『館シリーズ』の第六弾です。
黒猫館の殺人〈新装改訂版〉
著者:綾辻行人
出版社:講談社
ページ数:464ページ
読了日:2024年12月6日
満足度:★★★☆☆
『館シリーズ』の第六作目になる。
あらすじ
一九九〇年六月、稀譚社の編集者である江南孝明のもとに、
鮎田冬馬という人物から手紙が届く。
内容は「鹿谷門実先生とお会いし、お話をお聞きしたい」というものだった。
鮎田は二月に滞在していたホテルで大火災に会い、
その影響で記憶喪失になってしまったという。
分かることと言えば、
鮎田という名前が鮎田自身が書いたと思われる手記に書かれていたということ。
そして鮎田は去年の九月まで中村青司が建てた「黒猫館」という家の
管理人をしていたということだった。
江南は友人で推理作家の鹿谷門実に連絡を取り、
手掛かりとなる手記を読むことになったが、
そこには「黒猫館」で鮎田が遭遇した殺人事件が綴られていた。
主な登場人物
・鮎田冬馬:「黒猫館」の管理人。(60)
・風間裕己:「黒猫館」の現在の持ち主の息子。M**大学の学生。
ロックバンド〈セイレーン〉のギタリスト。(22)
・氷川隼人:その従兄。T**大学の大学院生。〈セイレーン〉のピアニスト。(23)
・木之内晋:裕己の友人。〈セイレーン〉のドラマー。(22)
・麻生謙二朗:同。〈セイレーン〉のベーシスト。(21)
・椿本レナ:旅行者。(25)
[( )内の数字は、一九八九年八月時点の満年齢。]
・天羽辰也:「黒猫館」の元の持ち主。元H**大学助教授。生死不明。
・ 理沙子:その娘。生死不明。
・神代舜之介:天羽の友人。元H**大学教授。(70)
・橘てる子:天羽の元同僚。H**大学教授。(63)
・江南孝明:稀譚社の編集者。(25)
・鹿谷門実:推理作家。(41)
[( )内の数字は、一九九〇年六月時点の満年齢。]
(4~5Pから引用)
ネタバレなしの感想
館シリーズの六作目は、風見鶏の「鶏」の代わりに「猫」が
取り付けられていることから「黒猫館」と呼ばれている館を舞台にしている。
この「黒猫館」の管理人・鮎田冬馬による人里離れた洋館で起きた奇妙な事件が
描かれている「手記」パートと、
鹿谷門実と江南孝明が「黒猫館」を探すパートが交互に進行して
いく構成になっている。
物語の本筋としては、鮎田冬馬が書いた手記を手がかりにして、
鮎田冬馬の記憶を取り戻すものになっている。
作中で語られている殺人事件に関しては一応謎解き要素もあるけれど、
かなり地味なものになっている。
また伏線の張り方などは分かりやすくフェアな部分も多く、
ある程度ミステリーを読みなれた方なら分かる部分も多いはず。
しかし本書はそれだけではなく、
最後に明かされる真相を読めば驚くこと必至の真実を目の当たりにするはず。
綺麗にまとまった作品でミステリー小説としての出来はかなりのもの。
問題はシリーズものだから本作から読むのはおすすめしにくいこと。
実際前作『時計館の殺人』のネタバレ要素があるので、読む際は注意が必要。
ネタバレありの感想
まず鮎田冬馬が天羽辰也であることはある程度想像しやすい。
そして手記の中に「全内蔵逆位症」であることが伏線として
散りばめられていることが非常に巧い。
私は胃の話では全く気付かなかったけれど、
胸を左手で押さえたの記述で流石に違和感を覚えた。
本作の最大の驚くべき真相は、
天羽辰也が中村青司に依頼した館が「黒猫館」と「白兎館」の二つあったというもの。
北海道の阿寒湖にあるのは「白兎館」で、
オーストラリアのタスマニア島にあるのが「黒猫館」になっている。
これも手記に伏線がこれでもかと散りばめられているが、
私には全く分からなかった。
「ダイヤルの0に指を掛けようとしていた」(168P)や
「まず彼女の本籍地、生年月日、そして身長。」(186P)などは、
確かに館が日本ではないこと、海外であることを示唆している。
椿本レナと麻生謙二郎の死の真相については鮎田冬馬の最後の手記によるもので、
椿本レナは絞殺ではなく、心臓麻痺か何か。
麻生謙二郎の死についてに密室トリックの真相は氷を使ったというもの。
しかし家の外に積もっていた雪をアイスボックスに入れたという手法は、
そもそも「黒猫館」の場所が叙述トリックによって八月の北海道だと
読者には思い込まされているので、
まず叙述トリックそのものを解き明かす必要がある。
なので密室トリックそのものがありきたりであったとしても、
叙述トリックと合わせると非常に巧いものになっている。
最後の鹿谷門実による解決篇は読んでいて圧巻の一言。
それもしっかりと伏線が張られているからこそで、
伏線回収の見事さでもかなりのものになっている。
あとは何といってもタイトルにある「黒猫館」自体は手記にしか登場せず、
中村青司と因縁のある鹿谷門実と江南孝明は「黒猫館」を
訪れることができなかったというオチになっているのも良かった。