‘23年12月15日(金)・3日目
21世紀の森公園→第二大浜バス停 14.6km
10時前に名護市の「21世紀の森公園」を出発。
公園内には、1月半後に新庄監督率いる「日本ハムファイターズ」がキャンプを行う、「タピックスタジアム名護」がある。
同じく多目的広場(屋外投球練習場前広場)。
さらに進むと”FLIPPER”というおしゃれな外観のレストランがあった。
国や地域の食文化を否定する意図は全くないが、名護湾では近代までイルカの追い込み漁が行われていた。
イルカがたくさん生息しているのが名前の由来かな?
北側の本部半島には、「嘉津宇岳」や「八重岳」の雄姿が見える。
国道449号線を西進すると、
南側には美しい名護湾と、対岸には恩納村の山並みが見える。
土砂崩れ現場も、沖縄では見慣れた赤土だ。
霊園の広告看板では、かりゆしウェア姿の「具志堅用高」さんが「ガッツポーズ」(ではなく「ちょっちゅねポーズ」?)をしていた。
この先には採石場があり、ダンプが頻繁に通る。
晴れた日には土埃が舞い、雨の日は泥はねで車が汚れる。
「ホテルリゾネックス名護」の前を通過。
名護湾沿いをさらに西進する。
美しい砂浜で、「ダイサギ」(とちゃう?しらんけど)と「カラス」の奇跡的な?ツーショット。
右側の岬の山には採石場があり、その手前は船に土砂を積み降ろしする突堤と思われる。
辺野古の埋め立てに使われる土砂は、ダンプカーによる陸送以外にもここから海上輸送されているようだ。
国道からの出入り口にはガードマンが数名立っており、反対派が抗議活動を行っていた。
この標識から海洋博公園までは14km、瀬底島は12kmだ。
山側には「琉球セメント株式会社」の煙突が見える。
あの煙突から、目には見えないがおびただしい量の二酸化炭素が排出されているはずだ。
愚かな戦争からの復興や、経済発展に伴うインフラ整備にはセメントが不可欠である。
セメントに起因するのは全体の数%ではあるが、残念ながら私を含めた人間がCO₂を排出し、限りある地球の寿命を縮め続けている。
この付近の歩道は両側に植樹されており、1月前まで歩いていた遍路道のようだ。
名護市の方向を見ると、先ほど前を通ったホテルや野球場の向こうに「名護岳」が見える。
途中の休憩所。
四国にあれば、お遍路さんが野宿しそうな東屋だ。
「パイナップル?」と思った人は「ブッ・ブー」。
これは「アダン」で、「パイナップル」は地面に生えている。
採石場の看板。
どちらの会社も社名に城が含まれており、城が立つほど儲かっていそうだ。
グレーの部分は、ベージュの琉球石灰岩に熱と圧力が加わり、大理石になっている。
土砂の浚渫船か運搬船と思われる船が、10隻以上停泊している。
何らかの作業をしているのは、そのうち1隻だけだった。
土埃で白くなった道端で、久しぶりに自販機を見つけた。
ここは塩川原というところで、塩川ビーチに近い。
「ふたたび戦場にしない」という県民の思いには、全く同感だ。
採石場を過ぎると、店が散見されるようになってきた。
「パーラーワイズマリン」で、
ポーク玉子とアセロラジュースをテイクアウトした。
”take out”は和製英語で、沖縄には米兵やその家族、外国人観光客が多いので、ネイティブにも分かるよう”to go”と表記されている店も多い。
「瀬底島」が見えてきた。
沖縄ファミリーレストラン“HAWAII”の派手な看板が目に入った。
恥ずかしながらスペルに”I”が二つも必要なことを初めて知り、勉強になった。
この店は初代Aランチ選手権でグランプリを獲得したとのことだ。
ついさっき「ポーたま」を食べたばかりなので入店はしておらず、拝借した画像をアップするのは止めた。
いつか必ずこのAランチを食べにくるぞ!
瀬底島に架かる「瀬底大橋」だ。
何年か前、レンタバイクで渡ったことがある。
14時を過ぎたので、バスで引き返すことにした。
名護バスターミナルには、本部半島を右回りしても帰ることができるが、時間とお金がもったいない。
ところが左回りのバス停が見当たらない。
スマホで調べると街中の旧道を走っていることがわかり、
「第二大浜バス停」を見つけてこの日のゴールにした。
3日目のルート(21世紀の森公園→第二大浜バス停)
(本日の一言)
今年6月、辺野古移設工事に使う土砂の搬出地で、移設に反対する市民団体の抗議により、警備員が亡くなるという痛ましい事故が起こった。
移設工事には反対する立場だが、警備員の方に心からご冥福をお祈りする。
やっと足が昨年の状態に戻って、30km歩いても痛い所はなくなった。
徳島には難関のお寺が多いので、最後まで無事に歩きたい。
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