小説置場N

少女の檻


 
 少女の檻
 SERIALKILLER MURDERGAME IN S(HIELD)R(OOM)

 この金……
 オレの人生を完全に塗り替えられる……
 この金を目の前にして降りられるか……!
 GOだ! オレは指を賭ける!
(賭博黙示録カイジ第13巻/福本伸行)

 登場人物(1997年10月現在)
  入谷義遠(いりたによしとお) ……高校生2年
  隻京一(せきけいいち)    ……高校生2年
  織倉なつみ(おりくらなつみ) ……高校生2年
  本橋未紀(もとはしみき)   ……連続殺人犯

 1
 放課後、例のごとく、本の冊数に反比例して利用者の少ない図書室である。カウンターに図書委員の生徒が一人いるのを除けば、図書室にいるのは私たちだけ。私の隣の席では、例によって義遠が読書中である。
 義遠が推理小説を読み始めたころは、この本が読みやすいと私から薦めていたのだが、今では義遠も自分で選んだ本を読むようになった。義遠が読んでいるのは、『占星術殺人事件』の講談社文庫版である。どうしてそれを選んだのかを訊いたところ、題名に殺人事件と書いてあるから殺人事件を扱っている話だと思ったとのこと。
 確かに私がこれまで薦めてきた本は、少年探偵団やシャーロックホームズのシリーズだったので、殺人事件と題名に直接記されたものは少なかったようだ。
 私も久しぶりに図書室の本を借りていこうかと考える。とはいえ、図書室に置いてある推理小説は、あらかた読んでしまっている。推理小説以外の本ならば、未読の本がたくさんあるのだが、どうも推理小説以外には食指が動かない。私は本が好きな訳ではなく、ミステリが好きなのだろう。
 私は義遠と、最近東京近辺で起きている通り魔殺人についての話をしていた。義遠は、読書をしながらでも他人と話すことができるので、自由に声を掛けることができる。新聞やマスコミの情報からどんな犯人像を割り出せるか。現に義遠は新聞の記事だけで、ある事件の核心を推理で導き出し、事件に貢献したことがあるからだ。
 今回の通り魔事件は、東京という私たちの住む場所から遠く離れた地域で起きている事件であり、いつものように私の父親から、事件の詳しい内容を聞くことが出来ないでいたので、話の内容は全く机上の空論でしかなかった。義遠自身も、おそらく犯人はこんな感じだと思うけど、全然違うかもしれない、といい加減な言い方であった。
 室内は至って静かなので、図書室の扉を開ける音が大きく響く。義遠は、ちらと扉の方を見ただけで、すぐに読書に戻った。室内に入ってきたのは、二人の少女だった。先に入ってきたのはなつみで、後ろをもう一人がついてくる。
 なつみはすぐさまカウンターに駆け寄り、図書委員の生徒と二言、三言話して、彼女の傍に戻ってきた。図書委員の生徒は、なつみに何を言われたのか、図書室から出ていった。なつみは、少女と一緒に私たちの方へやってくる。交友関係の狭い私には見覚えがない。なつみの新しい友達だろうか。
 一緒にいる少女は、なつみと同じくらいの身長、漆黒の髪が肩の辺りで切り揃えられていた。スカートはなつみとは対照的に長く、膝が隠れている。なつみと同じ制服を着ているのだが、華奢で大人しそうなお嬢様といった雰囲気を醸し出していた。なつみが持っていても違和感のない学校指定の鞄が、何故か不釣り合いに見えた。
「こちらは、ええと」
 なつみは、少女を紹介しようと振り替える。
「本橋未紀と申します」
 少女はなつみに微笑んだあと、義遠に向かって頭をぺこりと下げた。なんだろう、会ったことのない相手なのだが、どこかで会ったことがあるような気がする。デジャヴとはこのことか。
 義遠を尋ねてきたのだろう。匣屋敷の事件を解決したのが義遠であることは一般には伏せられているのだが、ごくまれに情報が漏れることがあり、義遠を訊ねてくる生徒がたまにいる。
「じゃあ、京一は外に出て」
 なつみは私を促して、図書室を出ようとする。どうして私が追い出されないといけないのだろう。なつみは、いいからいいからと言って聞く耳を持たない。
 仕方なく私は席を立とうとしたが。男と女が二人きりか。ああ、なるほど。男女関係に疎い私でもようやく気がついた。要するに、告白というやつだ。普段一緒にいるせいで、大して気には止めないが、義遠はかなりの男前である。ただ、話す内容が現代の若者とは著しく異なっているので、同年代だということを忘れてしまう。
 けれど、義遠と話したことのない生徒にとって、彼は二枚の目のいい男に見えるのだろう。話してみなければ性格は解らない。何度となく義遠と話したことのあるなつみが、いつまで経っても義遠とは他人行儀でいるのはそのせいだろう。
 離れた場所にいる図書委員を追い出すのはやり過ぎだと言えなくもないが、そこまでの想いがあるのだろう。そうなると、やはり私は邪魔かもしれない。
「あいにく僕は、知らない人と二人きりで話したくない。京一君には残っていてもらいたい」
 なつみは困ったように、本橋未紀を見る。
「いえ、結構です。こちらは入谷さんのお友達のようですし」
 なつみは納得がいったのかいかないのか不満そうな顔をしている。とはいえ、彼女自身が構わないと言っているので、これ以上口は出せないようだ。
「京一、余計な口出ししないようにね。あなたの問題じゃないんだからね」
 何故か私は、頬を膨らませたなつみから睨まれる。不承不承といった態度で、なつみは図書室を出ていった。
「申し訳ないのですが、扉の鍵を掛けて戴けますか。出来れば、前と後ろの両方を」
 彼女は私に顔を向ける。部外者に聞かれたくない話でも、鍵まで掛けるのはやり過ぎだろう。その割には、義遠の友達というだけで私を残してくれたことを妙に感じる。とはいえ、彼女の丁寧な物言いには反対する気も起きず、私は立ち上がって扉の鍵を閉めに行った。窓はカーテンが閉められているので、外部から覗かれることもない。
「室内の生徒を追い出し、鍵を掛けてまで、僕になんの御用ですか。見ての通り、僕は読書中なので手短にお願いしたいのですがね」
 読書を中断されたのが嫌だったのか、義遠の機嫌が悪くなっているのがあからさまだった。
「おい義遠、何もそんなにつっけんどんな態度をとらなくても……」
「いえ、構いませんよ。私の頼みを聞いたら、あなたも不機嫌になるかもしれませんから」
 彼女は彼女で妙なこと言う。
「僕に頼みとは?」
 義遠が訊いて彼女が答える。
「入谷さん、あなたに死んでもらいたいのです」

 2
 私の聞き間違いかと思ったが、この静かな図書室で、彼女ははっきりと言ったのだ。聞き違えようがない。
「なんとなく、そんな感じがしていたよ。普通の高校生とは雰囲気が違う」
「やはり、解る人には解るものですね」
 彼女は微笑む。
「いや、君が本橋未紀と名乗ってくれたおかげだよ」
「どちらにしても、解っていただけたのなら話は早いです。私の頼みを聞いてくれますか」
「ちょ、ちょっと待てよ。義遠、どういうことなんだ。この子と知り合いなのか?」
 彼女が更に質問するのを私が遮る。
「知り合いという訳ではないが、僕も君も彼女のことを知っている」
 義遠はそう言うが、私は彼女に見覚えはない。
「本橋未紀というのは、僕らが話していた通り魔殺人の被害者の名前だよ」
 そうか、先程話していた東京での通り魔殺人、被害者の名前は、新聞やテレビで何度も目にしていた。
「何故、被害者の名前を使ったのか、という理由までは解らないけど、事件と関わりがあることは確かだろう。彼女自身が犯人である、もしくは、被害者が亡くなったと思われているだけで、実際は生きている。あるいは、単純に名前が同じだけで、東京の事件とはまったく関係はないのかもしれない」
 通り魔殺人事件の犯人? 被害者? いや、どちらも信じられない話だ。かといって、偶然同じ名前だとは考えにくい。
「うん、京一君の思った通り。新聞やテレビで知った名前を口にしているだけ、という可能性がもっとも高い」
「あらあら、名前ひとつから、いろいろなことをお考えになるのですね」
 本橋未紀──と名乗った彼女は、興味深そうな顔をして義遠を見る。
「あなたが知らないだけで、この学校の生徒かもしれないじゃないですか」
「僕が覚えている限り、君はうちの生徒ではない」
「随分とはっきりおっしゃるのですね」
「僕は全校生徒の名前を把握している。さすがに顔まで一致させるのは難しいが、名簿をもらった時点で教師を含めて確認済みだ」
 これには私も驚いてしまった。全校生徒の名前と住所、出身中学の記された名簿は毎年配られるが、そのすべてに目を通す生徒などいないだろう。精々、友達やクラスメイトに電話を掛けるときに番号を調べるくらいだ。
「うちの学校に、本橋未紀という生徒はいない」
 義遠は断言する。
「転校生で名簿に名前が載っていないことも考えたが、時期外れの転校生が来たのなら、織倉さんの噂話で名前が挙がっているはずだ。京一君は、何か聞いているかい?」
「いや、ここ最近、そんな話は聞いたことはない。でも、彼女はうちの制服を着ているじゃないか」
 私の言葉に、義遠は大袈裟に肩を竦める。
「君みたいになんでも信じてしまう人間も珍しい。名前も知らない、見覚えもない、だけど制服が同じだからうちの生徒なのだろう、と考えたのかい?」
「そうじゃないか、余所の学校の生徒が、うちの制服を着てまで義遠に会いにくるとか、普通は考えられない」
 義遠は、私の言葉に頷く。
「だから、頼み事が普通じゃなかっただろ?」
「あ……」
 お嬢様然とした彼女は、義遠に死んでもらいたい、と言ったのだ。今でも信じられない。質の悪い冗談ではないのだろうか。
「わ、わざわざうちの制服や鞄を用意して、義遠に会いに来たということか?」
「おそらく」
 義遠は肯定して続ける。
「彼女は……普通とは違った思考の持ち主なのだろう」
 そして、本橋未紀と名乗った少女に向き直る。彼女の表情に変化はない。むしろ、観察するように義遠を見つめている。
「どのように考えられようと構いませんが、ここでは本橋未紀で通しましょう」
 義遠の推測が当たっていたのか、彼女は偽名を名乗っていたことを認めるような発言をした。彼女が犯人なのか、被害者なのか、まったく関係のない第三者なのかは解らない。本名を言わないのなら、本橋未紀として扱うしかないだろう。
「警察は怖くありません。間違いなく、警戒すべきはあなたです」
 本橋未紀と名乗った少女は話を続ける。
「僕のことはどこから」
「匣屋敷の事件、被害者が少な過ぎました。生存者の方たちから情報が漏れるのは仕方のないことでしょう」
 未成年である私たち、事件を解決に導いたのが高校生だったことは──正確には義遠が解決した側に私がいたというだけなのだが──外部には洩らさないと、あの場にいた警察や関係者たちは伏せるよう約束してくれたものの、間接的に関わった人数を考えると、情報を完全に遮断することはできなかったようだ。あるいは、約束を守らなかった関係者がいるのか。人の口に戸は立てられないとはこのことか。
「私はこの先、この地方で事件を起こすつもりでいます。こちらの警察が捜査に介入することになると、公には伏せられている内密な情報があなたに知られることになります。手掛かりさえ揃えば、あなたは私を犯人と指摘出来るでしょう」
 私の父親が刑事だと知っているのだろう。義遠は何も答えない。未紀は平然と続ける。
「もしあなたが死にたがっているのなら、私が殺して差し上げましょう」
 私には解らない義遠の生きづらさを、共感できるのだろうか。
「生きたいと思ったことはないけれど、ここで君に殺される訳にはいかない」
「やはりそう簡単にはいかないようですね。私にとっては、あなたがいなくなってくれることが、一番安全なのですが……」
 何か考えている素振りを見せたものの、それはわずかなものだった。あらかじめ予想していたのかのように言葉を続ける。
「ゲームをしましょう」

 3
「私が勝った場合、入谷さんは私の事件に介入しない。入谷さんが勝った場合、私は入谷さんのお友達や関係者は傷つけないと誓いましょう」
「なるほどね。ゲームは手段であり、目的はその約束か」
 いとも簡単に義遠は頷く。
「いや、全然まともじゃないだろう。何かしらの事件を起こすと言われて、それを黙っているのはおかしいだろ。それに、義遠の友達や関係者を傷つけないって、最初から巻き込まれることのない人たちじゃないか」
 未紀ではなく、あっさりと頷いた義遠に対して私は憤ってしまった。
「落ち着きなよ、京一君」
「義遠が冷静過ぎるんだ」
 どうにか口調を抑えて、私は義遠に答える。
「良く考えてみよう。彼女が勝った場合、僕は彼女の事件に介入することができない。僕が勝った場合、友達や関係者は守られる。友達というのは京一君、関係者というのは詣敷さんや織倉さんのことだろう」
 詣敷というのは、警察に勤めている私の父親のことである。転校以前は知らないが、今の義遠の交流関係は少なく、義遠の関係者として、私やなつみを指していることは充分考えられる。未紀はというと、私たちふたりの会話を微笑ましそうに眺めている。なんだろう、あのような提案をしておいて、随分とちぐはぐな表情が気に掛かる。
「ああ、この学校で義遠に話し掛けるのは、教師を除けば僕となつみくらいだ」
 正確には、興味や好奇心で義遠に話し掛けてくる生徒もいるのだが、一度話せば満足するのか、あるいは予想以上に扱いにくい相手だと解るのか、同じ相手に、二度三度と話し掛けられることは少ない。これは、言いたいことだけを言い、興味のない相手とは一切話をしない義遠の性格にも問題があるのだが。ここで私は、その可能性に思い至る。
「もしかして……彼女が、本橋未紀が起こそうとしている事件というのは、僕やなつみ、それに父さんを巻き込んだものなのか……?」
 私の問いには答えず、義遠は未紀に顔を向ける。
「どうなんだい?」
「さて、どうでしょう」
 本橋未紀は相好を崩す。
「通り魔殺人の犯人は、被害者が誰かなんて気にしませんからね。それがたまたま、入谷さんのお友達でも不思議はないでしょう」
「な……」
 それはつまり、義遠がゲームを受け入れなければ、私やなつみ、延いては私の父親にまで危害を加えると言っているのと同じことだ。いや、名前を挙げていないだけで、他にも被害者候補は考えてあるのかもしれない。義遠の表情がいつになく厳しく、黙って未紀を睨みつけている。
「あらあら、お友達を怖がらせてしまいましたか。必ずしも、お友達が被害者になるわけではありません」
 未紀はお嬢様然とした微笑みを見せる。見た目の印象と違い過ぎて、私は驚きを隠せない。
「私が負けた場合、約束は守ります。それは、信用してもらうしかありません」
「随分と自分勝手な言い分だが、話は最後まで聞こう。受け入れる受け入れないを判断するのはそのあとだ」
「ええ、構いません」
 未紀は鞄から何かを取り出す。テーブルの上に置かれたのは、鞘に納められたナイフが三本。それらを鞘から取り外し、一本を義遠に渡す。
「これらは全て偽物です。どうぞ、お持ちになって下さい」
 偽物です、とは妙なことを言う。玩具や小道具のようには見えない。ナイフを受け取った義遠は、躊躇うことなく刃を指に当てる。次に掌に押しつけると、刃物は柄の中に引っ込んだ。動作が滑らかで自然と収納された。マジックで使われるナイフなのかもしれない。
「確かに、精巧に作られた偽物のようだね。見た目では本物と区別がつきそうにない」
 義遠に促され、私もナイフを一本手に取って、恐る恐る刃を指に当ててみる。ナイフを動かしても、指が切れることはない。これもやはり偽物のようである。
「そして、これが本物です」
 未紀が鞄から取り出したナイフにはリボンが結ばれていた。それを除けば、テーブルの上に乗っているナイフと全く同じに見える。彼女が本物だと言わなければ、そのナイフも偽物だと考えただろう。
「それは、君が言っているだけだ。自分の腕を刺して、本物であることを証明するのかい?」
 刃の出し入れをくり返していた義遠が、ようやく偽物のナイフから手を放す。未紀の言動が挑発的なせいか、義遠の言葉も攻撃的になっている。友人である私にはいつものからかいだが、初対面の相手にこの言い方はまずい。彼女の持っているナイフが本物であるなら尚更だ。
「そうですね。私の腕を傷つけても良いのですが、そちらをお借りしましょう」
 未紀は驚くこともなく、あっさりと頷いた。テーブルの上に置いてある文庫本を自分の前に置き、ナイフを持った右手を振り上げる。
「な、何を……」
 私が制止するが、未紀の行動は止まらない。勢いよく右手を振り下す。先の三本と違い、刃が柄に収まることはない。ナイフは文庫本に突き刺さり、先端から半分ほどが埋まっている。
「参ったね。途中までしか読んでいないのに」
 呆れたように義遠が言う。
「解っていただけましたか?」
 未紀はナイフを文庫本から取り外す。当然のことながら、貫通した部分は穴が開いている。義遠は文庫本を手に取ってページを捲る。
「よくもまあ、こんなに綺麗に刺さったものだ。注意深く見なければ、穴が空いていることに気づかないだろう」
「この日のために、念入りに研いでおきましたから」
「それはそれは」
 未紀は微笑むが、義遠はにべもない。
「それにしても、僕が買った本で良かったね。学校の本だったら、説明に苦労したところだ」
 そのことに未紀は初めて気づいたようだった。
「あらあら、ありのままに伝えてくれて良いのですけれど」
 本物のナイフを手に持って未紀は言う。
「申し訳ないことを致しました。その本の代金は弁償しましょう」
「いや、いい。そのナイフが本物であることは解った」
 義遠は首を振り、未紀に先を促す。
「ありがとうございます」
 未紀はわざとらしく頭を下げる。
「ルールは簡単です。ここにある四本のナイフ、そのうち一本が本物です。ここから一本を選び、自分の胸に突き刺す。これを交互にくり返します。もっとも、最初に本物を引いてしまえば、すぐにゲームは終わります」
 未紀は自分の左胸に右手を添える。当然のように、刺すのは心臓だと示している。
「私が無理なお願いをしているので、先攻か後攻かを選ぶ権利はあなたに譲りましょう」
「待ってくれ、言っていることが無茶苦茶だ」
 義遠が黙ったままなので、思わず私が口を出した。
「本物は一本です。逃げるような確率ではないと思いますが」
 未紀は受けるのが当然かのように言う。
「交互に刺していくのなら、どちらかが必ず傷を負うことになる」
 私は懸命に説得を試みる。
「怖くてナイフを刺せないというのなら、それはそれで構いません。自分を信じられない臆病者に興味はありません。当然、ナイフを刺せなければ負けとなります」
「な……」
 余りにも荒唐無稽な説明に、私は言葉を続けられなかった。
「入谷さん、このゲームを受けてくださいますか?」
「僕が勝てば、京一君の安全は買える訳か……」
 私をちらと見て、しばらく黙っていた義遠が口を開く。
「受けよう、その勝負」

 4
「突然の提案を受け入れて戴きありがとうございます」
 未紀は両手でスカートの裾を掴み、頭を下げる。名前は忘れたが、ヨーロッパで女性が行う挨拶だろう。なつみと同じ制服でありながら、お嬢様のような気品が漂っている。やはり、このような振る舞いの女の子が、義遠に対して意味不明な頼み事をするのは理解できない。
「強硬手段は使いたくありませんでしたから」
「これまでの言動がかなり強引だった気がするけどね」
 さらりと言う未紀に、すぐさま義遠が返す。ふたりの間では、すでに勝負が始まっている感じだ。
「ひとつ提案がある。ナイフを二本にするのはどうだい? 本物を一本、偽物を一本。これなら最初のひとりで決着がつく。無駄な時間は少ない方が良いだろう?」
 義遠の言葉に、未紀はわずかに眉を顰めたようだった。
「四は死に通じています。というのは冗談ですが、ナイフが二本では後攻に選択の余地がありません。仮に私が先攻で偽物を選んだ場合、あなたは選択することなく負けになります。それで構わないんですか?」
 今度は義遠が、先程の未紀と同じような表情をする。
「自分で選んだ負けならともかく、他人に負けを選ばれたくはないということか。……その言い分は解らないでもない。君の言う通り、ナイフ四本でゲームを始めよう」
「ありがとうございます」
 ほっとしたように未紀は言う。
「もっとも、四本だろうが二本だろうが、先攻が本物を選べばそこで終わるんだけどね」
「ええ、だからこそ、先攻か後攻の選択をあなたに譲っているのです」
 義遠の言い分に、未紀は動じることなく返す。
「やり方は強引だが、ゲームそのものはフェアと考えて良いだろう」
「御理解戴けて幸いです」
 そう言いながら、未紀はリボンのついたナイフを含め、四本のナイフを均等な距離を空けてテーブルに並べる。刃が義遠側、柄が未紀の方を向いている。
「では、お友達にも手伝ってもらいましょう」
「え?」
 義遠と未紀、ふたりだけで話が進んでいたから、ここで私に振られるとは思っていなかった。
「第三者がいなければ、私が離れている間に入谷さんに入れ替えてもらう、そのあとで、私が入れ替える、もしくはその逆を考えていたのですが、最初の入れ替えはお友達に頼みしょう。そうすれば、次に入谷さんが入れ替えても、私が入れ替えても、どれが本物かは解りません」
 ここで私は引っ掛かりを感じた。うちの学校の制服や鞄を用意して、義遠が図書室にいる時間まで調べたというのに、私が一緒にいることは考えなかったのだろうか。常に私が義遠と一緒にいるというわけではないのだが、義遠の交友関係を調べているのなら、この学校で義遠と親しくしているのは、私となつみくらいのものだと──なつみからすれば仲良くなんてしていないと言うのだろうが──気づかなかったのか。あるいは、義遠が言うほど、用意周到ではなかったのだろうか。
「どうかされました? 私はお友達のあなたに頼んでいるのですが」
「あ、いや、大丈夫」
 未紀に促され、私は我に返る。今考えるのはそれではない。未紀の提案した方法である。私が入れ替えたあとに更に入れ替えるのであれば、私にも本物は解らない。未紀にとっても、義遠にとっても、フェアな条件になるだろう。私が受け入れたところで、義遠が突然立ち上がった。
「待った、君が他にナイフを持っていないことを証明できるかい」
 その質問は予想していたのか、未紀は鞄の中をあっさりと私たちに見せた。取り出したナイフの他には何も入っていなかった。教科書やノートの類は一切ない。義遠と会うために、制服や鞄を用意したのは本当らしい。
「確かめてみますか」
 未紀は鞄を義遠に渡そうとする。
「いや、何も入っていないことは解った」
 予め解っていて確認したのか、素気無く断る。
「なんなら、ボディチェックをされますか?」
「それは、京一君に任せよう」
 義遠がさらりと私に水を向ける。
「って、なんで僕なんだよ。彼女がナイフを隠し持っているかどうか、そんなにも重要なことは、義遠が調べるべきじゃないのか?」
「確かに、君がやったと織倉さんに知られたら、面倒なことになるだろう」
「いや、なつみは関係ないだろう」
 真剣な話をしているはずなのに、どうも調子が狂う。私たちのやり取りを、未紀は興味深そうに眺めている。
「ナイフの大きさからして、隠し持っている可能性は低い。落とし所を見つけないと、勝負そのものが成り立たないだろう。君の目的は解らないが、アンフェアなことはしないと信じるしかない」
 義遠はそう結論づけた。目を見開いた未紀は、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ただし、僕と京一君は一緒に動く。今から、僕らがナイフを入れ替える。その間、君は離れた場所で待機している。のちに、僕らが場所を移動して、君がナイフを入れ替える。それでどうだい?」
「お友達想いなんですね」
 何故かは解らないが、未紀は薄く笑ったようだ。
「では、最初の入れ替えを任せます。言われるまでもないでしょうが、本物につけたリボンは外しておいてください。もっとも、わざと残しておいて駆け引きの材料に使うのも一興かと思いますが。それはご自由に」
 彼女は鞄を手に取ると、突き当りの棚へ向かって歩いていく。
「義遠、こんな馬鹿げた勝負、やめることはできないのか。今ならまだ、ナイフを並べただけの冗談で済む」
 私は義遠に耳打ちする。
「勝負を受け入れたから、彼女が大人しくしているとは考えないのかい?」
「え?」
 予想外の返答だった。
「彼女の目的が僕を殺すことなら、何もこんな勝負をする必要はない。うちの制服や鞄を用意するのは難しくはないが、図書室に人が少ない時間を知っていたのは確かだ。情報を集め、用意周到に準備している。僕も君も、大した運動能力がないことは知られているだろう。彼女が襲いかかってきたとして、僕らふたりで取り押さえられるかどうか。むしろ、フェアな勝負を持ち込んできてくれて助かったくらいだ」
「情けないことを言うなよ」
 とはいえ、未紀のことを知らない私たちが、彼女を普通の女子高生だと考えるのはやめた方がいい。勝負を受けなかった場合、実力行使もあり得たということか。
「とりあえず、僕が君といることで、最低限の利は確保することができる」
「どういうことだ?」
「やれやれ」
 義遠は大袈裟に首を振る。
「織倉さんや図書委員がいれば、違った状況になっていたかもしれないが、今は僕と君のふたりだけ。彼女がナイフを入れ替えるとき、僕が離れた場所へ行く。そのときに君が残っていたら、ナイフを持った彼女に君を人質に取られて終わりだ。そうなったら、さすがに僕は無条件で言うことを聞くしかない」
「そんな……」
 私は絶句した。まさかとは思うが、未紀の言動から察するに、それがないとは言い切れない。
「彼女が鍵を掛けると言ったとき、もっと警戒しておくべきだった」
 義遠にしては珍しく悔やんでいるようだが、あの時点で未紀がこのような行動に出るなどと予想できるはずもない。
「いや、それを言うなら、なんの疑いもせずに鍵を閉めた僕に責任がある。義遠に落ち度はない」
「そうだな、僕に頼んでも動きそうにないから、彼女は軽率そうな京一君に頼んだのだろう。僕だったら、何故そんなことを、と訊いていたけれど」
「よ、義遠。反省しながら僕を責めるのはやめてくれ……」
 義遠は押し黙ってしまう。冗談で誤魔化しているが、やはり後悔しているのだろう。
「起こってしまったことは変えようがない。彼女が言ったゲームに勝てば良いだけだ」
 口を開いた義遠はあっさりと言うが、そんなにも簡単なものではないだろう。
「とにかく、彼女の行動には注意して欲しい。ルールの隙を突いたり、ルールを破ってくるかもしれない」
「え、さっきは彼女を信じると言っていたじゃないか。あれは嘘だったのか?」
「初対面で、こんなことを要求してくる人間を、君は信じられるのかい?」
「そ、それは……」
 明らかに難しいだろう。
「僕が信じるのはゲームのルールだけだ。そこを信じなければ策の講じようがない」
私とは違った心配を義遠はあれこれと考えていたようだ。とんでもない事態に巻き込まれたと思ってはいたが、まだ、最悪の事態ではないとうことか。
「じゃあ京一君、ナイフを適当に入れ替えてくれ」
 義遠はあっさりと言う。
「いや、さすがにそれはないんじゃないか?」
「このあと彼女が入れ替えるんだ。本物の場所を覚えていても意味はない」
「それはそうだけど。何か、少しでも勝つ確率を高める方法は……」
「ほら、早くしないと彼女も痺れを切らすぜ。忠告通り、リボンも外しておいてくれ」
「わ、解ったよ」
 私の質問に答える気はないらしい。義遠の言動に不可解なものが多いのは今に始まったことではない。私にできるのは、義遠を信じることだけだ。内側のナイフ二本を入れ替えて、外側のナイフ二本を入れ替える。私と義遠から見て、リボンのついたナイフは左端にある。それを手に取り、本物を示すリボンを外す。じっくり見ても、やはり他との違いは解らない。
「さて、よろしいでしょうか」
 未紀が後ろを向いたまま言う。
「待たせたね、準備はできたよ」
 義遠が答える。未紀が振り返り、戻ってくる。
「あら……」
 テーブルの上を見た未紀が声を上げる。
「てっきり私に刃を向けて置くと思っていましたのに」
「彼はこういう人だからね」
 義遠に勝って欲しい私としては、柄の部分を義遠側、刃の方を三紀側に向けて並べようと考えたけれど、どちらの条件も同じ、フェアな勝負ということで、ナイフの向きを九十度動かした。義遠からは刃が左側、未紀はその逆、刃が右側に見えるよう並べ直した。
「敬意を込めて、私も同じような向きで入れ替えましょう」
 ナイフの並べ方で何がどう変わるとは思えないが、未紀には好印象だったようだ。できれば、ゲームそのものをやめてもらいたいものだが。
「行くよ、京一君。今度は彼女が入れ替える番だ」
「あ、ああ」
 義遠に促され、私はテーブルを離れる。先程未紀が立っていた、突き当りの棚まで進む。義遠は、少し遅れて私のあとをついてくる。私が未紀から離れる分には問題ないのだろう。
私と義遠は、ともに棚の前に並ぶ。ナイフを並べ替えるのを待つという、異常な状況である。
「リボンを外したら、どれが本物かは解らない。これでどうやって偽物を選ぶんだ?」
未紀がナイフを入れ替えなければ、本物のナイフを動かさなければ、本物のナイフは私たちが入れ替えたときと同じ場所にある。だが、未紀がナイフを動かしたか、あるいは、動かさなかったかなど解りようがない。勝つ確率を高める方法などあるのだろうか?
「条件は彼女も同じだ。ジャンケンをしていると思えばいい」
 義遠は気楽に言うが、命を賭けたジャンケンなどあるものか。
「お待たせしました」
 未紀の声が聞こえ、義遠が振り返る。先とは逆で、私が義遠のあとをついていく。テーブルを挟んで未紀とは反対側、私たちが最初にいた場所へ戻る。もっとも、椅子に座る気はなく、私と義遠は立ったままだ。それは未紀も同様である。ナイフを手に取る以上、座ったままではやりにくいだろう。
 テーブル上のナイフは、私が入れ替えたあとと変わっていないように見える。だが、何度見ても、どれが本物でどれが偽物なのかは見分けがつかない。いくら義遠でも、彼女の表情や仕草から、ナイフをどのように入れ替えたのかを推理するのは難しいだろう。
「では、先行か後攻か、お好きな方をお選びください。入谷さんならご存知でしょうが、どちらを選んでも確率は同じです」
「確率の同じ勝負なら、他にいくらでもあったんじゃないのかい?」
 義遠の言葉に未紀の顔がわずかに歪む。だが、すぐにお嬢様の顔に戻る。
「無粋なことを言わないでください。入谷さんに楽しんでもらおうと思って用意したのですから」
「確かに、道具を準備するだけでも大変だっただろう。いや、せっかくの趣向を台無しにするようなことを言って申し訳ない」
 本当に悪いと思っているのかどうか、余りにも軽い謝罪をする。もっとも、義遠を殺したい未紀に謝るというのも妙な話なのだが。
「僕は先行を選ぼう」
 あっさりと義遠は答える。確率の良く解らない私は、未紀に先行を譲れば、彼女が本物を選んでそこで終わりという展開もあると思うのだが。それはやはり難しいのだろう。私にできるのは、義遠の選択を見守ること、万一のときは、すぐに駆け出して助けを呼ぶくらいだ。義遠の、そして未紀の一挙手一投足から目を離さないようにしなければ。
 緊張している私と違い、この状況を楽しんでいるかのように、三紀の口許が綻ぶ。
「では、始めましょうか」

 5
 テーブルの上に並ぶ四本のナイフ。私が入れ替えたときのままなら、義遠から見て左端が本物である。向かい合う未紀からすると、それは当然右端になる。いくら見たところで、どれが本物かは解りそうにない。結局のところ、ナイフを刺したときにしか解らないということか。
 この先の展開は解らないが、少なくともここまでは、突然やってきた部外者の人間が、自身の提案したゲームを了承させている。未紀の態度や自信からは、勝つ方法、なんらかの戦略を用意しているに違いない。けれど、ナイフは私も義遠も確認済みで、ゲームのルールもフェアである。まさか、本当に運任せの勝負をしているわけではないだろう。
「これにしよう」
 先行、後攻を指定したときと同じく、義遠はあっさりとナイフを手に取る。右から二番目、何か考えがあったわけではなく、目の前にあって右利きの義遠に取りやすいからのようだ。
「おい、そんなにも簡単に」
 私は思わず声を上げる。
「さっきも言っただろう、ジャンケンに必勝法はない。自分の運を信じればいい」
 義遠は、両手で掴んだナイフを躊躇いなく左胸に突き立てる。
「ぐぅっ」
「よ……」
 一瞬のことで解らない。刃が鞘に収まったのか、収まらず義遠の胸に突き刺さったものか。義遠の身体がふらふら揺れたあと、片膝をついてしゃがみこむ。
「義遠!」
 私はすぐさま義遠に駆け寄る。本物だったのか? だとしたらどうすればいい。そうだ、救急車。私には助けを呼びに行くことくらいしかできない。職員室へ行って先生方に頼むのが早い。だが、どのように説明すれば良いのか。いや、そんなことを考えている余裕はない。
「──だ、いじょうぶ」
 義遠が片手を上げて私を制する。
「お、おい、本当に大丈夫なのか」
「ああ……いくら偽物とはいえ……」
 義遠は咳き込みながら続ける。
「柄の部分は……かなりの勢いで……体にぶつかったんだ。ダメージがまったくないわけじゃ……ない」
「だったらなんで、あんなにも勢い良く突き刺すんだよ。思い切りが良過ぎるだろう」
「本物……の場合、傷口が複雑だと……治療がやりにくくなる」
「そうなのか?」
「たぶんそうだ」
 良くもまあ、こんな状況で適当なことを言えるものだ。さすがの義遠も、偽物を選んだたことで安心しているのだろう。
「初戦は……僕の勝ちだ」
 義遠は立ち上がり、ナイフを鞘に収める。残ったナイフは三本。本物を選ぶ確率は三分の一。義遠が偽物を引いてほっとしたけれど、未紀が本物を引いた場合も、すぐに助けを呼べるよう、気持ちの準備をしておかなければ。
「次は君の番だ」
 義遠はナイフをテーブルに置き、未紀を見据える。だが、未紀からの返事がない。義遠がナイフを思い切り突き刺したことに彼女も驚いているのかと思ったが、先程までの余裕が、薄い笑みが表情から消えている。残った三本のナイフと、義遠が鞘に戻したナイフを必要以上に見比べているのは、ようやく本気になったということだろうか。
「わ、解っています」
 どうにか答えるが、これまでと違って焦っているように思える。
「何か拠り所を失ったのかな? それとも、三分の一の確率になって臆したのかい?」
 偽物を引いて余裕ができたのか、突っ掛るような発言をする。
「つっ」
 未紀は義遠を睨みつける。だが、義遠は動じない。
「埒があかない。君は僕を殺したいようだが、自分は死にたくないように思える」
「わ、私はあなたに勝ちます。だ、だから私は死にません」
「君は自分自身を信用できていないようだ」
「な、なにを言って……」
 義遠に断言されて、未紀は言葉を失う。
「僕としては、このようなゲームはやめてしまう、君が訪ねてこなかったことにして終わらせたいのだが、君にも意地やプライドがあるのだろう。引くに引けない状況になっていることは良く解る」
「わ、解ったようなことを言わないでくださいっ!」
 未紀の外見からは想像できないほどに声を荒げる。
「では、こうしよう。胸ではなく手を刺す」
 義遠はテーブルに左手を着けて、右手で軽く叩く振りをする。
「これなら君も僕も死ぬことはない。僕は京一君を守りたいだけで、君をどうこうしたいとは考えていない。僕が負けたら、君が最初に言った約束は守る」
「な……」
 義遠の提案を未紀はしばらく迷っていたようで、すぐには返答できなかった。あれこれ考えたのだろう、そのうちに、以前の落ち着きを取り戻したようだ。
「解りました。受け入れましょう」

 6
「京一君、救急車を呼ぶ必要はなくなった。君がするのは応急処置だ」
「だけど義遠、そう都合良くガーゼや包帯なんて持っていない」
「ハンカチくらい持っているだろう。とりあえず、止血ができれば充分だ。それ以上は専門家に任せるしかない」
「ああ、そうだな」
 一時はどうなることかと思ったが、未紀が義遠の提案を受け入れたことで、被害は最少に抑えることができる。まったくの無傷というわけにはいかないだろうけど、胸を刺すよりはずっと良い。
 不安が減ったのは未紀も同じだったのか、ようやくナイフを手に取る。私と義遠から見て左端、未紀から見て右端のナイフである。左手をテーブルに着けて指を広げる。右手で持ったナイフを勢いよく左手の甲に叩きつける。
「うっぅ」
 義遠と同様、刺すと決めたら未紀も躊躇わない。刃が鞘に収まったのか、未紀の手に刺さっているのかはやはり判断できない。がくんと頭が下がり、テーブル倒れ込む。
「だ、大丈夫か?」
 私が声を掛けても、未紀はすぐに動けない。
「まったく……お友達は……私の負けを願うべき、でしょう」
「いや、それは」
 未紀はゆっくりと立ち上がり、ナイフを手の甲から離していく。徐々に刃が延びていくのが解る。未紀が選んだのは偽物らしい。義遠の勝ちを願っているのは確かだが、未紀に怪我をさせたくないという思いもある。
「ほら、柄の部分が当たるだけでもかなり痛いんだぜ。すぐに立ち上がるのは無理だろう」
 自分が痛がったのは演技ではない、と義遠が強調している。痛みが解るせいか、未紀の呼吸が整うまで待っているようだ。
「お待たせ……しました」
 未紀はナイフ鞘に戻す。残ったナイフは二本。次に義遠が偽物を引けば義遠の勝ち。残った本物を未紀に刺せとは言わないだろう。私としては、当然こちらを期待している。胸から手に変わったとはいえ、怪我人が出ないで済むに越したことはない。
 反対に、義遠が偽物を引いたら未紀の勝ち。義遠は傷を負った上、未紀との約束を守らなければいけない。事件を起こすと宣言している人物に、今後一切関わらないという。匣屋敷での言動からするに、犯罪者を野放しにすることなど、義遠には耐えられないに違いない。
 まさか、それを見越して、もっとも義遠にダメージを与えられる方法として、未紀はこのような条件を突きつけてきたのではないか? 万が一、義遠が負けることを考えると、このようなゲームをさせるべきではなかったと思うが、ここまでゲームが進んだ以上止めることはできないだろう。
「僕から提案がある」
 義遠が言う。
「提案? またですか?」
 偽物を選んだせいか、未紀の言葉に余裕が戻っていた。
「残ったナイフは二本、僕がどちらかを選ぶとゲームは終わる」
「ええ、そのようなことは言われなくても解ります。もしかして、二分の一の確率で臆したのですか?」
 先程義遠に言われた言葉を、未紀は言い返す。根に持つタイプなのかもしれない。
「ナイフの選択を君に任せよう」
「え?」
 義遠が何を言っているのか、咄嗟に理解できなかった。それは未紀も同様らしい。
「お、おい義遠。それはいったいどういう意味だよ」
「そのままの意味さ。僕が刺すナイフの選択を、彼女に任せると言ったんだ」
「な、何を考えて……?」
 義遠の発言が予想外だったのか、未紀は上手く言葉を続けられない。
「さっきも言ったが、僕がこのゲームを受け入れたのは京一君の安全を守るためだ。君にはきちんと負けてもらいたい」
「そ、それは、どういう……意味ですか?」
 このときの未紀の思いは、私と同様だろう。いったい義遠は何を考えているのか。
「君に言い訳を与えたくない。僕が勝ったあと、自分が後攻だったから負けた、先攻なら勝っていたなどと思われて、約束を反故にされてはたまらない」
「そんなことは……」
「君が選んだナイフを僕は使う。これなら、君に言い訳は生じない。自分の選択で負けるなら、君も諦めがつくだろう」
「っつ」
 義遠の言葉に未紀は怯む。義遠の言うことが解らないわけではない。これまでの言動から、未紀が信念とプライドを持っているだろうことは窺える。義遠の決断ではなく、未紀自身の決断で負けたのなら、口約束とはいえ、受け入れざるを得ないだろう。
「僕はべつにどちらでもいい。君が約束を守ってくれるのであれば」
 義遠は未紀を見据える。数秒の沈黙のあと、未紀はあくまで冷静に言う。
「解りました。その傲慢を後悔させてあげましょう」

 7
 未紀はテーブルに残った二本のナイフを見比べている。本物を選ぶ確率も、偽物を選ぶ確率も、ともに二分の一。
 義遠の言葉通り、未紀が選んだナイフで義遠が勝つのが理想だが、そう上手くいくものだろうか。義遠のことだから、自身の発言を翻すことはないと思うが、それがこの先、探偵としての彼に影響を与えてしまうのではないか。二分の一の確率とはいえ、私には不安の方が大きい。
「何を心配そうな顔をしているんだい。手の甲をざっくり刺したところで、致命傷には至らない。しばらくは使い物にならないだろうが、死ぬということはない。彼女が僕の提案を受け入れてくれたおかげだよ」
「それは、そうだけど……」
 納得のできる言い分ではないが、義遠と未紀が選んだこの展開を見守るしかないようだ。
「決めました。こちらのナイフを選びます」
 未紀は右側のナイフ、義遠と私から見て左側のナイフを手で示す。
「解った。最後のゲームを始めよう」
 義遠は指定されたナイフを手に取った。左手を開いてテーブルに着けて、右手を振り上げる。
「なあ、義遠。そこまで手を上げることはないんじゃないか。もしもの場合を考えて、もっとゆっくり振り下ろした方が」
「何を言っているんだ。本来なら死ぬかもしれないゲームだったんだ。譲歩してくれた彼女に、最低限の誠意を示さなければいけないだろう」
 こんな馬鹿げたゲームに誠意も何もないと思うのだが、私の言うことなど聞かず、義遠はナイフを持った右手を、思い切り左手の甲に叩きつける。ぐっという鈍い音は義遠の悲鳴かナイフが手に突き刺さった音か。見守っているこちらの方が緊張する。
 義遠はナイフを握った右手を左手から離す。立ち上がり、左手の甲を未紀に見せる。
「それに……僕が偽物を引いたことを、はっきりと彼女に伝えることができる」

 8
「っう」
 未紀が言葉にならない呻き声を上げる。
「どうして……そんな……」
「君が選んで君が外した。これ以上に見事な負けはないだろう」
 未紀は何も答えない。赤い顔で義遠を睨みつける。目には涙が浮かんでいた。義遠は手に持ったナイフを鞘に戻し、残ったナイフも鞘に入れる。
「決着がついた以上、君がナイフを刺す必要はない。さっきも言ったが、約束を守ってくれればそれでいい」
 義遠は、鞘に仕舞ったナイフを集めて未紀の鞄を手に取る。勝手に鞄を開けて、ナイフを放り込んでいく。ナイフを入れ終ると、鞄を未紀に差し出す。泣いている女の子には、さすがの義遠も親切になるらしい。
「本来なら、君の指紋が残ったナイフは預かっておきたいところだが、君が約束を守ってくれると信じよう」
 未紀は目を見張る。
「わ、私の言ったことを信用するんですか?」
「何を今更。そうでなければ、こんなゲームを受け入れることはしなかった」
 義遠の言うことに、未紀はどう答えようか迷っていたようだ。
「……解りました。私の負けを認めましょう」
 未紀は義遠から鞄を受け取り、素直に頷く。制服の袖で目を拭い、顔を上げる。
「ただし、それは今回限りです。次も私が負けるだなんて思わないでください」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。次なんてないだろ。それが約束なんだから」
 驚いた私は、慌ててふたりの話に割って入る。
「いや、彼女との約束は、京一君や織倉さんは傷つけないという誓いで、僕自身は含まれていない」
「ど、どういうことだよ」
「彼女が再戦を申し込むのであれば、僕はそれを受け入れるということだ」
「な、何を言っているんだ?」
 冷静に言う義遠に対して、私は落ち着いていられない。
「なるほど、あなたはそういう人なんですね。負けた以上に収穫がありました」
 未紀の顔はまだ赤いが、涙は止まっているようだ。
「それは良かった」
 飄々と言う義遠を睨みつけると、未紀は鞄を持って駆け出す。慌てているのか、扉の開錠に手間取っていた。ようやく廊下に出ると、図書室の扉を大きな音を立てて閉める。入ってきたときとは随分な違いである。
「やれやれ。まさかあのような手合いが出てくるとはね」
 一段落ついたように義遠が言う。
「やれやれ、じゃないだろ。あの子をあのまま返して良かったのか? せめて身元をはっきりさせるとか、なんらかの対策をしておくべきじゃなかったのか?」
「彼女が帰ってくれただけで充分だろう。もう少し長引いていたら、もっと面倒なことになっていたよ」
「それはどういう……」
 義遠に訊き掛けたところで、聞き覚えのある足音が近づいてきた。
「ちょっと、どういうことよ。さっきの子、泣いてたじゃない」
 なつみは乱暴に扉を開けると、私たちの許へ近づいてくる。
「ほらね」
「確かに、これは」
 義遠と小声でやり取りをする。既に泣き止んだと思っていたが、図書室を出て再び泣き始めたということか。あるいは、なつみが目敏く涙の跡に気づいたのだろうか。
「入谷君が何か言ったの? 一緒にいた京一はなんで止めないのよ」
 テーブルを挟み、なつみは義遠と私に捲くし立てる。
「いや、言われたのは僕の方だ。彼女の要求が無理難題だったから、懇切丁寧に説明して諦めてもらった。彼女が感情的になった場面もあったけど、最終的には納得してくれたよ」
 義遠の説明は間違ってはいない。だが、これだと妙な誤解を招きそうだ。
「な、納得してくれた? あの顔を見て良くそんなことが言えるわね。あの子はきっと、勇気を出して、大変な想いや気持ちを持って、あなたに会いに来たんだよ」
 なつみの指摘も何故か合っているのだが、私も義遠も、詳しい説明をするわけにはいかない。義遠同様、なつみも思ったことをそのまま口にする傾向があるので、私が止めに入る。
「大丈夫、義遠はこういう奴だから、言い方はぶっきら棒だったけど、彼女が納得してくれたのは本当だ。最後には、義遠の言い分を受け入れてくれたよ」
「本当に……?」
 なつみは、義遠をちらと見てから私に顔を向ける。
「あ、ああ。本当だ」
 義遠に再挑戦するという、妙な約束を取りつけられてしまったが。
「そう、それならいいけど。今度、あの子に会ったら、私からも謝っておかないと」
 どうしてなつみが謝る必要があるのか、私や義遠の保護者でもあるまいに。とはいえ、未紀が約束を守ってくれるなら、なつみと顔を合わすことは今後ないだろう。
「ただ、見覚えのない子だったんだよね。そりゃあ、生徒全員の顔と名前を知っているわけじゃないから。普通科の子?」
 なつみが一般的なことを言ってくれて安心する。全校生徒の名前を憶えている義遠が特別なのだ。
「い、いや、特進科じゃないのか。すごく、賢そうだっただろ」
 私は慌てて、適当なことを言う。
「あ、そうかも」
 普通科と特進科は東校舎、英数科は西校舎へ教室が振り分けられている。私と義遠は普通科、なつみは英数科なので、彼女が特進科の生徒だから会ったことがない、という理由で納得してくれたようだ。
「そうだ。用事も終わったのなら、図書委員の子を呼んでくるね」
 いつものことだが、一方的に言うことだけを言うと、なつみは駆け足で図書室から出ていった。ついさっき見た光景なのだが、なつみのそれは未紀と違ってたどだとしい。なんだろう、ペンギンが慌てて走っていくような。などと、馬鹿なことを私は考えてしまった。先程までの緊張感が緩和されたのかもしれない。
「……それにしても、偽物ばかりを良く選べたな。最後は相手に引かせたわけだけど。これが、名探偵が持つ強運というものかい?」
「何を言っているんだ、君は? 探偵に必要なのものは推理力だ。運じゃない」
 呆れたような口調で義遠は言う。
「え、だって。偶然が重なった幸運だろう?」
「良くもそこまでお気楽に考えられたものだ。まあ、君を騙せないようでは、彼女を騙すことなんてできなかっただろう」
「ど、どういうことだ?」
 私には、義遠が何を言っているのかが解らない。
「僕が勝ったのは運じゃない。推理による行動の結果だと言っているんだよ」

 9
「な、なんだって。この勝負はジャンケンのようなものだと、何度も言っていたじゃないか」
 私はつい声を荒げてしまった。
「あれは彼女に聞かせるためだ。このゲームには運の要素しかない。それでも、大切な人を守るには、運に頼った勝負も受け入れなければいけない、と」
「い、いや、ちょっと待ってくれ。それは、偶然勝ったわけじゃない、推理の結果だと言うのか?」
「だからそう言っているじゃないか」
 当たり前のように言うが、私には義遠が何を言っているのかが解らない。
「もしかして、本物と偽物の区別がついたのか? それなら、先攻を選べば勝つことができる。自分は偽物を選んで、相手に本物を残せばいいんだから」
 そう言ってすぐ、私はおかしなことに気がつく。
「いや、最後の選択を彼女に任せたんだから、区別がついても意味がない。彼女が本物を選んだら、負けていたのは義遠だった……」
「そこまで解れば、あと少しだ」
 義遠は嬉しそうな顔する。だが、いくら考えたところで、私にはこれ以上が解らない。
「いや、ここまでしか解らないんだ。君がいったい何をどう考えたのかを教えてくれ」
 私が諦めて頼むと、綻んだ義遠の表情が崩れる。そんな顔をしないで欲しい。私には何がなんだか解らないのだ。
「できればもう少し考えて欲しかったんだが。……まあ、これ以上はやめておこう」
 何か思うところがあるのだろうが、とりあえず、義遠は説明をしてくれるようだ。
「最初に言っておくと、彼女が持ってきたナイフ。本物と偽物を見分けることはできなかった。彼女が入れ替えたあとは、本当にさっぱりだ」
 潔過ぎるほどにはっきりと言う。
「じゃ、じゃあ、どうしようもない。やっぱり、ジャンケンじゃないか」
「だからこその推理だよ」
「どういうことだ?」
「僕が推理したのは彼女の行動だ。もっとも、この場合は推測と言った方が適切だろう」
「本橋未紀の推測?」
「ああ、彼女が僕の解決した事件の話をどこかで聞き、物珍しさで会いに来たというのであれば、ただのミーハーな女の子で済むだろう。実際、そういったことはこれまでにもあった」
「え、そうなのか?」
 常に一緒にいるわけではないから、そのようなことがあっても当然だろう。その割には、義遠の交友関係が広がっているとは思えない。
「たぶん、君が想像しているのは同年代だろうけど、僕を利用しようと考えた大人ばかりだよ」
「あ、そういうことか」
 それはそれで大変だと思うが、義遠はさらりと流して先を進める。
「先程も言ったが、彼女はうちの鞄に制服、ゲーム用の精巧なナイフを用意した。更には図書室が空いている時間帯、放課後に僕がいることまで把握していた。探偵と呼ばれた高校生を一度見てみたい、といった好奇心ではないだろう」
「確かに」
 私は最初、同じ高校の生徒が噂を聞いて義遠に会いに来たと思っていたのだが、まったく関係のない人物であれば、余りにも用意周到過ぎる。
「僕に死んでもらいたいという動機は本当だろう。ゲームで殺せればそれで良し、仮に僕が降りても、負けを認めることで、事件には介入させないという約束を受け入れることで、僕を精神的に追い込むことができる」
「精神的に?」
「当然だろう、目の前に犯人がいるのに、それを指摘できないなんて苦痛があるだろうか」
 その口調から、義遠が負けた場合、約束をきちんと守っただろうことが窺える。
「いや、義遠の行動を制限したいのなら、あんなゲームをする必要はない。実際、僕もなつみもあの外見に騙されていた。言い方は悪いけど、義遠を刺して、そのまま逃げてしまった方が、手っ取り早かったんじゃないのか?」
「それは解らない。彼女の中での正義感、正当性というものがあったんだろう。不意打ちはできない、あくまで僕の同意を得てからと」
 解らないことはないけれど、納得のできる理由には思えない。
「とはいえ、彼女が勝つ方法を用意しているだろうと考えた」
「それはつまり、インチキというか、イカサマということか?」
 驚いて、私は声を上げた。
「おかしくないか。正当性を重視しながら勝つ方法を用意しているって」
「だからそこは推測だ」
 義遠は改めて言い直す。
「彼女がフェアにゲームをしてくれるなら、勝敗は五分五分だ。だが、なんらかの仕掛けを用意されていたら必ず負ける。それだけは避けないといけない。僕は、彼女が自分に有利な条件でゲームを始めようとしている、と考えた」
「いや、待ってくれ。彼女が用意したのはゲーム用のナイフで、何も仕掛けていなかったら、義遠の方が反則をすることになるじゃないか」
「やはり君は、そういうところを気にするんだね」
 何故か、義遠は嬉しそうに言う。
「彼女の要求を考えたら、それくらい許して欲しい。いいかい、僕がしなければならないのは、何よりもまず京一君を守ることだ。彼女に勝つことではない」
 未紀の真意が解らない以上、私やなつみ、生徒たちのことを考えてのことだろうけど、アンフェアな感じが否めない。
「とはいえ、彼女が負けたことで、勝つ仕組みを用意していたことが証明された」
「どういう意味だ?」
「つまり、僕と彼女の勝負は、互いに反則を使ったフェアプレイだったというわけだ」

 10
「その理屈はおかしいだろ。相手が反則していたから、こちらも反則してもいいって」
「それなら、彼女の突然の申し入れを先制攻撃と考えればいい。僕が取ったのは、それに対する防御策だと」
 義遠のおかげで助かったとはいえ、なんだか上手く丸め込まれているような気がする。いや、それよりも。気になることを言わなかったか。
「彼女が負けたことで、反則が解ったとはどういう意味だ?」
「ゲームのルール外を利用するのも、ゲームに含むと僕は考えている」
「頼むから、僕に解るように説明して欲しい」
 いつものことだが、義遠の説明は言葉が足りない。本人にしてみれば、当たり前で解り切っていることを説明するのが面倒なのかもしれない。
「そうたね、織倉さんが戻ってくる前に終わらせよう。せっかくの偽装が台無しになってしまう」
 あれはなつみの一方的な勘違いのような気もするが、義遠が未紀に勝った以上、余計な情報は与えない方が良い。未紀が約束を守ってくれることが、前提になるのだが。
「さっきも言ったけど、彼女は自分が勝つことを前提に、勝負を挑んできたのだと僕は考えた。互いの胸に刃物を刺すゲームなんて、普通は考えられない。それを淡々とできるのは、自分が負けても構わないか、自分が勝つことを確信している場合。そのどちらかだろう」
 その意見には同意する。だが、そんな勝負を受け入れる義遠も普通ではない。あえて、口に出して言うことはしないが。
「そこで僕は、安全策を取ることにした」
「待ってくれ、そこが解らない。彼女はなんらかの仕掛け、トリックを用いていたようだけど、それが何かは義遠も気づけなかったんだろう。解らないトリックを、どうやって防ぐんだ?」
 義遠は驚いたような、むしろ私の発言に呆れたような顔をする。
「何を言っているんだい? トリックを仕掛けたとすれば、ゲームに勝つためのものに決まっているじゃないか。それならば、自分が本物のナイフを引かない、あるいは、僕に本物のナイフを引かせる、そのどちらかしかない」
 それはそうだろう。義遠が引くか、未紀が引くか、というゲームなのだから。
「単純に考えれば。彼女だけに解る、本物か偽物かを判断できる印のようなものがあったのだろう」
「いや、そうだと思うけど。簡単にできるものなのか。未紀は僕たちに、ナイフを確認させてくれたじゃないか。僕はともかく、義遠も解らない仕掛けなんてないんじゃないのか?」
 義遠にしては珍しく、驚いたような顔をした。しばらく言葉を継げられなかったが、やがて口を開いた。
「買い被り過ぎだよ。いくら僕でも、解らないことは解らない。例えば、京一君の未来だとか」
「どういう意味だ?」
「失言だった。それは気にしなくていい。彼女が仕掛けた方法としては」
 何故か義遠は、慌てて話を戻そうとする。
「彼女の視力が極端に良かった場合、僕らには見分けられない、傷や色合いなどを印として利用できる。あるいは、見た目ではなく重さ。ほんの些細な、ミリグラム単位の違いを把握できるのなら、ナイフを持ったときに本物か偽物かを判断することができる。とはいえ、いくら予想を重ねたところで、確証を得られなければ意味がない」
 なるほど、義遠の言うように、方法はいろいろとありそうだ。
「彼女の仕掛けをピンポイントで見抜くことができれば、それを逆に利用することもできただろうけど、そう都合良くはいかない」
「じゃあ、どうやって」
 私には、義遠の言う方法が解らない。
「簡単なことだよ。彼女が本物だと思っているナイフを、偽物のように思わせればいい。そうすれば、彼女は自身の仕掛けが上手くいかなかった、あるいは、僕に知られて利用されたのかもしれないと思い込む。その動揺を誘いたかった」
「そうか……そういうことか。彼女が負けたことで、勝つ仕組みを用意していたと解ったというのは」
 先程から義遠が言っていたことがようやく理解できた。未紀がフェアな勝負をしていれば、義遠が何をしたところで影響はない。未紀が本物だと思っていたナイフを義遠が胸に刺して無事だった場合、未紀は自分が勝つための仕組み、負けないための拠り所を失う。
「最初に義遠がナイフを刺して無事だったとき、彼女が驚いていた、冷静さをなくしていたのは、彼女が本物だと考えていたナイフだったということか」
 我が意を得たりという感じで、義遠は口許を綻ばせる。
「そう、その通り」

 11
「拠り所というのは、未紀の仕掛けたトリックのことだったのか」
 未紀にしてみれば、最初の勝負で義遠が本物を選んだことを知っている。義遠が躊躇わずに刺しても、躊躇って刺すことができなくても、どちらの場合も義遠の負け、勝負は未紀の勝ちになる。その展開が覆されたのだから、未紀の狼狽も当然だろう。
「僕がナイフを刺したあと、明らかに彼女の態度が変わった。冷静さを失っていた。それにより、僕の推測が正しいことが解った。とはいえ、勝負事に一喜一憂して、大袈裟に振る舞う性格ということもあり得る。そこで僕は、もう少し踏み込んだ。胸ではなく、腕を刺す勝負にしないかと」
 急遽ルールを変更するなど、それこそアンフェアではないかと思ったけれど、義遠には未紀の真意を探るという狙いがあったということか。
「彼女がトリックを用意していない、イカサマなど考えてもいなければ、突然のルール変更には応じることはない。実際に胸を刺したらとんでもなく怖かった、だから急に条件を変えるんですか、恥も外聞もありませんね、くらいの皮肉は言ってきただろう」
「まあ、そうかもしれない」
 そこまで具体的な科白ではないと思うが、未紀の性格を考えると責められるのももっともだろう。なるほど、未紀のトリックを確認した上で、義遠が更にトリックを重ねたというわけか。
「──いや、待ってくれ。未紀が仕掛けた目印は解らなかったんだろう? どうして最初のナイフに仕掛けがあると見破れたんだ? 全部のナイフに目印があると推理したのか?」
 今に始まったことではないが、義遠の言うことは解らないことばかりだ。
「質問が多いね。まあ、すべて同じことなんだが」
 何故か義遠は、ワイシャツのボタンを外し始めた。冷静を装っていても、冷や汗を掻いていたということだろうか。
「さっきも言ったけど、目印があるなら、彼女はそれを選ばない。僕に選ばせようとする。それが、彼女の用意した方法だ」
「本物を選ばせる? それは難しくないか」
 先攻と後攻で選択できるナイフの数は変わるが、選ぶのはあくまで義遠である。偶然はあっても、それを限定させることは難しいだろう。
「ああ、明らかに無理だろう。彼女ができるのは、自分が本物を選ばない、いずれ相手が本物を選ぶだろうというもの」
「それはつまり……」
「必勝法ではない、ということだ」
 私の言葉を引き継いで、義遠が言う。
「なんだか良く解らない。仕掛けを用意しているけれど、必ずしも勝てるわけじゃないというのは。命を賭けるなんてことをしない、負けたとしても罰則のないゲームにすれば良かっただけだろう」
「それは僕も同感だね。ミーハーな女子高生が、探偵と呼ばれる高校生と遊んでみたかったという好奇心であれば、押しの強い女の子もいるものだ程度にしか思わない。とはいえ、僕に死んで欲しいと言ったのは本心だろう。そうでなければ、あそこまで精巧に作られた、偽物のナイフを用意する必要はない」
「結局、どういうことなんだ?」
「推測だけど。彼女は僕を殺したい、けれどそれは通り魔的な犯行ではなく、あくまで僕がゲームに負けた場合のペナルティでなければいけない。今日は僕が勝ったから、彼女は大人しく帰ってくれた。再戦というのがどこまで本気なのかは解らないが、彼女の中で、守らなければいけないルールがあるのだろう。まあ、彼女の気持ちについて考えても切りがない」
 義遠に条件やルールを承知させたくらいだから、自身にも縛りというかルールのようなものを課しているのはあり得ない話ではない。ただ、それが人を殺す殺さないといった内容の場合、性格で済まされるものではないだろう。
「さっきも言ったように、僕は彼女がなんらかの目印、仕掛けを用意していたと僕は考えた」
 義遠がテーブルの上に文庫本を置く。占星術殺人事件の文庫本だった。
「それを確かめるため、使ったのがこの本だ」

 12
「いや、義遠が何を言っているのか、まったく解らないんだけど」
 義遠が示した文庫本を見ながら私は言う。義遠は呆れたような顔をして、私をしばらく眺めていたが、やがて口を開いた。
「少しは考えてから質問をしてもらいたいものだが。今の君には無理だと判断して説明しよう」
 ひどい言われ方をしているけれど、実際のところ、私には意味が解らないので説明を聞くしかない。
「本来なら、ナイフが本物であることを示すため、彼女は自分の腕を傷つけるつもりでいたようだが、僕が読んでいた文庫本を見て、これを利用しようと考えた。覚えているかい?」
「あ、ああ」
 いくら記憶力のない私でも、ついさっき起こったことまでは忘れてはいない。
「これは完全にイレギュラーな行動だ。僕や京一君、学校のことを入念に調べていても、彼女が訪れたその日、僕がどんな本を読んでいるかなど予想できない。たまたま、厚さのある文庫本だったから、これにナイフを突き刺した」
「それほど力があるとは思えないのに、簡単に刺さってびっくりしたよ」
「だが、それが彼女の失敗だ。僕はルールの説明を聞きながら、この文庫本を対策に使おうと考えた」
 義遠は文庫本を手に掲げる。
「対策に利用するって……え、まさか」
「そう、漫画やドラマで使われる古典的な方法だ、ポケットにライターなりペンダントを入れておき、ナイフや銃弾を防ぐという」
「は?」
 余りに単純な方法なのだが、それが意外すぎて上手く言葉を続けられない。
「でも、そう都合良くいくのか? ナイフが途中で引っ掛かって止まったら、明らかに不自然だ。彼女に見つかったら、その時点で義遠の負けになっていただろう」
「京一君、今、自分で言ったばかりじゃないか。随分と簡単に刺さったって」
「あ、ああ」
「あのナイフが充分に研ぎ澄まされていたのは君も見ただろう。だからこそ、こんなにも綺麗に穴が空いている」
 義遠は最初のページから最後のページまでを捲ってみせる。一見、不備はないように見えるが、未紀にナイフで突き刺されたため、鋭利な穴が何ページにも渡って続いているのだ。
「ところが、だ」
 義遠は文庫本を裏返してみせる。
「貫通はしていないんだ。テーブルに傷はついていない」
 裏表紙を良く見ても、表表紙のような穴は見つからない。未紀が本を置いていた場所にも、傷のようなものはない。
「思い切り突き刺せば、あのナイフは簡単に文庫本に突き刺さる。ただし、貫通はしない。それはつまり、胸を刺す振りをして文庫本を突き刺せば、彼女に胸を刺したように見せれば、本物のナイフを偽物だと思わることができる、ということさ」
 義遠は文庫本を胸ポケットに入れ、ブレザーの胸元を締める。未紀が来たときにワイシャツ姿であれば、突然の着替えは不自然だが、義遠は最初からブレザーを着込んでいた。偶然にも救われたということか。
「もし文庫本を貫通しても、致命傷には至らない。そう判断しての行動だ」
「おいおい、危ないことはやめてくれよ」
「それは今更という感じがするけどね」
 義遠はにべもない。
「そこから目を背けさせるため、京一君を守るためだとかなんとか、いろいろな理由をつけたんだ」
「なるほど、そういうことか」
 義遠の言動が過剰ではないかと疑っていたけれど、そのような戦略があったのであれば納得できる。そういえば、未紀がナイフの効果を文庫本で試したあと、荒唐無稽なルールに気を取られてしまったが、いつの間にか、テーブルの上から文庫本は消えていた。義遠が鞄にでも仕舞ったのだろうと考えていたのだが。
「でも、いったいいつ、そんなことを」
 目の前でやられたら、さすがに私も、当然未紀も気づいているはずだ。
「彼女がこの場所から離れ、君がナイフを入れ替えていたときだよ。僕が君と一緒に行動したのは、彼女との距離を離すためだ。ゲーム前は余裕があったのか、彼女が僕たちに背を向けてくれたのは幸いだった」
「それなら僕に教えてくれれば良かったじゃないか。義遠がナイフを胸に突き刺したとき、僕は本当に心配したんだからな」
「それは悪かった。謝るよ」
 そうは言うものの、本気で謝っているようには見えない。
「だけど、君が本当に驚いてくれたからこそ、彼女を騙すことができたんだ。君から安心感が漂っていたら、そこを彼女は見逃さないだろう。イカサマではないけれど、勝負を反故にされる、あるいはなんらかのペナルティを課せられる可能性があった」
 それは義遠の言う通りだ。最初からトリックを知らされていたら、私にはぎこちない驚き方しかできなかっただろう。そこを強気な未紀に突かれたら、義遠の奇策も無駄になってしまう。今回のゲームでは、義遠が私に詳細を離さなかったのが勝因か。
「いや、待ってくれ。そう都合良く、本物のナイフを引くことができるのか? 未紀が本物のナイフを把握できても、義遠には見分けられないんだろう。だったら、偽物のナイフを引くこともあったはず」
「そのときは、彼女も偽物を引くだろうから、次の機会に同じことをすれば良い。僕が彼女にナイフ二本の勝負を提案したのは、彼女の様子を見るという意味もあったけど、その時点で対策を考えていたからだ。先制して彼女の出端を挫きたかった。最後の選択を彼女に任せたのも、文庫本の仕掛けに気づかれないための撒き餌だ。これだけの準備をしたのに、感情的になるとしばらくは収まりがつかない感じの人だったからね。冷静さを崩し、落ち着きをなくさせれば、こちらの狙いから逸らすことができる」
 私にしてみれば推理も対策も立てようがなく、どちらかが怪我をしたらすぐに救助に動かなければいけないという心配で一杯だったのだが。義遠は、未紀よりも更に先の戦略と考えていたということか。
「当初は彼女の思惑通りだっただろう。けれど、最終的には僕の予想通りの展開に進んだ。もっとも、泣き出すとは思わなかった。自分の計画通りに行かなかったのが余程悔しかったんだろう」
 そうなのか? 私には、義遠に掛けられた言葉が意外過ぎて、それに喜んで泣いたのだと思うが。
「なんだかんだで、義遠にしてみれば充分勝てるゲームだったというわけか」
「いや、そんなにも簡単なものじゃない。ゲームの説明を聞きながら、対策を講じなければいけなかった。余裕というものはない」
「そう、だったのか」
 義遠が意外な言葉を口にするので、私は驚いてしまった。
「彼女の敗因は、僕に先攻を譲ったことだ。もし僕が後攻であれば、文庫本のトリックを試す機会は一度しかない。ここで僕が偽物を引いた場合、本物を見分けられる彼女は、当然偽物を引く。最後に残ったナイフは、引くまでもなく本物だ」
「ぎりぎりだったんだな。未紀がジャンケンか何かで先攻後攻を決めようと言ったら、さすがの義遠も危なかったわけだ。って、待てよ。何かおかしくないか?」
 義遠はにやりと笑う。
「ようやく君も気づいたようだね。彼女が用意した計画は、自分が負けないためのもので、必ずしも勝てるものではなかったんだ」

 13
「すべてのナイフを本物にしておけば、これは当然僕らが確認したあとにすり替えるという意味だが、本物と偽物の区別がつかない僕は、彼女に鎌を掛けることはできない。対して彼女は、僕が本物のナイフを使って助かったことで、イカサマを疑うことができる。それを理由に僕の負けを宣言されたら、大人しく従うしかなかっただろ。用意周到な彼女が、そのことに気づかなかったとは思わない。随分とちぐはぐな行動じゃないか」
「確かに……中途半端だとは思うけど、良心みたいなものがあったんじゃないのか」
 義遠は驚いたような顔をして私を見る。
「あれだけアンフェアな勝負をしておいて、良心も何もあるものか。彼女にしてみれば、勝てるならそれに越したことはないが、負けたところで自身が負傷しなければそれで良かった。自身が本物のナイフを選ばざるを得なくなったなら、適当な理由をつけて負けを認めればいい。僕にしても京一君にしても、刺さなければ負けを認めない、などという性格ではないからね」
 義遠が言ったように、彼女の気持ちを考えても埒が明かない。ただ、未紀のした自己紹介が、私は気に掛かっていた。
「ところで、連続殺人犯だとか、これから事件を起こすつもりだとか、あれは本当だったのか? 義遠に興味を持たせるための、適当な嘘だったのか?」
「さてね」
 義遠が曖昧な返事をするのは意外だった。
「ナイフを持ってあんなゲームを提案してきたから、そのままの意味で僕に死んでもらいたいと考えてしまったけれど、彼女の条件からすると、僕に探偵としての行動をやめてもらいたいという意味だったのかもしれない。目の前の犯罪を暴くことができないなんて、探偵の僕は死んだも同然だ」
「そうか、そういう意味にも取れるのか……」
 未紀の言うこと、展開が早いこともあり、冷静に考える余裕が私にはなかった。義遠にしてみれば、解決できる事件の解決を止められるのは、死ぬほど不本意なことに違いない。
「彼女にしても、それなりの意志を持って勝負を申し込んできた。本来の目的が果たせなければ、それは死んだも同然だったのだろう。それなら、互いにとって生き死にの勝負ということに違いはない。もっとも、僕が負けて死んでしまったら、彼女が起こす事件を止めようがないんだが」
 余計なひと言を足さないで欲しい。結局のところ、未紀の考えを確実に突き止めることは無理だろう。
「確かなのは、彼女が通り魔殺人の被害者の名前を名乗ったこと、ナイフを使ったゲームを僕とやりたかったということだけだ。元橋未紀というのは本名なのか、本当に連続殺人犯なのか、あれだけの接触だけでは解らない」
「だったら、ナイフは預かっておくべきじゃなかったのか。元橋未紀──というのが本当の名前かどうかは解らなくても、連続殺人犯人なのかどうかを指紋から調べてもらうことはできただろう?」
「あれは、僕の使ったトリックを彼女に見破られないためだ」
 ここへ来て、義遠はまたもや意味の解らないことを言う。
「え、どういうことだ?」
「おそらく彼女は、僕の使ったトリックには気づいていない。自分が負けたことで気が動転していた。彼女が冷静であったなら、僕が使ったナイフを調べて真相に気づいたかもしれない。すべてのナイフを一緒にしてしまえば、彼女が気づいたところであとの祭りだ」
「そうか、そういうことか」
 義遠自らナイフを鞄に仕舞って未紀に渡すので、随分と親切なことをするものだと思ったけれど、あれも予定通りの行動だったとは。
「もっとも、僕が使ったナイフを本物と指摘できるなら、それはリボンがなくても本物と偽物を区別できることを知らせるようなものだ。自分からアンフェアな勝負を持ちかけていたと告白する可能性は低いと考えた。ナイフを返したのは、もうひとつの理由の方が大きい」
「もうひとつ?」
 私は聞き返す。
「ああ、彼女が連続殺人犯かどうかの判断ができなかったからだ。仮に彼女が犯人だった場合、僕との勝負に負け、指紋まで抑えられたら、形振り構わず行動を起こしてくるかもしれなかった。君も見ただろう、冷静だったかと思えば急に怒って、果てには泣き出した。できるだけ理性を保った状態で、彼女に図書室から出ていってもらいたかった。今後、どのような形でコンタクトを取ってくるのか、あるいはこのまま離れてくれるのかは解らない。ただ、今日に限っては、君たちを守るため、最善の方法を採ったと僕は考えている」
「え、僕を守るというのは、建前じゃなかったのか?」
 なつみならともかく、私が義遠に守られるようでは情けない。
「やれやれ、君は君で僕の言ったことを簡単に信用し過ぎだ。親しい人間が相手でも、少しくらいは警戒をした方が良い」
「どういうことだ?」
 相変わらず、義遠は煙に巻いたような言い方をする。こういうときに、詳しく訊いても答えてくれないことはこれまでの付き合いで解っている。
「まあ、彼女の指紋は無理だったけど、ナイフの指紋は取ることができた。今回はこれで充分だろう」
 説明することはもうないのか、義遠は文庫本を開いて続きを読み始める。そんな彼に私は突っ込む。
「ナイフの指紋ってなんだよ」

原稿用紙換算75枚
執筆2日(2003年4月21日開始)
再開98日(2019年12月1日下書き78日終了)
執筆2日+再開98日=100日(2020年9月19日執筆終了)


 あとがき

 16年振りの入谷義遠シリーズになります。といっても、12年半は別の小説に費やし、それ以前は別のミステリと交互に執筆していたので、書き終るのが遅くなったというだけのことです。
 当時書き終えていたのは第4節まで、第5節以降が執筆再開後に書き始めた内容になります。さすがに16年経つと、僕の知識や情報もそれなりに増えていて、文章や構成なども変わっています。ただ、現在の僕が書き直してしまうと、過去の僕が書いた作品ではなくなってしまうので、当時書いた原稿を大幅に変えることはなく、明らかな矛盾点や、余りにもひどい文章を直す程度にして、続きを書くことにしました。当時書き終えていれば、内容や結末が違ったものになっていたと思いますが、それは今更どうしようもありません。
 本作のきっかけは、「殺人×美少女×密室×ゲーム」という、清涼院流水氏の『みすてりあるキャラネット』のコピーでした。清涼院氏の作品は、ゲーム上で起こる密室殺人を美少女が解くという内容ですが、僕はそのまま、「殺人美少女密室遊戯ゲーム」という、タイトル通りの物語を考えました。プロットというものはありません。城平京氏の『スパイラル 推理の絆』のような、対決ミステリを目指したものです。
 入谷義遠シリーズの完結へ向けての構想はあるのですが、10代のときに書き始めた作品であり、中二病要素も満載であり、40代に近づいている僕が書き続けられるものだろうかという心配があります(当初の予定では、本作に登場した本橋未紀が属する組織、「昭和55年生まれの子供たちフィフティ・フィフティ」に、義遠と京一が立ち向かうという展開を考えていました)。とはいえ、時系列に発表してはいないので、書きたい作品から書いていくのだろうと思います(入谷義遠と隻京一が出会ったエピソード、『箱屋敷殺人事件』は書いておきたいものですが)。
 本作のタイトルはKeyさんの『Kanon』のBGM「少女の檻」からの引用ですが、書き終えたあとで、「少女の降」あるいは「少女の折」もしくは「少女の澱」でも意味が通じることに気づきました。なつみが深く関わっていれば、「少女の織」というタイトルにもできたのですが。などという牽強付会はやめましょう。
 というあとがきを書いているたった今、「少女の織」というタイトルは、八千代シリーズに適切なことが解りました。いつか、このタイトルで作品を書くことがあるでしょう。とはいえ、今後しばらくは、2007年5月以前に途中まで書いていた作品、プロットを書き終えてある作品を書き上げる予定でいます。
 入谷義遠シリーズの次作発表がいつになるのかは解らないので、16年前に考えていた年表を公開しておきます。

 2020年9月19日 入谷義六


年表──入谷義遠シリーズ(きみにできるあらゆること)

1992年(小学6年時)
 「I県K市連続殺人」【入谷義遠自身の事件】

1995年(中学3年時)
 「魔法遣いの弟子」

1996年(高校1年生時)
 「匣屋敷殺人事件」【隻京一と入谷義遠が知り合った事件】
 11月上旬
 「本当は泣きたいのに」【織倉なつみ自身の事件】

1997年(高校2年生時)
 【2学期、京一のいる高校へ義遠が転入】
 9月第3週前半 
 「終末思想」【織倉なつみと入谷義遠の初顔合わせ。2年生になると京一は、ほぼ毎日図書室へ通い、なつみが胡散臭い話を語るという生活が続いている、との記述あり】
 9月第3週と第4週の間
 「引き裂かれた少女」後に「似顔絵ジグザグ」と改稿予定。【義遠に『怪人二十面相』を紹介。この時期から京一は図書室へよく訪れるようになる】
 9月第4週後半
 「雨と夜」【義遠に『緋色の研究』を紹介】
 10月第2週
 「少女の檻」義遠は自ら選んだ『占星術殺人事件』(文庫版)を読んでいる。
 12月中旬(二学期期末試験後)
 「逃走経路」【この一週間後に修学旅行】

1998年(高校3年生時)
 11月9日
 「本当は泣きたいのに」(序章)【義遠がなつみの服装の変化に気づく】

1999年以降
 3月卒業式前後
 [タイトル未定]
 【義遠と京一のコンビでは最後となる殺人事件】
 【義遠による最後の事件をほのめかす証言】

 5月~9月
  「誰にも負けない」
 11月19日
  「入谷義遠最後の事件」【この事件の最終章が、「赤と黒」に繋がる】
 
  「赤と黒」【11月19日以降の話】

カテゴリー:入谷義遠シリーズ(きみにできるあらゆること)

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