12月20日
7:00
はい、申し込み完了、最後の模試。長男が挑むのは、日能研の全国公開模試。かつての「神童」・母との宿命のバトルがここに幕を開ける。
「コテンパンに打ちのめしてやる。」
長男が闘志を燃やしている相手は、令和の小6ライバルたちではなく、ウン十年前の私である。
「昭和の受験なんて楽勝だったんでしょ?」
「いやいや、それでも最後は1日12時間勉強してたよ」
「でも問題も今より簡単だったんでしょ?」
「そりゃ、今の算数みたいに『フラクタル図形の面積を求めよ』みたいなことはなかったけどね」
「俺の勝ちだな」
違うって。逆だって。問題が難しくなった今、当時と同じ偏差値を取るには、当時の3倍くらいの勉強量が必要なんだって。それと母は平成の小学生だからね。昭和扱いやめてくれる?
母が中学受験生だった頃と比べ、今の受験戦争は完全に次元が違う。かつてが「縄跳びで二重跳びに挑戦」だとしたら、今は「縄跳びしながら3人組でヨガのポーズをキメる」くらいの差。もはや、1日の勉強時間が36時間必要なレベル。やっていることが違いすぎて、比較すら成立しないのだ。
それでも、長男にとっての敵はなぜか「母」。11月のスランプでサピックスの模試が「有終の美」ならぬ「見事な失速」に終わった長男。この模試を起死回生の令和VS昭和デスマッチと位置付け、私の偏差値を超えるという謎のミッションに燃えている。だから、昭和じゃなくて平成だって。
凸凹中受、いよいよラストスパートだ!
白目太郎の中受のこれまで
小4でS入塾。S偏55からスタート。同年、発達特性と高IQが判明。ADHD薬の服薬で落ち着きのなさはおさまり、クラスはαに上昇。
小5秋に大失速、サピックス退塾。転塾、再度の退塾を経て小6の夏前からサピックスに復帰。11月にS偏65に到達するも、絶賛足踏み中。
遥か昔、日能研が御三家に大量の合格者を送り込んでいた頃の平成日本。1万人以上が受ける公開模試の最優秀者に名を連ねるレベルではなかったが、弱小校舎に小6から現れるやいなやトップを奪い、町内会で「彗星か神童か」と噂された伝説の小学生・トモ子。正直、今の長男と勝負したら100%負ける気しかしないが、私は女優。煽るなら今でしょ。
「なら母の最高偏差値、4科目7*超えてごらんよ。」
みるみるうちに長男の目が戦闘モードになった。
「絶対に勝つ! お母さんなんて、俺がフラクタル面積でねじ伏せてやる!」
なんだその台詞。クレヨンしんちゃんかよ。私ではなく、令和の受験戦士たちと戦えと突っ込みたくもなるが、燃えているものを消すのも忍びない。
それに、これほど中受伴走母にとって都合のいい状況はない。ライバルが母だなんて、可愛いにもほどがある。母を超えたら、それはそれで誇らしく思うだろうし、仮に超えられなくても、悔しがる長男は可愛い。何より、本番の足音が近づく中、合否が出ない模試なんて、お遊戯会みたいなものだ。それに、私は杵柄の上でコーヒーブレイクを楽しんでいればいいのだ。
どっちに転んでも母は勝ち組である。ここまでの人生、拗らせに拗らせてようやく辿り着いた「勝ち組」の地位。ありがとう、過去の私。君の取った偏差値が、令和の中学受験でこんなにも輝きを放つ日が来るなんて——。母集団が違う? 誰ですか、そんな野暮なこと言うのは。私は今、人生のクライマックスを抱きしめ、すでに勝者の微笑みを浮かべながら、長男に高らかに宣戦布告する。
「超えられるものならどうぞ。悔しがって泣いても、知らないよ。」
そして模試申し込みボタンを押した。果たして、この勝負の結末はいかに?
今はだいぶ落ち着いたけど、相当山あり谷ありの2年間だったよね。
何度も塾にも行けなくなったし、発達外来で薬ももらって、やっと調子が整ったよね。調子も成績も整ってきたのは、6年の秋だった。
Coming soon