情けないことだが、先日のパワハラクソジジイとの忘年会以来、クソジジイに囚われてしまっている。
昨日など、妻にジジイについて話をしていたらムカつきすぎて眠れなくなり、結局、昨夜は2時間しか眠れなかった。…最悪の年末だ!クソが!まぁ、そのクソジジイを自分の脳内スクリーンから削除せずに、意味もなくしっかりと映して、味わってしまってる自分が一番悪いんだけどね。
今日はそんなこともあり、寝不足でランニングに出る元気もなく、勉強する気も起きない。しかしそれでも「1ミリでも前に出よう」との思いで、いつものランニングコースの海へ散歩に出た。iPhoneで音楽を聴きながらだ。
長渕剛、玉置浩二などなどのお気に入りをシャッフルして聞いていたのだが、途中流れてきた野狐禅の「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」という曲が今日は何故だかやたらと心に刺さって、家に着くまでの間、何度も繰り返し大音量で聴いた。
この曲は竹原ピストル作詞作曲で、ピストルがソロになる前に組んでいた野狐禅の2003年のメジャーデビュー曲である。(出来れば、是非聞いていただきたい、衝動溢れる名曲である。)
【竹原ピストル在籍】野狐禅 / 自殺志願者が線路に飛び込むスピード (シングル・ヴァージョン) PV現在 俳優・シンガーソングライターとして映画主題歌・出演やCMソングの担当などで活躍している竹原ピストルさんが過去に在籍していたフォークバンド「野狐禅(やこぜん)」のデビュー曲ですyoutu.be
私は学生時代から竹原ピストルが好きで、20年くらい前から野狐禅、解散してからは竹原ピストルのライブにしばしば行っていた。竹原ピストルの作る歌は、常に日常を描いており、だからこそリアリティと説得力があり、心に響く。かつて竹原ピストルは毎日のように日本各地のライブハウスでライブをしていた。本人は「ドサ廻りの鬼」と自称していたが、まさにその通りで、小さなライブハウスで年間200〜300本のライブをこなしていた。かつて、私が参加した時も観客10名なんてことも何度かあったが、それでも手を抜くことなく本気で絶唱する姿は鬼気迫るものがあった。
ちなみに、ライブ後に徳山駅前の屋台で一人で飲んでたら、ピストルが現れて乾杯させてもらったこともある。とても気さくで、見た目通り近所の兄ちゃんという感じであった。そんな身近に感じてた歌手がまさか紅白の舞台まで登りつめるとは思いもしなかったが…。
この「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」は、何かに情熱を傾けたいが、何に情熱を傾けてよいかわからずに悶々としてジタバタと空回りしている様を描いているのだと思う。「自殺志願者」のように、死んだように毎日過ごしているが、月並みな言い方をすれば「死んだような気持ちで」「捨て身で」何かに必死になって生きていこうと決意する、再起への決意の歌なんだということが最近になってぼんやりとわかってきた。だからこそ、いまの私の心境にシンクロして、心に刺さったのだと思う。作者は、悶々とした状態から「ドサ廻り」を開始し、「自殺志願者」から脱却できたのだろう。
死にたいなんてことら考えもしないが、まさに私は大げさに言えば、ここで歌われている「自殺志願者」のようなものかもしれない。寝食に困らず、妻子にもめぐまれ、生きるには何の不足もない。…しかし何かが足りない。日々、仕事を機械的にこなし、飯を食らって、ネル。…その退屈な繰り返しのなかで、何か焦りを感じている。
何かをしなければ。何か熱くなることをしなければ。そんな衝動のもと、勉強を始めてみたり、筋トレしてみたり、そして禁欲をしてみたりと自分なりの、庶民なりのジタバタを始めてみている。
幸いにも今年、禁欲を通じて、私は目指すべき、到達すべき場を見定めることができた。
「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」で歌われている様な衝動とジタバタは正しい。そう信じて私も正しくジタバタして行きたい。そしてそのジタバタの求める行き先のわかった今、毎日、邁進と言わないまでも、1ミリずつであってもそこに進んで行けば良いのである。
クソみたいな年末ではない。…少しづつでも、毎日1ミリずつでも進まなければいけない。そう改めて思えた、素晴らしき、糞みたいなクソジジイとの忘年会であったのだ。
死ぬほど月並みな言葉で言えば、千里の道も一歩から。オレは毎日、一日1ミリでも進んでゆくぜ。
クソジジイが!見てろよ。