでしょなんて思って生きてます。


だってまず、そこに止めてる車はそんな車両(車いすを詰むような)を見たことが無いし、
いや、別に車いすでは無くて、例えば身体が不自由であったりとか高齢者って事もあるかも知れないけど、私は実はそういう車とも思ってない。

だって、普通に子連れの家族とか、そんな車がよく止まってるし、何より‼️そんな駐車場が空いているのをまず見たことが無い

高齢者とか目に見えてわかりづらい障害とか、確かにいろいろあるとは思う。
だけどそういうところって単に入り口に近い場所と言うだけじゃなくて、そこの区画も広めになっているんだよね?
それって車いすの乗り降り?がある事も含めてのスペースと思うから、基本、空けておくべきだととても思う。

よくトイレで、身障者用のバリアフリーのトイレにどなたでも使えますって言うのがあるけれど、それとは違うよね??

すぐ用が足せるトイレと、いつまで止めてるかもわからない車、一緒にはならないし。


別に善人ぶって言うわけじゃないんだよ、
だけどそこに止まってる車を見るたびに勝手に気になる…



こんなこと、主人がいた頃にそこまで私は、同じくらい気にしてただろうか。
いや、そんな目に入ってなかったよね、きっと。

主人が亡くなったことで別に私が良い人になったわけじゃ無い

前は私自身が運転をしていなかった…
これも当然大きいとは思うけど、なんか今、いろんな事を一歩引いたところからも冷静に見てしまう、見えてしまう自分になったような、

世の中の?人の?そんな「嫌な部分」には特別目が行くようにも変に鋭くなって来たような、そんな気もしてます。



そこに車を止めたい、止めなきゃいけない人がひょっとしたらそこまで来ない日もあるかも知れない。
それに確かに、すごく混み合っていたら、そこが空いてるのは使いたいなーって、勿体無くも感じるのもわかる。

だけどいつ来るかもわからない、そこを本当に必要とする人、
それを思ったら何の権利も無いのなら、使うのやめた方が良いと思うけどーーー。

いかがなものでしょうね。
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