『池上遼一漫画と私』
池上遼一漫画との出会いは、1970年(昭和45年)発行の月刊漫画ガロ5月増刊号『池上遼一特集』でした。
そこには、「雪国」「夏」「地球儀」・・・など十一篇の作品が掲載されていました。それらの作品のなかには、必ず死にかんする描写があり、物語はどれも白日夢の世界のようで、高校生の自分には、ちょっとついていけませんでした。
高校を卒業してからは、漫画を読むことから遠ざかっていました。その後、2004年(平成16年)メディアファクトリー発行の『スパイダーマン』原作平井和正 作画池上遼一に出会い読んだのですが、『スパイダーマン』は、1970年から1971年に『月刊別冊少年マガジン』に連載されていたのですね。
結局、私は他の池上遼一漫画を、ほとんど読んだことはないので、『池上遼一漫画と私』ですが、この、ガロ増刊号『池上遼一特集』と『スパイダーマン』を読んでの感想です。
『池上遼一特集』のなかのひとつの作品『雪国』です。
都会で働く主人公・山崎泰男は、父危篤ということで故郷に帰ってきたのですが、その帰りの電車のなかで、高校の同級生だった幼なじみの橋本さんと再会したのです。その幼なじみの橋本さんとの再会の場面ですが、池上遼一さん描く橋本さんの描写が、すごく抒情的というかその顔の表情にはグッとくるのでした。
そして、泰男の夢のなかに、橋本さんの高校時代の可憐な姿が幻となって現れたりもするのでした。それは、まさしく幻想なのですが、池上遼一さん描く女性は、ときに抒情的でセクシーな描写になっているのです。これは漫画の世界の描写であり、現実世界にはあり得ないのですが・・・・。
しかし、ラストシーンは、降り積もる雪のなかの殺人シーンで終っているのです・・・・。
また『スパイダーマン』ですが・・・・。
内気な高校生・小森ユウがスパイダーマンに変身して、悪に立ち向かうのですが、時に、スパイダーマン自身が狂気に駆られてしまうのでした・・・・。
この『スパイダーマン』が描かれた頃は、学生運動、ベトナム戦争、映画『イージー・ライダー』『俺たちに明日はない』などがあり、池上遼一さんは、描くにあたって次のように述べていました。
「スパイダーマンの弱者に対する思いが強いというか、守りたくても守り切れないというジレンマに悩む姿、つまり小森ユウの悩みはその当時、僕自身が持っていた悩みでもあったんです。当時はホント偽善とか欺瞞とか大人への不信感といったものを自分がもっていたから。」
そして、ここでは、池上遼一さん描く女性像は、しばし、どこか憂いを含んだ女性像として登場してくるのですね・・・・。
・終わりに、なぜ『池上遼一漫画』が詩的かというと・・・・。
『池上遼一特集』ですが、ストーリーは、ありえないと思ってしまう展開となるのがほとんどで、読み終ったあとも、なぜそのような結末になってしまうのか、そこに至るまでの登場人物の心理描写などに引き込まれてしまうのです。
そして、登場人物の心理描写における人物描写やまわりの景色の描写など、ときに、映画をみているようです。
そんな訳で、池上遼一さんが描いた『池上遼一漫画』の世界は、やはり、詩的な世界であるといえるのはないでしょうか。