今日で11月も最後。
2,024年になったと思ったらもう師走。こんな立場、状況であっても本当に早いものだと今思う。
12月に入ってしまったらまもなく月命日が来て、
私は主人と死別してから6年半が経つことになる…
本当に嘘みたい。
何が嘘みたいなのかって、一番は自分がもう、主人のいない世界をそんなにも生きてしまったということ。
あれだけ理解できなくて、信じられなくて、とても受け入れることなんて出来ないと思っていた「主人の死」と言うものに関しては、
納得はとても出来ないけど、それでもさすがにここまでの年月で事実なのだろうなと、私の中のどこかにはやはりそう抑えてる感じ、きっとそうなんだよねって、やっぱり認めたくは無いせいか少し遠くから思うようなところもあります。
私はこれまで、ここの場所でどれだけの方と出会って来たのでしょう。
大切な人が亡くなってしまった状況やそこの背景にあるもの、そしてその人との関係性とか、そこにある想いって全く同じでは無いけれど、
それでも同じような、深い深い悲しみ、苦しみや絶望感みたいなもの、
そして大切な人を想うという、いろんな形の「愛」だよね。そこは共通なんだろうと思う。
次から次へと新しい方が加わってくるような状況が、悲しいけれどありました。
それは無情にもずっと、恐らく絶え間なく…という感じにも。
そしてそれは悲しいけれど当然のようにも、私が死別する前からも、そして死別した後にも変わらずも続いている状況。
自分がこの立場になるまで、そんなのわからず生きてました。
やっぱり「他人事」だったんだと思います。
でも、それもまた仕方ないよね。
こっち側の人間と、そっち側の人間じゃ無いけれど、ここまで大きな重すぎること、経験無くして身近になんて思うはずが、わかるはずが無いもの…
だけどもう、残念ながら私はすっかりこっち側の人間なわけで…。
わかりますよ。
それはもう痛いほど、偉そうに言うわけでは無いけれど、自分が経験してしまったら、それはイヤでもわかる。
知ってしまったんだよね…
だから、自分が本当にどうにもならないぐらいに辛かった、
そこを何とか、どうにかこうにか、ギリギリの線でも通り抜けて来た道、今、そこを通ってる人の気持ち、そこにあるどうにもならない想いと言うものを聞いてあげたいな、わかってあげいなって本当に思いながら生きてます。
それって、その人のためとかじゃなく、結局は自分のため。
そうする事で自分が救われる。救われたい…
本当にそこなんだよね。
人に寄り添うとか、とてもそんな大それた、上から思うような目線はありません。
でも、人の心の痛みを知る。
それによって私、そこに深く共感する事によって自分が慰められて来た、そうなんだと思う。
辛いよね…
そう、辛かった。本当にどうしようもなく、居ても立っても居られない時間が延々と続くようにも辛かった…
でも今はこうだよって、こうして生きてるよってどこかの誰かに伝えたい、話したい、
そう、結局は自分が聞いて欲しいから…なんだろうね。
上手く伝わらないかも知れないけれど、いつもいつもいつも、
心の底からありがとうを思ってます!!