‘24年沖縄車中泊の歩き旅(番外編) ドラゴンズ
20年ほど前は大阪に住んでおり、何年間か中日ドラゴンズの追っかけをしていた。
応援のため名古屋・東京・横浜・広島まで度々遠征するのは当然だが、毎年沖縄のキャンプにも来ていた。
落合監督の時代、山井・岩瀬のパーフェクトリレーによる日本一もこの目で観た。
今は当時のように熱狂的ではなく、勝敗へのこだわりもないがファンであることに変わりはない。
こだわりがなければ勝った時の喜びも小さいが、負けた時の苦しみもない。
「般若心経」の「心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖」に近い心境だと思う。
前日に本島一周を歩き終えたので、読谷村の2軍キャンプを覗いてみた。
2月3日(土)の練習メニューだ。
レンタカーも多いが、遍路と同じような観光バスの団体さんには驚いた。
これは2月4日(日)の練習風景。
これは当日の練習メニューだ。
トンボを持っているのは石川昂弥選手、森越コーチの向こうは高橋周平選手だ。
二人とも読谷に居ては困るのだが・・・
こちらは2月6日(火)、北谷(1軍)の練習メニュー。
グランドの様子。
2月22日(木)、読谷で阪神との練習試合。
1-4で負けた。1点は周平のホームラン。
その気になればボールを取りに行けたが、公式戦で自分に向かって飛んできたホームランボールを持っており、もう要らない。
2月23日、北谷で広島とのオープン戦。
先発は若きエースの高橋宏斗だったが、いきなりホームランを打たれ0-10で大敗した。
試合の前にイオンでチューハイとおつまみを買っていたら、愛読しているブログの著者である「けいじい」さんをお見かけし、突然で失礼だったが挨拶した。
試合後にも球場の外で再会することができ、少しだけお話した。
応援する球団こそ違うが、様々なことに対する価値観が近いのだ。
(その時の「けいじい」さんのブログ)
(本日の一言)
2003年、阪神タイガースの指揮官は星野監督、今岡→赤星→金本→桧山→片岡・・という打順で、大差のリーグ優勝を果たした。
その頃の甲子園球場では、ドラゴンズの応援団も自由席のレフト最前列で応援することができた。6月5日の先発はメジャーから帰って来た伊良部投手(故人)で、8回裏まで0対2でドラゴンズは完封負け寸前だった。
9回裏、谷繁選手が顔ほどの高さのくそボールを打ち、なんとレフトスタンドまで飛んできた。前から数列目にいたのだが、幸運にもワンバウンドしたボールを左手でキャッチすることができた。草野球の経験しかないのに、よく捕れたものだと思う。
伊良部投手はお気の毒な最期を迎えられたが、苗字からも分かるように母上のルーツは沖縄である。アメリカの軍人が父親であり、戦争がなければ彼は生まれなかった。
私の母は神戸生まれの大阪育ちで、戦争がなければ山陰に縁はなかったので、私もこの世にいなかった。何か複雑な気持ちである。
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