2024長野・松本旅行記2日目その7~笠鉾を見るために笠鉾会館ドリームホールに立ち寄る~

12時5分、蔵のまちの入口を入ってちょっとの所までしかまだ来ていない。
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そこで、先を急いだ。
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スコップが売られていた。親しい友人に「スコップ屋なんて珍しいな」と言うと「金物屋やろ、スコップ以外にも売っているやん」と返された。
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少し進むとガーロックの良い匂いがしたガーリックシュリンプのお店からだった。入りたくなったが、今日もお昼はそばのつもりだ。我慢することにした。
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すぐの斜め前に教会があった。須坂教会である。教会の感じが質素だからプロテスタントかなと思ったら、その通りだった。
後で調べたら、日本キリスト教団は、そもそも、プロテスタント33会派が合同して設立した合同教会である。
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細い通りを超えると笠鉾会館ドリームホールがあった。
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親しい友人が「ここに入るで」と言ったので、自転車を降りて止めることにした。
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中に入ることにした。
こちらの笠鉾会館ドリームホールは2階にある常設展は有料だが、1階にある笠鉾屋台展示ホールは無料になっている。
親しい友人は笠鉾が見たいとのことなので、1階の笠鉾・屋台展示ホールへと移動した。
1階といっても、階段で下に降りた。
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向うに見えるのは中町の屋台のようだ。
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振り返った。説明の動画が流れていたので、こちらが正面のようだ。
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毎年7月21日から25日にかけて須坂祇園祭が行われている。この須坂祇園祭は長野県無形民俗文化財に指定されている。
須坂祇園祭がいつ頃から始まったかは、祭りを主催している黒坂神社が1738年に火災に見舞われ、文献資料が焼失したため詳しいことが分からない。
しかしながら、長野県史資料によれば、少なくとも1760年には行われていたと考えられている。
もっとも、黒坂神社が1738年に火災に見舞われ文献資料が焼失したということなら、1738年以前から行われていたのでは?という気もするのだが。まあ、それを裏付ける資料も無いから仕方がないか。
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さて、このホールには笠鉾11基と屋台4台が常設展示されていて、笠鉾11基は巡行に参加しているが屋台は展示のみとなっている。
もっとも、本当に11基あるかは数えていない。
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笠鉾巡航観光マップである。まだ、それほど須坂の町を電動自転車で走っていないので、どのくらいの距離を歩くのかちょっと想像がつかない。
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こちらの笠鉾は新町のものである。
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依代は鉄板にメッキした139cmの御幣である。こちらの笠鉾は1919年(大正8年)頃に作られたそうだ。
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こちらは穀町の笠鉾である。
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依代は176cmの天鈿女命(あまのうずめのみこと)である。人形は白の石膏である。
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顔出しパネルである。今回はなぜか記念写真を撮らなかった。
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先ほども見た仲町の屋台である。
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この屋台は1822年(文政5年)と言われている。屋台の形態は全舞台型で、前方が踊り舞台、後方が囃子舞台になっているとのことだ。
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天井絵は昭和初期に書かれた鳳凰とのことでわずかにそれが見える。
なるほどなあと思いながら観ていたのである。

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この記事へのコメント

2024年09月06日 15:11
こんにちは。

笠鉾巡行というのは、存じ上げませんでした。
思わずGoogleで実際の巡行の写真を見たら、
ずいぶんデカいんですね! オドロきました。
京都の山鉾巡行も見てみたいですけれど、
混みそうなので須坂のほうがラクチンかも。。
中村裕司
2024年09月07日 11:35
京都の祇園祭は人が多いです。
須坂の方が町並みも良いので、こちらで見る方が絶対良いと思います。
暑いかもしれませんが。

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