2024年12月27日

『前振り;前記事の追記』『『当事者同士で遊ぶ』という回想』『投票』 紫色の字

『前記事の追記』

前記事では、

🔜社会へ出てから嫌われて口を封じられてきたというよりは、
生育環境から『言い訳』を一切しない人たちに囲まれて生きてきたのかもしれないなと、想像すると、腑に落ちる人たちにお会いしてきた。

私が問いかけてもなにも言えない。仮説を立てても合ってるとも、外れで正解はこうだよとも、なにも言えない。
でも繊細な気持ちや正義感が熱くてどこへ向けていいかさ迷っているとか。
でも、希死念慮的なものとか危険に見舞われている人ばかり共感して助けても、たいしてお相手のためにならないし、周囲が怯えてしまいあまり広がりができない。
そのためお助けした後は、再び孤立するみたいな。🔚


見ようによっては、私が当該の人をしつこく思い出して話題にしている失礼を、謝ります。


私の頭のゲートは偏って、たぶん狭い。

私自身の能力や実力、評価などの情報すらも、物足りないほどにしか入ってこないのです。

人さまの意志や意向の情報も、新鮮な観点からの解説を何千字分も入れて説明してくれないと分かりません。

だからむかしは今よりももっともっと情報を入れてくれる人を渇望していました。

なぜなら翌日すぐ社会に、『使い物になる戦力』として力を付けてメンタルを整備して、なにを伝えてきたいのかよく分からない一般の普通の人たちの中に出勤しなくてはならなかったからです。

「働ける人ですか? 働けない人ですか?」むかしむかし、私は今よりももっと白黒でしか理解できませんでした。そして回りも、白と黒で私に結論を迫って来てました。私は慌てていました。能力を付けなければならない。当事者の優れた賢そうな人たちに頼って、早く、早く、すぐ知らないことを知らなければならない

だから、『しゃべってくれないこと』に、無理して意味付けを探そうしていたのもこの頃でした。

しゃべってくれないことは、私への不合格評価なのだと。

ネットの場所に書いてあったことに、言葉を選んで選んで、探して探して共鳴して共感した私の努力、時間全てを否定してよくも突き放したな、と。

それでも私が悪いという結論なら、私が悪いと解釈しなければならない、❝悪い子❞ なのだとも考えていました。

当事者の賢そうな人の言うことも聞く、社会にいる人たちの言うことも聞く
突進 一生懸命 私は挟まれて、おかしくなっていました。

…………そうではなくて、ようするに私が目に見える状態で、明らかに悪者そうなだれかにいじめられていないから、ただ混乱して見せられても、なにをどうしてあげていいのか分からない、ということであったのかもしれませんが、

違う。私は苦しんでいるの。これを伝わるように伝えられませんでした。

たぶん、今、再会、そんな人たちとまた対峙できたとしても、『伝わるように伝える』私にまだこの力は付いていない。『伝わるように伝えられる』ようにはまだなっていない。

その前に、すれ違っていたのかも。

トー横的な場所で『〇にたーい❗』と、バキッて笑っている、正常じゃなくなった子のほうが、まだ正論で諭しやすかったのかもしれません。

私はそうじゃない場所に生息していた、着陸場所を間違えた宇宙人だったのですよ。


🔜リアルの現実で言い足りない『言い訳』は、ネットで続きを書きまくると、実はかなり『学び』になります。
でも言語化力 を上げる、という目的のもとに書かないといけません。

メンタルの健康にも良くないし、聞き役になってくれる人に負担を掛けます。心理の防衛機制まで発動して境界線を壊して迫る依存をする危険があります。
🔚

あと、オモチャの実験用モルモットにされる危険もありますね。

『発達障害当事者、グレーゾーン当事者が追い詰められて本気で社会適応をインターネットを頼って学ぼうとするとオモチャにされる』ことを定説にしてはなりません。
自己肯定にたどりつくための、正当な努力であるべきです。

診断されて、医療にも支援にも恵まれず、掲示板などを使って這って生き延びてきた私たちは、なんのために必死に睡眠時間を削り、身を削ってきたのでしょう?? 発達障害当事者、グレーゾーン当事者たちの必死は、侮辱していいオモチャなのでしたか??

自己肯定にたどりつくための、正当な努力であることを私たち大人たちが、言語化 して、明文化してあげて、若い人たちや子どもたちに目に見えるように言い切ってあげるべきです。

正当な努力の評価、承認はただの夢ですか。
若い当事者や子どもの当事者たち個人が『絵に描いた🎨餅』として空想して終わりでいいんですか。
そしてメンタルが滅入るからそれぞれの嗜癖依存に頼って不健康になって終わりを繰り返す、でいいのでしたか? そうではありません。決して違います。
実在させなければなりません。

私はこの 実在 を目指して這いまわってきました。

それでも社会中の人たちが黙ってきた。話を変えた。逃げ出した。逆切れした。30年近くは経ち、私に限らず何人ものお人好しの当事者たちの、恋愛・結婚・出産適齢期が、かすりもしないままぶっ飛んだ。

私たちの処遇は決まらなかった。約30年間、黙られ、突き放されててきた。

SNSはなんだか強力になってきた。良くないことでもなんだか力尽づくが通るようになってきた。もし、当事者たちが正面から詰めて行って口を割るべき賢くて権威がある人たちの口を割らせたとしたら?

なんて答えをもらえる??
実在 のさせ方なんて分からない💢 儲け💴になる特別な才能が無いんだったらただの不注意のドーパミン不足の子どもたちは思考停止させて強迫的にでも違うことを考えさせるしかないじゃないか💢」とでも言われるのですか? 言わせるのですか?

この社会に、いつ失くしたのですか。「無し」でいいってだれが決めたのですか💢

私たち、そして自覚があり特性に苦しむ若い人たち、子どもたちへの答えは、まだもらえていません。

ちゃんとみんなで、多人数で詰め寄ったら、なにか言葉 をもらえるかもしれませんよ??



今日も『追記』に来ていただき、どうもありがとうございます



私の情報は、私自身の頭の偏った狭いゲートからも十分には入りません。

だから補うために大量の量の言葉を必要としたのですが、無いので、私の成長はたぶん止まっています。

なんなら、幼児を可愛がるように、笑顔でヨシヨシと上げ膳据え膳しないと、優しさや承認を感知できない(ほど重症ではないけれど)みたいな、過剰な認知力の欠乏が私にも無いではない。

ASD・自閉の認知を話題にするときに、どうしても避けて通れないのが、新生児のときのすべてが受け身の認知能力の形態なんですよ。
私たち当事者にとっては自尊心の抵抗があって、なかなか向き合いたくない特性なのですけどね。
自分の主体性や意志を自分で発見することにとても年数が掛かるし、気付いてから急いで育てて遅れを取り戻そうとしてもどこにも訓練場所が無い。でも未熟なままだと人間関係が広がらないまま関係を作れる年代が終わってしまうのにね。

ASD傾向にはたまにある話ですが、絵本やマンガ、映画にあるような演技めいたコミュニケーションじゃないと出せない、受け取れない、の傾向が、私にも存在してると考えている。どのくらい? グラデーションのどの位置なのかは分からない。
❝わざとらしーんだよ💢 素のままで言動しろよ💢❞ と私たちに言いたい人も存在するかもしれません。しかし、「通じる」コミュニケーションをするための「素」ってなんですか?
『宿題』として出されても分からないのです。ただ苦しまされるのです💢

私が私の乱れたメンタルを平静にするために『自分で』自分をコントロールする方法をまだ知らなくて、できないこと

私が自分で自分の記憶を整理して、言語化 して、混乱を整理しようとしても一般の普通の人たちから見たら変な理屈にしかできあがらない。『変』だから共感も集めない

『変』ではない、人さまから認められる、健全な頭の整理も、まだできないこと。

人さまからの『整理の仕方』のインストールがされて真似するものが分かって訓練もされないと、たぶん一生 できないこと。

自分にとても余裕が無いので、オキシトシン溢れさせながら人々を受けとめて救う従うという、望ましくて謙虚っぽくて憧れられて優等生そうなことができない。
こうしてあの掲示板を代表とするインターネットから 脅されてきても、私はできてない。

ネットは油断して過集中すると、人々の頭脳から『言葉』を好きなだけ、気に入るまでタダで引き出す機械のガシャポンに利用してしまう危険がある。

私がタダの機械にされたらイヤなので、❝自分がされたらイヤなことは他人さまにもしちゃいけない❞ のである。本当は基本に立ち返るものなのである。

❝気が済むまで質問連発して言葉を引き出してゴネる❞ 不穏は、距離が『近い』人相手にするものですよ通常。

インターネットで会える人は、基本、そうじゃないのです。『近い』人じゃない。

『近い』人相手でも、嫌われ、関係性に限界を招く引き金になりえますよね。

インターネットの『発達障害界隈』で見つかる人というのは、実名も顔も知り得ない、
でも、私たちに『近い』人ができづらい、信頼関係ができづらい、お互いの宿命のつらさ、苦しさを了解してるから、理解してる範囲で、付き合ってくれているということなのですよ。
だから深く相談し合ったり、引用『>>』を大量に使用して、細かく答えてあげる、ということが成立するのですよ。

たぶん、多くの当事者たちが分かっていたと思いますが、あえて私なりに分解して言語化 してみました。


それでもね………私たちが、心得ても、心得ても………

最近のメンタル寂しい人の、承認欲求行動が、ネットの有名人イベントの爆破予告とか、そういう方法にね……💧

逮捕を逃れるつもりでももうそれ犯罪に両足突っ込んでますよ、としか言えないやり方に進化してきちゃってるんで。

無料『言葉のガシャポン扱い』ダメですよ、というルールを作っても、今はダメなのかな。もう遅いのかな。

あの掲示板が、良識や公序良俗をみんなで守りながら継続していたら、もしかするとあの掲示板の中だけは、聖域が珍しく守られている場所、として、ネット民に一目置かれて今でも存在し続けられたのかなー?

どう思います?


話を戻します。

でもたぶん、私はまだまだ分かってない。成長は足りないまま止まったまま。

私はまだ分からないまま。

知らないことを知らないまま成長は止まっている。


私だって、まだまだできてないことがあるよ。



  

『『当事者同士で遊ぶ』という回想』

時系列を整理しましょうね。

私は、お世話になった当事者の集まる場所が、2か所ある。

私がまだ若く、診断されてから1つ目に入った当事者の集団。そこが運営終了になり、深く傷ついて、

立ち直りかけて、10年以上? は経って、当事者さんとの交流に復帰しようと参加したのが、あの掲示板。私にとっては2つ目。


1つ目のときに、私はオフになるものにリアルの現実で参加したり、勉強会に一回だけ出たり、リアルの現実で動く経験をした。

所属する最終目標は、社会適応に具体的に還元できる学びか無くてはならなかったので、遊びじゃないので、人生の勝負を賭けていた。

むかしは、「都会へ無理して出て行って、初めましての当事者の人に全力でお気遣いをしてへりくだりながら話を合わせて遊ぶのが、今の私に許された『努力』なのか?」と悩んだこともあった。

難しく考えるとがんじがらめになって眠れなくなって心因症状が出るので、簡単に考えたら、仕事を辞めなきゃならなくなる。

だから辞められないし、簡単にも考えられないし、難しくも考えられなかった



令和の今、昔話として振り返って思う。

『遊び』が必要な人はいる。

言葉の支援を全然受け付けられない、がんじがらめや強迫が強過ぎて自己理解が全然進まない、二次障害が危ない人。だと思う。

ネットでは、言葉しか手段が無いからエンジョウになるだけ、当人に助言などが全然伝わらないことがあり得る。
放っとくとメンタル疾患が悪化するだけだけど、コミュニケーションの疎通が独特だからSOSを出しながら全員を拒否するということになっていく。私も20年前や、30年前の過去になりかけた。もっと重症化が進むと命をいたましいことにしかねない。

それならコンタクトを取れるのはリアルの現実で会える、理解ある当事者先輩たちだけ、ということになる。蜘蛛の糸なのだ。

でも、言葉が通じなければ『遊び』からするしかない。

お酒はダメ 食事やスイーツを食べて、おしゃべりして、人と関わり合いになりながらお散歩して、雑談を引き出したり、応じさせたりする。
理想は、これを何か月も置かずにしょっちゅうすることだと思う。

私の勝手な仮説だけども、言語指数さえあれば、もっとしゃべりたいこと、もっとしゃべりたいことが日に日に湧いてくるはずなので、
それでも「ボク・わたしは受け入れられる……? きっと嫌われるんだ。次に会ったらボク・わたしのことなんて忘れられて、変なものを見る目で見られるんだ。忘れられる。睨まれるんだ……」と、被害認知のジェットコースターをしている当事者はとても多い。
完全に諦め切る、グレる前に、また会って楽しくしてあげる、というケアになっていく。

それでも私がとてもつらい頃、いい日程に私が特急列車に乗って参加できる日が、2年に一回…………?

飢えたなぁ………

まだまだ足りなかったなぁ………。

それでも、2年に一回が、3年、4年に伸び「わたしは努力が足りないのかな」と自分を責め、代表者のブログの写真を眺めて、メンタルをスプラトゥーンのペンキのように黒くしていったものでした。

連休じゃない、都会の人たちしか参加できない休日にオフ会とか、2次会、3次会とか。

なに? なに? なんなの? そこで話し合われていることはどんな勉強になることなの? 私も勉強したい❗ 絶対する❗ しないと ❝社会に居ていい人❞ として復帰できない❗

深夜、折り畳みケータイにしがみつきながら、強迫の感覚だけが増幅されていき、空間がぐるぐる回るようだった………。


いわゆる依存とか、調子に乗るとかはだんだんバレていき、ネットの中でお仲間からヤキが入ることもありますが、

ケアなり、当事者交流なり、勉強、指導、訓練、これらが必要な当事者は私の他にも潜在的にたくさんいました。

ただし、ネットの ❝指導❞ がヒートしてしまうと、萎縮して、遠慮して、無関係なお仲間さんもなにかを伝播されて、当事者たちがネットに書かなくなるということも増えていきました。

ネットにいつも書く人……私もでした。地方でしたから。
そして、リアルのオフばかり出る人。

ネット。

リアルオフ。

当事者たちの参加形態は、だんだん二極化していきました。

私はそんなつもりじゃなかった。ネット、リアルの現実、両方で分かり合い、議論を深め、お気遣いし合うだけじゃなく利害関係をともにする目標を何か見つけ、私も承認されながら承認を生きる支えにして私の微力を差し出して、みんなの力で社会に訴えて見せたかった。

毎日3秒先が、私が怒られる人なのか、放っとかれる人なのか、承認される人なのか、
今集中していることは合格なのか、不合格なのか、破壊されるのか、全然見通しが見えない、
頭の中がパチパチ、パチパチ、雷⚡が鳴っているかのような不穏な働き方から、具体的に私が救済されるところにまでたどりつくのが目標だった。

〇なない。必ず辿り着く。つかみ取る。賭ける。

でもこうする執着の体力は、若くないととてももたないから、40までに必ず結果を出す。

社会との歯車の嚙み合いが成立しないと私たちの社会からの承認は実現しないから、双方からだから、社会からも ❝手段❞ を出してもらう。

当事者活動はエンタメじゃない。お祭りじゃない。私が具体的に救われるところまで、決してやめちゃいけないんだ👊💥


いつしか、遠く、遠くの都会で、リアルのオフばかり参加する人たちが、お祭りイベントばかりをやっていました。

私の回りにいるような、私の頭の中がさっぱり分からない、庶民の平凡なサラリーマンたちにも届いてくれる言葉を、訴えを………

何年待ったのだろう。


お祭りイベントみたいので創作を作る。ついでにコスプレする。発表会する。たぶん、内輪で話がまとまりやすくて、見えやすくて、キラキラな思いはできるんじゃないだろうか。

キラキラが必要な段階の人もいるかもしれない。

でも、いつまでも続けていても、それは『遊び』になる。

『遊び』が必要な段階の人もいる。私もそんな時期はむかしあった。

でも、『遊び』を超えた段階の当事者たちも、厳しい中にいたのだ。中にはお子さんを実家に預けてとか、児童相談所に預けてとか、そんな緊急事態の混乱にいた人も、確かいたかもしれない。

遊んでいる場合じゃないのよ。

お子さんも待ってるのよ。待って、待って、病んで待ってるかもしれない。

初動の段階で、顔合わせとして遊んでも、いつまでもそうはしてられないかもしれない。私なら耐えられないかもしれない。


だから、『支援』というのは機能がいくつもあるべきで、

1⃣ネットでしかSOSできない段階の人。
2⃣そこからオフの『遊び』に誘って、構ってもらう段階の人。
3⃣自分の具体的な困りごとを言語化 して相談する段階の人。
4⃣自活、転職や手帳交付、離婚、避難、大きな環境の変化をしたいけどナビしてくれないととてもこなせない段階の人。


それぞれの、要支援のカテゴリーはあるんだから。そこに向かって行っていただきたかった。私を引っ張っていっていただきたかった。


もう、諦める? 私たちのこと、見捨てた?

社会に聞きたい。


今日も脱線ばっかり。ごめんね。

  

で、発達障害GZ Noralemon見た後のリストでもピーマンの動画の説明文でグチっておりますが、とうとう12月のほとんどを風邪引いてしまいました。

❝発熱外来❞ にうんざりしてるのですよ。でも3回目掛かりましたけど。

処方薬を服用しながら、思考散漫になるグチも今まで書かせてもらってます。


あからさまな咳無し、指先に酸素濃度の機械を挟まれる喘鳴無し、発熱無しで働くという『世間様のだれでもやっている』行動と、

『怠け者』と思われるほどにミスをしたり、思考が真っ白に途切れたり、人の名前を間違えたりして人さまから煙たがられる言動、


私たちには両方を押し付けられる場面がありますよね? 『永遠の『宿題』の提出』の圧力です。これが私たちを潰します。

そうなるメカニズムも、ここに来てくださってる当事者の方たちの過半数が分かってくださってるはずです。一般の普通の働き方をするために、一般の普通の人たちの何倍も頭を使い、気を使い、工夫を探し、力を入れ、緊張する努力をすでにしているのですから、
その緊張する力すら削がれると、もう残りもなにも出てこないんですよ。

手帳をもらうレベルのスペクトラムの重さの人が、具体的に表現できなくて「なんか腹立つから今週休む」と仕事を休む話はどこかで読ませていただいたことがあります。

でも、そうしたくても、気軽に休んじゃいけないことを知ってる当事者もとても多い。

今季、インフルエンザ、コロナ、ただの風邪に掛かった人、今掛かってる人はいますか?

なぐさめ合えなくても、打ち込みだけでもしていきませんか?



こんなことしかできなくて、ごめんね。

なにもできなくて、ごめんね。

  

今年もお世話になりました

よいお年をお迎えください。

来年もよろしくお願いいたします

  

発達障害GZ Noralemon見た後のリスト 更新頻度減っちゃったね。この後も更新頑張らないように頑張るけど、年末年始休みも頑張るね。

ときどき見てくださってるみたいでありがとう だから宣伝を書く私。

リストと、表題の中の説明文、平日もたまに更新してます。曜日は決めてません。

『上級機能』が使えるようになったらしいです。
詳しくは最近の記事で詳しくダラダラ書きしてます。よろしければ参照してください。
なにより、説明文の書き込みが……説明文の編集はできるようになったのです。
その編集フォームが……

1行になってしまいまして。5千字を、1行に。
改行したい
読みづらく感じる方がいたら、どうもすみません。私は立ち直って来てますが、さすがにしばらくへこんでました。

ユーチューブに、苦情を書いたら……でもどこから出すのか知らないよー。
読まれるのかな? 相手にされるのかな? スパチャ一つもしたことないのに。全国からなにか苦情的なメールは集まってるんでしょ? アメリカ? アメリカの本社の言うこともお伺い聞きながらやってるんでしょ? ハードル高いよー。

それでも宣伝を書く私。

※説明文の見方~リンクを開いたときに、ミックスリストの一番上に置いてある動画のサムネイル画面が大きく出ています。
 その下には『発達障害GZ・Lemon nora見た後のリスト』と、ミックスリストの名称、
 その下には小さめの字で『lemon Nora』、
 その下には『公開∨』設定、『〇本の動画 〇回視聴』で、その日、その時点でのリスト管理の情報などがあります。
 その下にやっと、自己紹介や、動画の説明文が出てきます。
『もっと見る』ボタンを押したら説明文が読めます
 次、下に、『▶すべて再生』ボタン。
 その横には謎のプラスボタン、矢印で共有ボタン、縦の三点リーダー。共有ボタンでSNSにリンクが貼れるもののようですね。

※『▶すべて再生』をクリックしても、必ず全部見なくてはならないわけではありません。お好きなところで打ち切って良い機能です。あくまで、個人的なお勧めの詰め合わせ がミックスリストの使い方のようですから。
 各個人のパソコン・スマホのユーチューブのリコメンド(お勧め)の中には、たいてい、ユーチューブ機器が勝手に作ってきたミックスリストも混ざってくることがあります。使い慣れない方は、それを開いていろいろいじってみたら慣れてきて安心できるのではないでしょうか。

(小声ミックスリストの『▶すべて再生』を押さないでもここの動画を見る方法あるみたいよね…。
ミックスリストを開いてから、リコメンドを開きなおすと、ミックスリストの一部の動画がリコメンドに流れてくることがある。
でもそんなコソコソする必要ある? どんだけ『脳』リソース無駄遣いな。
まさか『▶すべて再生』押してなにか恐っかないことが起こるとかそんなはず無いでしょうよねぇ……。

 

※書き足し、いつもいつもごめんなさいね。アップしてから何時間も経ってから稲妻⚡のように書きたかった表現を思い出すの。頭に負担が掛かっている感覚を感じることがある。パニックのようなコンディションで書いてる部分もあるのかもでしょうね。でも頑張るしかできない。
 だから、私一人じゃ足りないから、何人もで言語化🚗しましょうねって書かせていただいてるブログなの。




posted by Noralemon at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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