周明の死が悲しくて、私も迷走
NHK大河ドラマ「光る君へ」第47回「哀しくとも」が12/8に放送された。前回終わりで賊の矢を左胸に受けた周明は、やはり絶命。か細い声で、泣き叫ぶまひろに「逃げろ」と言う、切ない最期だった。
乙丸に引っ張られ逃げなかったら、まひろは周明のそばで泣き続けて同様の害を被っただろう事は容易に想像できる。乙丸、姫様を守り切ったね。ナイス。いつも役立たずみたいに書いてゴメンよ。今回、乙丸はきぬとの約束通り、まひろを守り切り、京に連れ帰った。大活躍だ。
公式サイトからあらすじを引用する。
(47)哀しくとも
初回放送日:2024年12月8日
まひろ(吉高由里子)たちは異国の海賊との戦いに巻き込まれ、敵の攻撃で、周明(松下洸平)が倒れる。一方、朝廷にも攻撃による被害状況が伝わり、動揺が広がる中、摂政・頼通(渡邊圭祐)は対応に動かず、太閤・道長(柄本佑)への報告も止めてしまう。そんな事態を歯がゆく思う実資(秋山竜次)の元に、海賊との戦いを指揮する隆家(竜星涼)から文が届く。やがて異国の脅威を知った道長は、まひろの安否が気になり…。((47)哀しくとも - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)
まだしつこく書くと、私的には、まひろが周明とどこかに逃げちゃっても全然良かった。紫式部の最期ははっきりしないらしいので、まひろに思いきって周明との人生を用意してあげても、罰は当たらなかったのでは?
でも、そんなことをしたら、まひろ大好き道長が、倫子様が止めるのも聞かず、まひろ探しの旅に出るのは必至。テレビの水戸黄門みたいに全国周遊、あちこちに道長が出没する。その時、道長は半泣きの三郎の顔をぶら下げていて・・・それじゃ可哀そうすぎるか。
妙な妄想はここらへんで止めておこう。周明の死骸がそのまま海辺に晒されている様がわざわざ映ったのが悲しくて、無理くり変なことを考えてしまったよ。当時の庶民の葬られ方って基本的にどこかに放置だったらしいので、仕方ないのだね。
しかし直秀のように、まひろが手掘りで周明を土葬する流れじゃなくて良かった。最近、私は庭を小さい畑にしようと少し掘り返しただけで、縦横無尽に張ったススキの強力な地下茎ネットワークに手を焼いた。改めて考えても、道長とまひろは直秀の一座を葬った時には、どこかで「ご自由にお使いください」の道具を見つけて使ったとしか考えられない。
まひろの哀しみを見守る隆家
さて、まひろ。演じる吉高由里子の表情は毎度本当に自然で、演技をしているとは思えない。矢が刺さるのを目の当たりにして叫び、死んでいく周明から引き剥がされて号泣しながら去っていく様子など、心揺さぶられる。
まひろは初回で母ちやはの殺害を目にして、またここで周明の死を間近に見るのか・・・なんと厳しい運命の主人公。もう最終回前なのに、容赦ない。それを吉高が演じているのがオーバーじゃなく説得力があるのだよなあ、ずっと思っていたけれど。これだから1年を通じて「光る君へ」の物語にも没入できたのだよね。道長役の柄本佑の演技力をくれ~と言っているのをどこかで見たけれど、あなたこそ本当に実力のある女優さんだよと私は思ってるよ。
その表情豊かなまひろが、ぎこちなく暗い表情が基本のまま、半年以上を大宰府で過ごしていた。刀伊の入寇で博多が襲われたのは4月上旬、そして隆家が太宰権帥を辞めて帰京するのが12月とのことだから、春から冬へと季節は移り変わった。
画面でもその移り変わりが、まひろの背後で丁寧に表現されていた。双寿丸が「調子はどうだ?」と顔を見せた時には、まひろは着た切り雀だから衣装はそのままなのだけれど、背後にはセミの声が大きく響いていた。夏なんだよね。
この時に、まひろは「武功を立てるとは、人を殺めることではないの?」と双寿丸に固い表情で聞いた。彼は「殺さなければ殺される。敵を殺すことで、民を守るのが武者なのだ」と落ち着いて答えていた。
まひろにはアッと言う間なのだろうな。というか、周明に矢が刺さった瞬間から、今でも時が凍って止まっているのだろうと思う。
でも、まひろは、突かれればすぐにワッと泣き崩れる状態で、こんなにも大っぴらに周明の死を嘆き悲しんでいても差し支えない存在なのか?とちょっと心配になった。大宰権帥の隆家が優しくて良かったよね。
太閤様の訳アリの女人かと思ったら、周明の良い人だったのか・・・「そんな仲ではありません」と周明は否定していたけれど?と、隆家を始めとして大宰府では混乱したかもなあ。
ま、そんな野暮で杓子定規なことを言わず、泣くまひろを見守る今作の隆家は、かなりカッコイイ。
副音声:大宰府の宿所。御簾を下した部屋に、まひろ。
藤原隆家:邪魔をするぞ。
副音声:隆家が来る。
隆家:どうだ?調子は。(無言のまひろ)前よりだいぶ顔色は良くなったようだが・・・(溜息をつき、座る。乙丸が外に控える)俺も色々あったが、哀しくとも苦しくとも、人生は続いてゆくゆえ仕方ないな。
まひろ(藤式部):(生気がない)周明と一緒に、私も死んでおればよかったのです。
隆家:周明のことは、無理に忘れずともよいのではないか。ここで菩提を弔いたければ、ここにずっといても良い。好きにせよ。
まひろ:(声を出して泣きだし、とめどない。心配そうに見て、顔を伏せる乙丸。出ていく隆家)
泣いている人に「泣くのを止めて、早く忘れて」と声掛けするのがこれまで一般的(で害悪)だったと思うが、さすが多くの悲しみを経験済みの隆家は違う。「哀しくとも苦しくとも人生は続いてゆくゆえ、仕方ない」「無理に忘れずともよい」と言えるのは、そういうことだよね。栄華を極めていた一家なのに、自分以外は悉く、父没後に反転した運命に苦しみ死んでいったのだ。自分だって、気を緩めれば危なかっただろう。
大体、泣くのを止めろだの早く忘れろだのは、いくら優しげに言ったとしても、全然泣いている人を思って言っている言葉じゃない。自分が煩わしいからだ。泣いている人を見たくないからだ。それで泣く人を黙らせようとしている自己中なだけだ。
そういう自己中心的じゃない、真に泣く人を思いやれる言葉を掛けられるまでに人間的成長を遂げているのが、今の隆家であると思った。
まひろを動かしたのは乙丸
周明(と、周明と紡がれるはずだった自分の新しい物語)の死を哀しみ続けていたまひろの殻を破り、動かすことになったのは、乙丸だった。
双寿丸が夏にまひろの見舞いに来た時「あんたも早く健やかになってくれ。そうでないと、周明とて成仏できないぞ」と言った時、まひろは突けば泣く状態を少しは脱したのか、周明の名を聞いてもウンウンと頷いてはみせた。でも、それは真意を示してはいなかった。
雪の降る師走に入って、隆家がまひろに話をしに来た。
隆家:大宰権帥の役目を終えるゆえ、都に戻る。そなたはどうする?共に帰るか?(目を伏せるまひろ)ここに居りたければ、次の権帥(行成)に頼んでおくが。
乙丸:(廊下に控えていたが、まひろに向き直る)お方様!私はきぬに会いとうございます!
まひろ:(表情無く)ならば、乙丸だけお帰りなさい。
乙丸:おお・・・お方様!お方様も一緒でなければ嫌でございます!あんなことのあったここに居ては、なりませぬ!帰りましょう!帰りたい・・・私は帰りたい!都に帰りた~い!(横目で乙丸を見るまひろ)きぬに会いた~い!会いた~い!帰りた~い!帰りた~い!帰りた~い!(べそをかきつつ)帰りた~い!帰りた~い!(乙丸に驚きつつ、まひろを見る隆家)会いた~い!きぬに会いたい!(まひろ、うるさい→しょうがないわねという表情になってきている)お方様、帰りましょう!ねっ!帰りましょう!会いたい!帰りたい!帰りた~い!会いたい!帰りたい!お方様と帰りたい!(まひろ、顔に微笑みが浮かんで隆家と視線を交わす)帰りたい!帰りましょう!ねえ!(まひろ、隆家に頷く)
「(きぬに)会いたい」もあるのだけれど、「(お方様と)帰りたい」がなんと13回。乙丸の駄々こね力技でもぎ取った、お方様まひろとの帰京だった。今回のクライマックスというか乙丸はMVP、これは面白かった。乙丸の「帰りた~い!」を聞きながら、徐々にまひろの顔に生気が蘇っていくのがはっきり見えた。乙丸の自分を案ずる心情が伝わったのだろう。
「(お方様)帰りましょう!」は、いつも乙丸が口にしていたことだったけれど、まひろは少女期からほぼスルーして興味の向くまま散楽一座の基地などに突撃していたから、50歳にもなってようやく乙丸の言葉をまひろが聞き入れたのだなあと感慨深い。「民を思う心」を道長には言っていたのにねえ、灯台下暗しと言うべきか。
まひろが隆家と乙丸と共に帰京したのが年が明けての寛仁四年(1020年)。乙丸のこの上なく嬉しそうな「お方様のお帰りでございます!」に「お帰りなさいませ」「よくぞご無事で」と集まる、きぬ、いと、為時パパ、賢子がいるのだもの、「私は終わりなの」「居場所が無いの」との思い込みも、弱まっていくだろうか。
少なくとも、まひろは顔と目をまっすぐ上げて、家族の出迎えを受けていたのは進歩だった。その後、ハーッと息を吐いていたが。
まひろが帰京したことで、トラウマ体験から回復して一切OKになったかというと違う。そこら辺を、ドラマでは丁寧に扱っていると思った。さすがに脚本家の大石静がパートナーを亡くし、書けなくなった時期もあったというだけある。
まひろは為時パパが「彼の地では恐ろしい目に遭ったのか?」という問いには答えられない。まさにそうだったから。答えを逸らして双寿丸のことを賢子に伝えたりしている。自室に戻り、硯と筆の入った箱を見る時も、何か呆然としている。
心配していた彰子に呼ばれて面会しても、歯切れが悪い。
太皇太后彰子:久しいのう・・・よく来てくれた。
まひろ(藤式部):太皇太后様にはご機嫌麗しく祝着至極にございます。
彰子:旅の話を聞かせておくれ。大宰府で起きたことも。
まひろ:ああ・・・旅でのことは、まだ気持ちがまとまらず(瞳がオドオドとさまよう)・・・お話しできません。お許しくださいませ。
彰子:そうか・・・ならば、いずれ物語にすればよい。それを読ませてもらおう。
まひろ:もう、そのような力は残っておりませぬ。
彰子:早速呼び出して、悪かった。旅の疲れを癒してからで良いゆえ、再び女房として私に仕えておくれ。
まひろ:えっ・・・賢子はいけませんでしたでしょうか。
彰子:越後弁は優れた女房である。されど、まだ若く私の相談役とまではいかぬ。そなたにそばに居てもらいたいのだ。
まひろ:考える時を賜りたく存じます。
彰子:それで良い。待っておる。
太皇太后様を前にしても、まひろはかろうじて会話が取り繕えているような状況で、心の傷が丸出しだと言ってもいい。それを見て取って、対応している彰子が優しい。
元々が気難しい性格のまひろ。そこに周明の死の目撃と別れ。幼少期に母が殺害されたのは「自分のせい」と思った心の傷もぶり返したのかもしれないよね。こうなったら時間が要るよ。ここら辺が本当に丁寧に描かれている。
書くことで心を癒せるのだよね、まひろ。それを思い出してほしい。
そうそう、乙丸が無事に帰ってきぬにお土産の紅を渡すことができていた。まさに前回のブログで望んでいたことだったが、叶って安心した。オリキャラが簡単に無残に死ぬのは勘弁、と書いたのだが、本当に良かった。
京に居る道長は
刀伊の入寇での隠岐対馬の甚大な被害は、大宰権帥の隆家が都に急報していた。行成が摂政頼通に促され、報告書を読み上げた。
蔵人頭?:(早足で捧げ持ってくる)ただいま大宰府より飛駅にて、解文が届きました。
摂政頼通:大宰府?何事だ。(行成に目配せ)
行成:失礼。(文を受け取り、朗読)「刀伊の賊、対馬壱岐に来着、殺人や放火を行う。船50艘、50~60人が乗っており、人ごとに楯を持ち、前陣は鉾、次陣は太刀弓箭である。馬牛を斬っては食い、老人子どもは全て殺され、男女を船に乗せて穀物と共に運び去った」とのことでございます。
頼通:対馬、壱岐の者がどれほど殺められたのか・・・。
行成:この解文では人数は分かりませぬが、多くの民が殺されておるやもしれませぬ。このこと、すぐに太閤様にもお知らせいたします!
頼通:待て!父は、もはや政に関わってはおらぬ。心配をかけてはならぬ。
行成:されど・・・!
頼通:黙っておれ!
この後のシーンでは、実資が自分への隆家の急報を、道長に見せに来ていた。隆家は報告を握りつぶされるのを恐れ、九州に権益のある実資に送ったのだろう。
この時のドラマの頼通に見えていたのは、偉大な父道長と、常にまだまだと評価されている新米摂政の自分の姿だけのようだった。意識はそこにあるので、大宰府が訴える被害を真に考えられないでいる。それで、行成が道長にも伝えようとしたのに却下している。
とはいえ、その行成は北九州の危機に的確に敏感だったわけでもなさそう。大宰府のチーム隆家への褒美について、朝廷から討伐の命を下したのは戦いの済んだ後だったのだから、その前の私的な戦いには褒美は無用、という四角四面なことを陣定で言いおった。
史実でもそうだったようなので、彼が隆家の後任の大宰府の長だったと聞くと、現地の武者の活躍を軽んじた彼への反発はすごかったのではないかと心配になる。もしもここから朝廷が適切に褒賞で報いていく伝統ができあがっていったら、武士の世の出現は遅れたのだろうか。
そして、もしも乙丸の「帰りた~い」の奮戦空しくまひろが大宰府に残ることを選択していたら・・・そう考えるとちょっと面白いな。
道長の特命によって大宰府庁舎内に宿所を与えられている太皇太后様の元女房(まひろ)が居ると知ったら、その元女房の道長との仲を推測して行成は涙にくれるかもしれないね。隆家のように、まひろに優しく見守りケアをしてくれるかどうか。
脱線した。行成に続き、公任が陣定で、大宰府のことは大宰権帥が解決すべきとか、大宰府で奮戦したチーム隆家には褒美をやらずに放っておけと冷たい発言をするに至ったのも、ドラマでは道長の対抗馬としての隆家に手柄を立てさせるまい、道長のために潰そうとの意識が公任に強く働いたためという設定だった。
実際に、隆家が大宰権帥の職を解かれて帰京したのも、在地武者とのつながりが強固に形成されるのを恐れてのことらしい。その決定にリアル公任がどこまで関与したかは知らないが、ドラマの公任には壱岐対馬の民の被害という視点は薄れ、焦点は隆家vs.道長になってしまっている。
そして、そのために動いた自分だったのに、道長は裏で実資と通じていたと・・・で、裏切られた!と嫉妬でいっぱい。ああ、公任が何たること。このドラマではいつの間にか行成のような道長ラブの立ち位置になっている。
確かに公任の言動に「あれ?」と思わないでもなかったこともあった。道長が出家して、泣いている行成に、俺までもらい泣きするとか何とか言っていた。公任の反応を見て、当時の出家の捉え方は自殺ぐらい深刻なものかと思って見ていたけれど、別の意味があったのかな。
道長に対して平静を失なわず、常に風見鶏のバランサーは斉信だけだ。
さて、道長は、侵略者襲来の知らせを受け取った時に、百舌彦と共に「大宰府?」と敏感に反応していたが、それはまひろの行き先だから。しかし、内心でまひろの安全をかなり心配しつつも(実は大部分そっちだったかもしれないけど)、それだけじゃなかった。まひろと直秀に誓った通り、民のことも忘れていなかった。
副音声:頼通を座らせる道長。
道長:この一大事に、お前は一体何をやっておるのだ。
頼通:私とて考えております。
道長:何を考えておるのだ。
頼通:山陽道、山陰道、南海道、北陸道まで警固するのはやり過ぎでございます。武者とて、容易には集まりませぬ。今少し様子を。
道長:民が!(庭から頼通へと視線を移し、立ち上がる)あまた死んでおるのだぞ!お前はそれで平気なのか。
頼通:(まっすぐ道長を見て)私は、摂政でございます!父上であろうと、そのようなことを言われる筋合いはございませぬ!これにて御免を被ります。(立ち上がり、去ろうとする)
道長:父は・・・(頼通、歩みを止める)口を出さぬゆえ。とにかく、備えは固めてくれ。それだけは頼む。
副音声:頭を下げる。去っていく頼通。
道長は、頼通に民の大切さを教え込んできたような場面が無かったし(御嶽詣でちょっと言ったぐらい)、自分だって川辺の誓いの時に、まひろに言われて鈍く反応していた程度だったのだから、今更ねえ・・・もう内裏という狭い中での肩意地の張り方で頭がいっぱいらしい頼通に言っても遅い気がする。
地方での国際的な一大事に対する中央での反応という点で、頼通、公任、実資、道長の違いが面白かった。もちろん、陣定で居眠りをする左大臣顕光(宮川一朗太)が最高にボンクラだ。老害をなかなか辞めさせられないのは昔も今も変わらない。
陣定で、朝廷による武力行使をはっきり否定しながら当時の公卿たちが政をしていたのは興味深かった。武力がいけないと言うのはこれも現代のようで、実はシビリアンコントロールのようなものが利いていたはずの時代だったのかなとも思った。
しかしもう、祈祷するばかりの政では機能しなくなる。隆家は、武力の重要性を語り、さらに武者を国守として取り立てるように働きかけていくと語っていた。次の、長きに渡る武士の世に繋がる、これが武士の台頭の萌芽なのだろうね。
父道長と娘賢子、母まひろと娘賢子
土御門殿ですれ違う道長に、頭を下げて控える賢子。完全に仕える立場の振る舞いだ。
道長:藤式部から・・・(賢子、振り返る)便りはあったか?
賢子:はい。先頃、まだ大宰府に居ると文が参りました。
道長:(背を向けたまま目を閉じて、安堵したように溜息をつき)ああ・・・そうか。(振り返り、賢子を見つめて)太皇太后様には、お目をかけていただいておるか?
賢子:(一瞬戸惑うが、笑顔になって)はい。
副音声:可憐な微笑みに、道長の頬も緩む。
道長:(笑って、満足そうに)うん。(去る)
副音声:道長の背を目で追い、一礼する賢子。
こんなに娘に優しい目を向けている道長、すぐにバレちゃいそう。他の子どもたちに知られたら、妬まれるだろうぐらいの目をしていた。
逆に、道長を見送る賢子の目は不思議そう。そうだよねー。まだ実父とは知らない様子。このまま最後まで知らずに行くのか?それとも、為時ジイジ辺りが伝え、そうと知って腹違いの兄との恋愛をストップさせるのだろうか。
道長は、一度は実資に聞いてもらおうと思って諦めた、まひろの消息をやっと聞けて安堵したようだった。賢子に聞くのが一番正しいよね。それで機会を待っていたのかな。三郎、本当に一途。
賢子とは、いつか父娘の名乗りを(秘密裡にでも)するのだろうか。賢子の出世は道長の娘だからと考えると腑に落ちるような気もする。太皇太后彰子とも、実は腹違いの姉妹だと分かりあう日が来るのだろうか。
一方、まひろは京に帰って賢子にも迎えられた。まだ、まひろは心の傷を受けてから本調子ではない。
賢子:母上の物語、読みました。幾度も。
まひろ:帰ってきたらどう思ったか聞かせてと言ったこと、覚えていてくれたのね。
賢子:人とは何なのであろうかと、深く考えさせられました。・・・母上は私の母上としてはなっていなかったけれど(笑)、あのような物語を書く才をお持ちなのは、途方もなく素晴らしいことだと敬いも致しました。
まひろ:(嬉しそうに下を向く)
賢子:されど、誰の人生も幸せではないのですね。政の頂に立っても好きな人を手に入れても、良い時は束の間。幸せとは幻なのだと、母上の物語を読んで知りました。どうせそうなら、好き勝手に生きてやろうかしらとも思って、さっき、光る女君と申したのです。
まひろ:よいではないの。(驚く賢子。まひろ笑って)好きにおやりなさい。ウフフ。
乙丸が一点突破しておいてくれたおかげで、かなりバリアが破けてきている感じ。まひろは自然な笑顔を賢子に見せた。波はあるだろうけれど、こうやって行ったり来たりしてメンタルが治っていく様子がリアルに見える。
これまでの映画などでは都合よくスパッと心の傷が治り過ぎていて、登場人物は鋼のメンタルばかりかと違和感があったものね。人間、そんなに簡単じゃないと思う。
倫子様あればこそ
土御門殿に呼ばれて太皇太后彰子に会ってから、まひろは道長とバッタリ出くわし無言で視線を交わした。
その時の道長は、まひろを見て生存確認ができた途端に、おおおーっと内心の強い喜びの盛り上がりが感じられたが、「お方様がお呼びでございます」と、まひろを呼ぶ女房の声が聞こえ、嫡妻倫子様の存在を知らしめられた途端、パッと顔にバリアーが張られたというか、そんな見え方がした。
そして、まひろが導かれていった先には倫子様が立っていた。初めて出会った時を思い出すな・・・と見ているこちらが思わされた時に、倫子様がまさにそのような昔話をまひろに言い出した。
副音声:廊下を行くまひろ。庭越しの縁に倫子を見つけ、笑顔で一礼する。穏やかな笑みで、まひろを迎える倫子。
倫子様:お帰りなさい。
まひろ:ご心配をおかけしたこと、娘から聞きました。
倫子様:今、あなたが初めてこの屋敷に来た日のことを思い出したわ。(座る)誰よりも聡明で、偏つぎを一人で皆、取ってしまって。フフフフフ。
まひろ:(座る)ご無礼致しました。世間知らずでお恥ずかしゅうございます。
倫子様:五節の舞にも、私の代わりに行ってくれたわね。倒れたと聞いて、申し訳ないことをしたと思ったものよ。懐かしいわね。
まひろ:は・・・。
倫子様:それで・・・あなたと殿はいつからなの?(まひろの笑顔が固まる。穏やかに)私が気づいていないとでも思っていた?
これはイカン。メンタルが本調子じゃないのに、倫子様の優しい罠に対抗できるはずもない。まひろ、とても抗えないだろうな。予告を見ても、素直に白旗を揚げるようだ。
興味深いことに、まひろ役の吉高由里子のインタビューが、最終回を前にたくさん出てきていた。その1つをご紹介したい。
ーーところで、まひろと道長を語る上で欠かせないのが、道長の嫡妻・倫子(黒木華)の存在です。
倫子は、まひろにとって初めての女友だちで、身分差を気にせず自分を屋敷に招いてくれた恩人でもあります。倫子がいなければ、まひろは内裏で働くことはできなかったでしょうし。そう考えると、すべては倫子の存在があればこそなんですよね。そういう人と同じ男性を好きになってしまったことに対して、まひろの中には苦しさや後ろめたさもあったと思います。同時に、倫子から嫌われることを恐れてもいたのかなと。
ーーその倫子から、第四十七回のラストでついに「あなたと殿はいつからなの?」と、道長との関係について尋ねられました。
まひろも「気付かないわけがない」と思いながらも、打ち明ける機会もないままここまで来てしまった、というところだったのではないでしょうか。とはいえ、直球で質問されたときは、さすがに「ギクッ!え、今ですか!?」と驚いたでしょうね(笑)。その上で、まひろがどう答えたのか…。それはぜひ、最終回を楽しみにしていてください。
(吉高由里子「まひろが『源氏物語』を書き上げたときは、涙が溢れました」最終回直前、長期の撮影を振り返る【「光る君へ」インタビュー】)
まひろを演じていた本人の言葉だ。そうだよねえ、気づかない訳がない・・・。初めての女友達で恩人で、同じ人を好きになって苦しく、後ろめたい。倫子から嫌われることを恐れてもいた、と。
優しく懐の深い大物の倫子様だ。まひろとは次回、煽られているような対決!みたいな形とは違う対話になるのではないか。道長とまひろの仲に気づいてから、長い時間をかけて諸々の気持ちを醸成して昇華させ、だけれども残ってしまった疑問だけは聞きたいってことじゃないのかな。
まひろは、涙で真正直に飛び込むしかないのでは?それしか突破口は無い気がするし、それしかできないでしょうね、取り繕う気力も無くて。
残るはあと1回、最終回では道長は最期を迎えるのだろうが、まひろの人生の締めくくりはどう描かれるのだろう。このままの調子で名作大河の仲間入りをしてほしいものだ。あと1回!
(ほぼ敬称略)