こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻59~三貴子の統治~のご紹介です。
こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。
次に右の眼を洗った時に現れた神の名を月讀命(つくよみのみこと)と言います。
次にお鼻を洗った時に現れた神の名を建速須佐男命(たけはやすさのをのみこと)と言います。
右に記した(※ブログでは上から下に読んでいきますが、古事記は右から左に読んでいきます)様に、八十禍津日(やそまがつびの)神から速須佐男命(はやすさのをのみこと)までの14柱の神々は、イザナギがお身体をすすいだことで誕生した神様です。
イザナギの禊で誕生した神々は多いのですが、イザナギは三貴子を「貴い」と言っています。
何を以って「貴い」と言ったのか...?
どうやって貴賤が分かるのか...?
…神様だから未来が見えたのでしょうか?
『古事記』本文上巻59~三貴子の統治~
此時 伊邪那伎命 大歡喜詔
吾者 生生子而 於生終 得三貴子
即 其御頸珠之玉緒 母由良邇(此四字以音 下效此)取由良迦志而
賜 天照大御神 而詔之 汝命者所知高天原矣 事依而賜也
故 其御頸珠名 謂 御倉板擧之神(訓板擧云多那)
【読み方】
此(こ)の時、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)大(おお)いに歡喜(かんき)し詔(の)りたまひしく
「吾は子を生み生みて、生みの終わりに於(お)いて、三柱の貴(とうと)き子を得たり」
即(すなわ)ち、其(そ)の御頸珠(みくびたま)之(の)玉の緒、母由良邇(もゆらに)取り由良迦志(ゆらかし)
(【母由良邇】の此の四字は音を以(もち)いる 下も此れに效う)
天照大御神(あまてらす)に賜(たまわ)いて詔(の)りたまはく
「汝が命(みこと)は高天原(たかあまはら)を知らせ」と言依(ことよ)さして賜(たまわ)りき
故(かれ)其(そ)の御頸珠(みくびたま)の名を、御倉板擧之神(みくらたなのかみ)と謂(い)う
(【板擧】を訓(よ)み、【多那(たな)】と云う)
「私はこれまでに多くの子供を生んできたけれど、一番最後にこのような貴い3柱の子を得ることが出来た」
そしてイザナギは自らの首飾りを、珠が触れ合って音を鳴らす程紐を揺らしながらアマテラスに賜りました。
(註:【母由良邇】は音読みを用い【もゆらに】と読んで下さい。以下の【由良迦志】も【母由良邇】を【もゆらに】と読んだのに倣い、音読みで【ゆらかし】と読んで下さい)
イザナギは賜る時に「アマテラス、汝は高天原を治めよ」と仰せになり、統治を委ねられました。
この時の首飾りの珠の名を、御倉板擧之神(みくらたなのかみ)と言います。
(註:御倉板擧之神の【板擧】は【多那(たな)】と読みます)
「大歡喜詔」は「大(おお)いに歡喜(かんき)し詔(の)りたまひしく」と読みました。
「歡喜」は「歓喜(非常に喜ぶこと)」ですね。
「吾者 生生子而 於生終 得三貴子」
「生生子而 於生終」が特に読みずらいですよね...。
これを私は「子を生み生みて、生みの終わりに於いて」と読みました。
これを訳すると…
「子を生んで生んで、この生むことの一番最後に」でしょうか。
これだと分かりずらいので次の様に訳しました。
「私はこれまでに多くの子供を生んできたけれど、一番最後にこのような貴い3柱の子を得ることが出来た」
・其御頸珠之玉緒 母由良邇(此四字以音 下效此)取由良迦志而
「御頸珠」は「みくび(の)たま」と読みます。
これはつまり「首飾り」のことですね。
「緒」は「糸、紐」の意味です。
「御頸珠之玉緒」は「首飾りの玉の紐」となります。
「母由良邇(此四字以音 下效此)取由良迦志而」は太安万侶の注釈(此四字以音 下效此)がポイントです。
まず注釈に従って読んでみましょう。
(此四字以音 下效此)➩「【母由良邇】の此の4字は音読みを用い【もゆらに】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい」で良いと思います。
ここでポイントなのは「下效此」➩「下も此れに效(なら)う」➩「以下もこれに倣い読んで下さい」です。
これをこの文に合わせて少し長めに言い換えると「【母由良邇】は音読みを用い【もゆらに】と読んで下さい。以下の【由良迦志】も【母由良邇】を【もゆらに】と読んだのに倣い、音読みで【ゆらかし】と読んで下さい」です。
なのでこの文は「母由良邇(もゆらに)取り由良迦志(ゆらかし)」と読みます。
とは言え、読めた所で「もゆらに取りゆらかし」って何だ?って話ですよね。
検索して調べた所、意味は次の様な感じでした。
「もゆら」➩玉などが触れ合って出す音を表す
「ゆらかし(揺らかし)」➩玉などを触れさせて音を立てさせる
つまりこういう事でしょう。
①イザナギはアマテラスに首飾りを授けようとした
②首飾りは珠(玉)に穴を空けて紐で繋いだ形状をしていた
③なので授ける時に珠(玉)が揺れて、触れ合って音が鳴った...という感じです。
随分細かいところまで描写しています。
この文をそのまま訳すと「そしてイザナギは自らの首飾りをアマテラスに賜ったのです。お渡しになる時に首飾りの紐が揺れて珠が触れ合って音を鳴らしていました」という感じかな?と思います。
これを「イザナギは自らの首飾りを、珠が触れ合って音を鳴らす程紐を揺らしながらアマテラスに賜りました」と短くして訳しました
でもですね…おかしいと思いませんでしたか?
イザナギは禊の時全てを脱いでいます。そして顔を洗った直後に三貴子が誕生していますから、この時点でイザナギはスッポンポンの裸でいる筈なのに、首飾りはどこから出したの?って私は思いました。
全裸の父から首飾りを渡された娘の気持ちはどうだったのだろうか…?
「首飾りの紐が揺れて珠が触れ合う音がした...」という細かい描写までしてたのに、これはどういうことなの...?
そんなことを考えながら訳しました…。
・汝命者所知高天原矣 事依而賜也
「汝命」は「汝が命(みこと)」、ここはイザナギが語りかけている相手がアマテラスですから「命=アマテラスの命(みこと)」を指しています。
「知高天原」はちょっと難易度が高いかな...?と思ったけれど、調べてみれば結構簡単でした。
「高天原」は「天界、天津神が住んでる世界」のことですね。
それを「知る」とは?
知を調べると「取りしきる、司る」という意味があります。
例えば「知事」みたいな感じの意味ですね。
つまり「知高天原」は「高天原を治める」という意味になります。
「矣」は文末助字の一つで、これを読むわけではありません。
一応読み方としては音読みで「い」と読むことが出来ますが…読みは必要ないと思います。
ただ、意味としては省けません。
「矣」は句の終わりに用いる助字で、断定・詠嘆などを意味します。
強いて訳すなら「~である」とか「~だなぁ」でしょうか。
ここではイザナギがアマテラスに対し統治を命じているので...
イザナギ「アマテラス、汝は高天原を治めよ」【断定】
イザナギ「アマテラス、汝は高天原を治めるのだなぁ」【詠嘆】
どちらがふさわしい訳かは一目瞭然ですよね。
「言依」は「ことよ(せる)」で合っていると思います。
意味も「託す、委ねる」でシックリきます。
『でも「ことよせる」って「言寄(事寄)」じゃないの...?』とは思いました。
「まぁ、意味も音も合うしいいか...」と妥協して先に進むことにしました。
・故 其御頸珠名 謂 御倉板擧之神(訓板擧云多那)
「御倉板擧之神(訓板擧云多那)」は太安万侶の注釈(訓板擧云多那)➩「【板擧】を訓(よ)み、【多那(たな)】と云う」➩「御倉板擧之神の【板擧】は【多那(たな)】と読みます」で、「みくらたなの神」と読みます。
イザナギがアマテラスに高天原の統治を任せる重要なシーンで登場するので、重要な神様(珠?)だと思うのですが、日本書記には登場しませんしこの後出てこなかった気がします…。
以上で『古事記』本文上巻59~三貴子の統治(1)~のご紹介はおしまいです。
次回は『古事記』本文上巻59~三貴子の統治(2)~をご紹介する予定です。
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ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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