音が悪いメリット
2024年 10月 22日
こだわりが強いほど、オーディオ趣味は散財するし沼にハマり込みやすい。
良い音というのは非常に抽象的であるし、なによりも個人差が激しい。基本的に高額な音響機器の購入時はだれでも失敗を恐れ、いつのまにか他人軸で購入してしまうので「思ったほど良い音じゃない」となったり「ぼったくられた」と落胆する確率がとても高くなる。その確率を出来るだけ上げずに「自分にとって良い音」を手に入れるためにはむしろ「他人軸の「良い音」にこだわりすぎる努力」を減らすことも必要ではないだろうか。誰でも自分の音を聴きたいのに「他人軸の音を良くしすぎないため」にできる事はそう多くない。そこで、音が悪いメリットはあるのかと自問した。
音が「良いメリット」
でなく、
音が「悪いメリット」
である。
べつに他意はない。悪いことのメリットへ素直に関心があるだけである。
市井の未熟者が、あくまでなんちゃってレベルにすぎないが、百万円単位のオーディオ機器たちを日々使っていると、同じオーディオ機器を使っても音が良い時と悪い時の差がとても大きいことに気がついた。
お気に入りのオーディオ機器を手放す(嫁に出す)時、その機器は大変素晴らしい美音を聴かせてくれる。この事実は御体験者も多いと思うが、「音が良い」という感じ方がいかに心境によるものかを示す事実であろう。
音が悪いメリットを示すと、いろいろ思い当たる。
1、臨場感がないから想像力が働く
2、解像度がないから聴き疲れしない
3、設置場所に鈍感であるから部屋の掃除や設置・移動時間が不要
4、暖気運転がいらないから、ちょっとした「スキマ時間」に気軽に音楽を楽しめる
5、録音の良し悪しに関係なく、常に平均点で鑑賞できる
6、「良い音だろうな」と期待しないから落胆がほとんどない
7、ケーブルによる音の変化に鈍感であるから散財しにくい
8、音を聞こうとする意識が全く生じないから音楽をたくさん聴く事ができる
9、同じ曲を繰り返し聴く事が圧倒的に減る
10、ながら聴きに最適で、映画やゲームに利用しても映像に集中できる
等々、、。
音が悪いメリット、まだまだありそうだ。
「6、期待しないから落胆が少ない」という事実に対して実感を持つためには「高額オーディオを自分で所有するしかない」という残酷さがある。半世紀以上メルセデスの乗り続けて、先日うっかりカローラに乗り換えた時「こりゃま、なんと気楽だなぁ」と思っている我が家では、「期待しないから落胆が少ない」のは、ことさら特別な実感ではないのだが。
アキュフェーズと804d4の音楽再生は同じ曲を繰り返し聴き続けることが大半だ。それが楽しい。同じ曲のはずが日々変化するし、置き方、繋ぎ方など微細にいろいろ弄ると音が激変するから同じ曲でその変化を味わえるのが面白い。子供っぽく一喜一憂する愉快さ。それをしっかり楽しめるのは、アキュフェーズとB&Wセットが織りなす凄まじいほどの音の情報量のおかげだ。一回だけのリスニングでは受け止められない音の量が「一曲の聴き込み」の徹底につながっている。
その反面、「9、同じ曲を繰り返し聴くことが圧倒的に減る」という点では音が悪いシステム(環境)だと、Roon+ Qobuz+ Tidalパワーもあるから、どんどん珍しい曲やアーティストの新譜を楽しめる、いや楽しもうとする自分がいる。その聴き方でも楽しい。自分の世界から新しい世界へ広がってゆくワクワク感。しかし残念ながら音が良い環境だと、そのワクワク感よりも一喜一憂を最優先してしまうのだ。音が悪い訳ではないが、Minimaとマッキン、ラックスの球アンプセットではしっかり音楽を聴いている。
家人は購入後4年経ってもまだ任天堂の「どうぶつの森」をしている。そのやりこみ度は尊敬に値するわけで、総プレイ時間が5000時間を超えたと言っているからもはや異世界の住人だ。ま、こちらもかつてはWoWを10年超えてプレイしていたので人のことをなんやかや言えないのだが。
つい先日、そのことに敬意を表して、その任天堂ゲーム機をアキュフェーズ+804に接続した。HDMI出力をデジタル化するのにひと苦労したが、なんとか音が出た。私が「音が出た」という事実に興奮している横で「すごい!」と家人が云う。「当然だ、これが高級な音なのだ!」と言うとそうではないと云う。じゃあ何がそんなにすごいのかと尋ねると
「雨の音がキレイ!」
というのだ。
私のオーディオ機器に繋いだ際にたまたまゲーム内で「雨が降っていた」ようで、家人は4年以上プレイして聞き慣れたはずのゲーム内の音に対して、今初めて聞くかのように「雨水の音の良さ」に感動している。高級オーディオを使っての贅沢なゲームプレイすることをすっかり忘れて、ただ「雨の音」に聞き入っているのだ。という事は、音が良いオーディオ機器の本来の目的はここでもしっかりと達成されている訳である。音が悪ければ、「音の悪さ」はBGMとしてゲームプレイだけに集中できるはずである。
高額オーディオは「音」を聞くための機械である。(この部分は意見さまざまだが、あくまで私のチープハイエンドシステムでの話に限ってのこと)
それはまた、「「音」を見る」ための機械でもある。
楽しいゲームプレイを引き立てるサウンドをリアルに聞く機械ではない。これがまさに前述リストの「10」の真逆の状態である。
そんなことを呑気に言っていられるのも、「自分にとって良い音(良いもの)」の機器に囲まれているからであって、いつまでたっても、どこまで行っても、阿呆のひとりよがりである。