’23年10月2日(月)・2日目 約21Km、30,533歩
安楽寺から十楽寺までは昨日も往復していますが、さらにもう一度歩き、8時頃に第8番「熊谷寺」に着きました。
9時頃、第9番「法輪寺」へ到着。寺に入る道を早く曲がり過ぎましたが、ウォーキング中の女性(50代?)がわざわざ正しい入口まで同行して下さいました。
「四国遍路ひとり歩き同行二人地図編」には、特に道の曲がり具合やコンビニ・飲食店等が、それほど正確に記載されているわけではないことがわかりました。
10時頃、第10番「切幡寺」山門に到着。333段の階段には男女のやくよけ坂があり、休憩しながら登りました。
10分近くかけて本堂に到着。切幡寺の名前は「弘法大師が山麓の乙女から7日間施しを受け、布を乞うたところ織っていた布を惜しげもなく切って差し出した」という故事に由来するとのことです。
次の藤井寺までは10Km近くあり、2時間くらいかかります。吉野川に向かって南下すると、民家のベンチで外国人女性遍路が休憩していましたが、なぜか切断された左手首が肩の上に置かれていました。左足も骨折しているようでしたが、怖くなって急いで過ぎ去りました。
その先には「空海庵(切幡)」というヘンロ小屋がありました。
お昼は「うどん亭八幡」でカレーライスとうどんのセットを注文。11時頃に入店すると、何と入り口の床で魚が暴れていました。他のお客さんがハマチの刺身定食を注文しており、板前さんが生け簀から出した際に誤って床に落としたためでした。
店を出た後に北側を見ると、山の中腹に先ほどお参りした切幡寺が見えました。
遍路道をさらに南下すると吉野川の堤防に突き当たり、中洲の「善入寺島」に向かって「大野島橋」(潜水橋)を渡ります。何台か車が来るたびに、欄干に上がって身をかわしました。
既に10月に入りましたが、中洲には彼岸花(曼殊沙華)が咲いていました。昔は見事なまでに彼岸に咲いたものですが、温暖化のせいか1週間も遅くなっています。
向こう岸に向かって同じく潜水橋の「川島橋」がかかっており、こちらも車が来た場合、歩行者は避けなければなりません。
吉野川を渡りきると、ブログで何度か見たことがある休憩所がありました。新型コロナの感染症で亡くなった志村けんさんのバカ殿様が、ご本尊?として祀られていました。
休憩所からは、吉野川や渡ってきた沈下橋が見え、切幡寺も遠望できます。
藤井寺が近づくと、焼山寺に行くために超えなければならない山が見えてきました。
13時半前に、第11番「藤井寺」に到着。
寺の境内には、次の日に歩く最大の難所「焼山寺」に続く遍路道への入り口があり、好天にもかかわらず薄暗く不気味な佇まいで待ち構えています。明日は早朝から歩くため、駐車場係のおばあさんに駐車料金を前払いしておきました。
(今日の一言)
今回の遍路の目的は「報恩謝徳」で、納札の願意にもそう書きました。お参りしたお寺の本堂と大師堂で、家族・四国の皆様・お大師様に感謝の気持ちを伝えました。自分に関するお願いは全くしていませんが、昨日お悩みを聞いたAさんと彼女の心が安らぐようにということだけはお願いしました。
そしてもう一つの目的は病気の予防です。春に手術を受け、ある臓器を半分切除しました。主治医からは糖尿病になる確率70%と宣告されており、できるだけ基礎代謝を高めておきたいと思ったからです。
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