【映画】役所広司さん主演、「PERFECT DAYS」を観た。

役所広司さんがカンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞した作品。

もともとは渋谷区内の公共トイレを刷新するプロジェクトのPRとして、ヴィム・ヴェンダース監督を招いて制作したという。

 

※以下、ネタバレにご注意ください。

 

主人公の平山は、東京スカイツリーのある下町の古い二階建てアパートに住む無口な男。

仕事は渋谷区内にある公衆トイレの清掃。

判で押したような彼の生活を追う映像のあちこちに、彼のこだわりや生い立ちを窺わせる断片が散らばっている。

たとえば音楽のカセットテープ。

一本一万円前後で買い取ってもらえるテープをたくさん持っている。

そのうちの数本を自家用車に積んでおり、毎朝、缶コーヒーを片手に音楽を聴きながら仕事先へ向かうのが常。

他には緑が好きなところ。

自宅の一間には、出先から持ち帰った挿し木の鉢が幾つも並んでおり、毎朝、スプレーで水遣りをする。

仕事の日の昼休みには、いつも同じ場所で風に揺れる木々を愛でながら昼食を取る。

気に入った構図があれば、胸ポケットに忍ばせたカメラを取り出し、ファインダーを覗かずに木々や花の写真を撮る。

仕事のあとは銭湯に行って、浅草地下街で一杯やる。

帰宅後は布団に入って文庫本を読み、眠くなったら寝る。

そして、モノクロの夢を見る。

 

休みの日はコインランドリーで洗濯をして、現像したモノクロ写真を受け取る。

気に入った写真は保管用の缶に仕舞い込み、それ以外は破り捨てる。

その後、古本屋に行って一冊百円の文庫本を購入し、行きつけの小料理屋に向かう。

これが彼の日常。

判で押したような日々。

しかし、その実、小さな変化が木枯らしのように吹き、そのたびに彼の感情は揺さぶられる。

たとえば彼のカセットテープの音楽が好きだという若い女の子に会う。

「カセットの音っていいよね」

この共感の一言が彼に小さな喜びと笑みをもたらす。

きっとCDではなく敢えてカセットテープというところに彼なりのこだわりがあるのだろう。

 

(そこでわたしも久しぶりにカセットテープの音が聞きたくなって、昔のテープとラジカセを引っ張り出してきたが、再生ボタンを押したら悲しいことにテープが絡まってしまった・・・チーン)

 

ある日、高校生ぐらいの姪っ子が訪ねてくる。

アパートの階段で彼の帰りを待っていた彼女をみても、最初は誰だか分からなかった。

随分と久しぶりに会うのだろう。

家出してきたという姪は平山になついている。

翌日から平山の仕事先である公衆トイレについてきた姪は、そのうち、床のモップ掛けなんかを手伝い始める。

朝は平山のカセットテープを聴き、夜は平山の文庫本を読む。そして、平山から贈ってもらったという、彼とお揃いのカメラを取り出し写真を撮る。

最近のティーンエイジャーによくいる厚化粧もなく、すれた感じもしない。

真っ白なキャンバスといった感じの瑞々しい十代。

姪は、平山と彼の妹である自分の母との関係をよく知らない。

曰く、ママにおじさんのことを聞いても、自分たちとは違う世界の人といって何も話してくれないそうだ。

ママと仲が悪いのか訊ねても、平山は適当にはぐらかす。

平山は姪が可愛いようだ。

彼女といるとき、彼はいつもより楽しそうに笑う。

ふたりで行った銭湯で、彼は公衆電話から電話をかける。

どうやら妹に電話をしたらしく、その晩、姪を迎えにきた。

運転手付きの黒塗りの高級車に乗って。

姪はちいさな抵抗を試みるも、母親の一喝でしぶしぶ荷物を取りに行く。

久しぶりに会った妹との短いやりとり。

「にいさん、これ好きだったでしょう」と手土産を差し出す妹。

こんなところに住んでいるんだと古いアパートを見上げ、本当にトイレ掃除やっているの?と兄に訊く。

平山が無口ゆえ、会話にならない会話なのだが、とりたてて仲が悪いという感じもしない二人。

やがて妹がいう。

「お父さん、もう何も分からなくなっているから、会いにいってやってよ」

その言葉に俯き、しかし、首を横に振る平山。

何が原因かわからないが、明かされる父との確執。

おそらく認知症を患い、いまは施設で暮らしているであろう父。

妹が何もかもを切り盛りしているのだろう。

やがて荷物を手にした姪が戻ってきて、平山をふんわり抱きしめ、ありがとうと言う。

彼女が車に乗り込んだ後、なんとなくその場を立ち去りがたそうにしている妹が兄に視線を送る。

すると平山は彼女の側に行き、その身体をぐっときつく抱きしめた。

そして身体を離し、さあ行けとでもいうかのように頷いてみせる。

妹は何ともいえない、でも柔和な表情をみせて車に乗り込み、その場を後にした。

彼らが去る間、平山はずっと俯いていた。

そして、その場にひとり立ち尽くし、声にならない声をあげて泣いた。

最も印象的なシーンだ。

ちなみに妹役は麻生祐未さん。

わずかな出演シーンにもかかわらず、彼女の表情や話すトーンが実に多くのことを物語ってくれたように思う。

ふたりは別に仲の悪い兄妹ではないのだろう。

憶測だが、裕福な家庭、厳格な父、、、

平山の几帳面で丁寧すぎる仕事ぶり、常に整理整頓された室内、綺麗好きな性格、読書や音楽の趣味など、、、その人となりを特徴づけるいくつかのピースから、彼の育ちの良さを感じ取ることが出来ないわけでもない。

不仲の原因は分からない。

記憶のドアに鍵をかけてしまった父は、もしかしたら、平山の顔をみても誰だか分からないかもしれない。

妹のことですら認識していない可能性もある。

もはや関係を修復する機会は失われた。後戻りもできない。

大変な時期の諸々を妹がすべて背負ってくれた。

姪をあんなにも良い子に育てあげながら。

そして、すべてを押し付けた兄に憎まれ口を叩くわけでもなく、父との再会のタイミングをそっと知らせてくれる。

あくまでも頑なな彼に対して、それでも血の繋がりは深い愛情と包容力をもって彼に接してくれた。

彼の殻だけが硬い。

そう見えた。

 

休日。

いつもより早めの時間だったろうか。いきつけの小料理屋がまだ閉まっていたので、向かいのコインランドリーで文庫本を読みながら時間をつぶす平山。

やがて物音がしたので振り向くと、小料理屋のママが見知らぬ男と一緒に店内へ姿を消した。

コインランドリーを出て、少し開いたドアから中を覗くと、ママが男に抱きついているではないか。

思わずその場から立ち去る平山。

コンビニで酒を買い、河原に行った。

すると、例の男がやってきた。

男はママの元夫だという。

いまは既に再婚しているが、癌を患い、それが転移してしまったそうだ。

抗がん剤治療が辛いという。

言葉にはしないが、余命宣告を受けたのかもしれない。

どうしても元妻であるママに会っておきたくなったと言うのだ。

会って謝りたいというのとも違う、かといってお礼を言うのとも違う、とにかく会っておきたいと思ったそうだ。

だから、思い切って訪ねてきた。

ママから平山が常連であることを聞いた男は、よろしくお願いしますと頭を下げる。

その後の話の流れで街灯の下、互いの影を重ね合う二人。

重ねた影は濃くなるのかならないのか。

そして、そのまま影踏みを始める。

息を切らしながらちょっと夢中になる二人。

帰宅した平山は、その夜もモノクロの夢を見た。

 

翌朝、いつもと変わらぬ一日が始まる。

いつもと同じ朝のルーチンを終え、作業着のつなぎを着て、いつもと同じ缶コーヒーを買い、車に乗り込んでカセットテープをかける。

曲はニーナ・シモンの「Feeling Good」

ふいに泣きたくなり笑う。

目に涙をためながら白い歯を見せて笑う。

朝日を浴びて、泣き笑いが続く。

 

♪夜明けがくる。新しい一日が始まる。わたしの新しい人生。最高の気分。

 

ニーナ・シモンは、アフリカ系アメリカ人のジャズシンガー。

アメリカの公民権運動にも参加するなど、黒人の自由と権利のために闘う市民活動家としての一面もあったという。

 

平山が自ら選んだ生き方。

人との繋がりを極力切り捨てたミニマムな社会。

毎日、夜明けと共に彼のための新しい一日が始まる。

誰にも邪魔されない自分のためだけに続く人生。

モノクロの夢から目覚めた朝、それが最高の気分かどうかは分からない。

後戻りはできない。

なかなか思うようには動けない。

 

見る人が見れば、切なさで胸が締め付けられて、涙がちょちょ切れそうになる作品かもしれない。

渋谷区の公共トイレ刷新のPRのために作られた映画ですけどね。

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