神は大地に生きるに必要な物が、すべての生き物を充たすに足るだけの、再生産力を与えておいでになる。霊の書スピリチュアルメッセージ

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ーーー神は生の意欲を人間に与えておられますが、生きていく手段も常に与えておられたのですか。
 「そうである。人間にそれがいつも見えていないとしたら、人間が周囲の資源を利用する方法を知らないからである。人間に神が生命の愛を植え付けられたのは、生きていく手段を人間に与えておいでになるからである。従って、神は大地に、生きるに必要な物が、すべての生き物を充たすに足るだけの、再生産力を与えておいでになる。有用な物はすべて必要なものである。余っている物は有用でない」
 
ーーー大地は何故に、人間が生きるに必要な糧をたっぷり手に入れられる程、常に生産してくれないのですか。
「それは、人間が母なる大地に、感謝の心もなく顔を背けているからである。その上、人間は大自然にぶつくさ文句を言う、本当は自分のまずさのせいであり、自分の配慮の不足のせいであるのに。もし人間が満足の心を持つことが出来たら、大地は必ずや必要な糧を産み出してくれるのである。もし必要な糧のすべてが手に入らぬとしたら、それは、人間が必要のために産み出された物を、湯水のように使っているからである。砂漠のアラビア人を見よ。彼は常に生活の資を十分に持つ。それは殊更に余分の欲求を作らないからである。しかし、大地の生産物の半分が気まぐれな欲求のために消費されれば、後は欠乏が生じ、人間は驚かされることになる。もし飢餓のために、物が手に入らなくなったら、誰に向かって文句を言うのか。もう一度繰り返す。大自然に備えがないわけではない、人間が大自然の賜物の使い方を心得ていないのである」
 
ーーー<大地の賜物>この言葉は、単に土からの産物と受け取ればいいのですか。
「土は一切の生産物の源である。事実、すべての物は土から生まれた物の色々な変形なのである。この故に、人が此の人生で手に入れる物一切は、<大地の賜物>として理解すべきである」(明日に続きます)
 
今回は自己保存の方法という内容です。神様が生きていく手段を人間に与えられたのは、人間に生命の愛を植えつけたからだと言われています。なので、人間にそれが見えないとしたら、周囲の資源を利用する方法を知らないからなのだと言われるのです。神様は大地に、生きる上で必要な物を、そしてすべての生き物を充たすのに十分な再生産力を与えて下さっていると言われています。それなのに人間は母なる大地に、感謝の心もなく顔を背けていると言われ、更に人間は大自然にぶつくさ文句を言うと呆れておられます。それは、大自然に文句を言う前に自分のまずさのせいであると、自分の配慮の不足のせいと反省すべきだと言われるのです。仮に人間が満足の心を持つこと出来れば、大地は必ず必要な糧を産み出してくれるのだと言われています。また、必要な糧のすべてが手に入らないとしたら、それは、人間が必要のために産み出された物を湯水のように使っているからだとも言われているのです。大地の生産物の半分が勝手な欲求のために消費されれば、欠乏のみが生じ、人間は驚かされることになるとのことですが、飢餓のために物が手に入らなくなったら、誰に対して文句を言うのかと人間に厳しく断じています。そして再度肝心なことを繰返されます。大自然に備えがないわけではないと、人間が大自然の賜物の使い方を心得ていないのだと。私達人間はこのことを心に深く刻む必要があると思います。そして、更に大事なことを言われています。人がこの人生で手に入れる物一切は、大地の賜物として理解すべきであると。今は農作物が困窮している問題を抱えており、政府は農作物にお金をかけるよりも、コオロギ食に補助金を与えたりしていましたが、今回の内容からも、間違っていることは明白です。またコオロギは人間の食べる物ではないと私は思っています。

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