9月下旬、2度目の3連休にしてようやく、真夏の勢いがすこし落ち着いたかな?と感じる「今日の1曲」。
今日はこの曲!
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作詞/作曲:佐々木勉
発売:1982(昭和57)年8月21日 (ヒロシ:当時33歳、キーボー:当時25歳)
売上:73.6万枚(オリコン最高1位) ※1982年度 年間96位 1983年度 年間12位
1982(昭和57)年8月に発売されたヒロシ&キーボーのデビュー曲です。
●デュエットソングの定番
♪馬鹿いってんじゃないよ~
で始まる、昭和の名だたるデュエットソングで、平成の初め頃までは学生の間でもデュエットといえばカラオケでよく歌われていた曲です。
♪3年目~の浮気ぐらーい大目に見ろよ
は上から目線で歌い、
♪3年目~の浮気ぐらーい大目に見ってよ
では下手に出る形で歌い…
って感じで歌ったものでした。
♪パーヤッパーヤッ パッパラッパラッ… と始まるコーラスは当時からみても懐かしさを感じる雰囲気のものでした。
最初は、浮気なんて男の甲斐性、みたいないかにも昭和のノリで発されますが、だんだん女性の方が強気になっていく、そんな感じの曲ですね。
この曲の有名フレーズをもじって「カバ言ってんじゃないよ」とか言いながら中学の同級生と会話していました。
●黒沢博さんの訃報
先日、ヒロシこと黒沢博さんが75歳でお亡くなりになったとの報があり、兄で俳優の黒沢年雄さんのブログで発信されていました。
博さんは、グループサウンズ「寺内タケシとバニーズ」のメンバーとして、エレキの神様と呼ばれた寺内タケシさんのバンドで活動をしていました。博さんはバンドの活動期間にずっと在籍していましたが、初期は後に俳優になる大石吾朗さん(当時は「輿石秀之」名義)が在籍していました。
その解散後10年余りの時を経て、この曲と巡り会い、山田喜代子(後のキーボー)という女性とデュオを組むことで、一躍有名人になりました。
個人的に、当時見ていて黒沢年雄さんは大変有名な主演俳優だったのでよく知っていましたが、この「ヒロシ」(=博さん)がその弟さんだと知ったのはかなり後の事でした。
●兄の拾い物
そしてこの曲は、元々博さんが歌う曲ではなかったといいます。
元は兄の黒沢年雄さんのもとに、作詞作曲の佐々木勉氏が持ってきて、当時結婚して3年目だった年雄さんに「歌ってほしい」とオファーしたそうで、年雄さんが気に入らずに断った事で、弟の博さんのもとに転がり込んできたといいます。
相手のキーボーは、元々上京してOLとして勤務していたのをオーディションで選ばれて、コンビ結成になったといいます。
●売上
オリコン最高1位、73.6万枚を売上げた大ヒット曲となり、一躍「時の人」となった彼らは、その後「5年目の破局」という曲などをリリースしましたが、後が続かず2年後の1984(昭和59)年には解散しています。
それでもこの曲の大ヒットとその後に及ぼした影響は絶大なものがありました。
1982年度と83年度の2年にわたり年間売上100位以内を記録し、特に83年は年間12位とそのヒットぶりがよく分かります。
この曲が逆にヒットしすぎて「その後の博は苦しかったと思います」と年雄さんが彼の死後に綴っていますが、そんな絶頂期があっただけ幸せな人生だったのではないか、と勝手に思っています。
兄が俳優として偉大な人物だったので、その陰に隠れがちな面もありましたが、歌手としては、兄の年雄さんのヒット曲「時には娼婦のように」がオリコン最高2位だったのに対して、博さんはデュオながら1位を獲得したのは、何かと比べられがちな兄弟というものにおいて「兄に勝てた」事であり、良かったのではないかと思いました。