三日坊主も立派な習慣
子供の頃の長期休みを思い出すと、私はあまり「スケジュールを立てる」ということが得意ではなかったように思う。
朝起きるのも苦手だったし、ラジオ体操に行くのも面倒だったし、書き初めは始業式の前日にまとめて書いていたし、言わずもがな問題集は溜め込んでしまっていた。
一日の時間の使い方が、ものすごく下手だった。
スケジュールを立てることが苦手というのは今もあまり変わらない。
けれど「決めたことを続ける」ことについては、昔よりも得意になった。
この時間に、これをする。
1日にこの量だけ、これをする。
こうした小さなルール作りと習慣化することによって、自分の気分を「やらないと気が済まない」ようにしているのである。
いい方向に、自分を騙す。
朝晩のルーティンも、掃除の手順も、勉強時間の確保も、みんなこれに尽きる。
三日坊主を、とりあえず何度も繰り返してみる
ある行為を3日続けると「なんとなくそれをしないと気が済まなくなる」という気分になりやすい。と、私は感じている。
三日坊主だって、立派な習慣だ。
1日休んで三日坊主になってしまっても、ちょっとお休みしただけだと思って、また三日坊主してみる。
途中で2日休んじゃっても、また三日坊主してみる。
3日休んでも、また三日坊主してみる。
間が空いたって、三日坊主を何回も続ければ立派な習慣になっている。
三日坊主にすらならない物事は、その物事自体を見直す必要がある。
やり方を変えてみたり、別の手段を頼ってみたり、工夫してみる。
それでも出来ないのであれば、そもそも自分には合わない・やめた方が良いことかもしれない。
習慣化すれば、苦ではなくなる
やりたいと思ったことは、とりあえず三日間お試しでやってみる。
習慣化しよう、と身構えない。
気楽に、とりあえず始めてみる。やってみる。
少し前から朝のルーティンに、新たに散歩が加わった。
時々休みを挟む(散歩をサボる)こともあるけれど、行かないとなんだか1日の調子が狂う気がして、サボった翌日にはまた再開する。
この時間は勉強する、と決めて生活していたら、テキストを開かないとなんだか落ち着かなくなる。やる気になれない日もあるが、とりあえずテキストを開いて眺めるだけでもやってみる。そうするといつの間にか1問、2問と問題を解いている。
習慣化されると、それをしないと落ち着かなくなるのだ。
行動記録を遡ると、三日坊主にすらならなかったことが結構ある。けれど行動記録を読み返さない限り思い出さないということは、自分には不要なことだったのだろう。
2025年も、沢山三日坊主する!
三日坊主も立派な習慣だ。
やろう、と思ったことはとりあえず3日間だけと思って続けてみよう。
4日目にサボってしまっても、自分を責めない。
ちょっと休憩しただけ、と思ってまた翌日から再開すれば良い。
そんな感じで、2025年は「やりたい、やろう!」と思ったことをどんどん挑戦する年にしたい。
あなたは今年、何を三日坊主する予定ですか?
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