3月18日(月)
「道の駅みなべうめ振興館」の朝が来た。
昨夜は大変だった。0時と3時にブレアに起こされ、もはや水便のレベルだった。どんどん悪化している。獣医にもお墨付きをもらっているビオフェルミンを朝晩1錠飲ませているが、普段なら効くはずが今回まるで効かない。もう今日東京へ帰るしか無さそうだ。
屋根付きのお陰で雨を凌げたが、いかんせん寝不足だ。
こういう症状であれば絶食するのがセオリーなのだろうが、こんな状況でも食欲はまるで衰えないブレアだった。先代犬は、腹にちょっとでも軟便が入っていたらご飯に口をつけようとはしなかったものだが、、。ある意味、頼もしい。
寝不足で食欲もイマイチだが、リゾットは染みた。
「道の駅海南サクアス」で一個売りで買ったはるみは期待していたほどではなかったがまあ美味かった。
ここを出発する前に近所を散歩すると、ついに恐れていた事態となった。エルまで軟便を出したのだ。それもてんこ盛りで若干赤いものも混じっていた。ブレアの症状が細菌によるものであればエルにも感染するのが怖かったのだが、最悪の事態となった。もはや一刻の猶予も無くなった。
ここから東京まで約600kmほどあるので今夜はまたどこかで泊まろうと悠長なことを考えていたが、もうそんな生ぬるいことを言っていられなくなった。
道の駅から目と鼻の先のみなべICから高速に乗り、東京を目指してただひたすら走るのみだ。
今日は天気はいいがかなりの強風予報が出ており、山の上の風力発電機もグルングルンと周っていた。風にハンドルを取られつつの長旅となりそうだ。
しばらく走り、岸和田SA(上り)で最初の休憩を取ることにした。ここではエルブレともに小のみの用足しで、ひとまず安心したところで軽く昼食とした。
たこ焼きの入ったオニギリのたこむすと、だし巻き玉子の海苔巻きをつまんだ。味はさておき量が物足りなかったが、長時間の運転となるので眠くならない程度にしておかねば。
岸和田SAを後にして松原JCTを過ぎ、
数日前にも通った名阪国道を亀山方面へと走る。
数日前にお世話になった針T・R・Sも通過し、伊賀SA(上り)で二度目の休憩を取った。エルブレが催してもいいように2時間おきの休憩だが、ここでも小のみだった。
四日市、豊田と順調に通過していく。たまの突風にハンドルを取られるのを制御しながらなせいか、眠くならずに適度に緊張しながら進めた。
浜松SA(上り)で三度目の休憩を取った。残念ながらブレアのみ軟便だった。
軟便たれなのにすこぶる元気なままで、ドッグランでもキレのいい動きをしていた。ユルいというだけで痛みや気持ち悪さなどは全く無さそうだ。
新東名の120km/h区間を快調に東へ走っていると、夕暮れの中に霊峰富士が見えてきた。相変わらず静岡は横に長い。そしていつもどおり、横浜町田あたりが多少渋滞しているという情報が出てきた。
足柄SA(上り)で最後の休憩を取った。
ここはエルブレともに小のみだった。
静岡あたりで飛び込んで来た町田の渋滞はほぼ解消されたようだ。さぁ、ここまで来たら後は帰るだけだ。
変な渋滞に巻き込まれることもなく600kmを無事走りきり、帰宅したのは21時を過ぎていた。こうして今回の短い旅は唐突に終わったのだった。
エルブレは長距離ドライブの疲れもみせず、遅い晩飯をガツガツと猛烈な勢いで平らげた。
岸和田で買った柿の葉寿司で安着宴会をした後、全員泥のように眠った。
本日の走行距離:602km
今回の総走行距離:1,309km
後日譚
その後ブレアは二日後に51時間ぶりに踏ん張ったと思いきや、久々にいいヤツを一粒だけ出した。そして、翌日には完全復活となった。
それに対しエルは二日後にも軟便を出し、その後もなかなか固まらずついには病院へ行って抗生剤と下痢止めを飲み始めた。ブレアは自力で治せたが、エルは時間がかなりかかり、80点程度のが出るようになるまで10日ほどかかった。100点満点のが出たのは、本日4/1だ。野犬あがりでタフなイメージだったエルだが、実はブレアよりもかなりひ弱だ。7歳になってシニアになってしまったということなのかもしれない。
今回は6日で旅を切り上げとんぼ返りとなってしまったが、先月の愛知・岐阜旅の時じゃなくて良かった。4月はじっくりと体調を整え、5月には万全の体制でまたどこかへ旅立ちたいものだ。