通りすがりの〇〇なホラーブログ

自作のオリジナル怪談がメインのブログです。短編のホラー小説や世にも奇妙な物語のような話の作品も書いていきたいです。一人で百物語ができるだけの話を作っていきたいと思います。

【通りすがりの怪談】怪其之二十三 ~監獄~

怪談 ~監獄~

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手を離すと、後ろで鉄が重く軋む音がして今まさに通り抜けてきたばかりの扉が閉る。
扉が閉まりきるときに金属がぶつかる甲高い嫌な音が鳴り響く。もう幾度となく聞いている音だが、その瞬間にはいまだに体がピクっと反応してしまう。
扉の方を振り返ると、扉の上部にある覗き窓からこちらを見る看守の顔が見える。
その看守の顔はまったくの無表情で、いつ見てもゾッとする。いつもなるべく見ないようにはしているが、毎日会わざるをえないため、どうしてもその表情のない顔を見てしまう。
不快な気持ちを抑えつつ、私は前に向き直った。
目の前には青白い明かりに照らされた通路が長く奥まで伸びている。通路の突き当たりまでは30mくらいはあるだろうか。
通路の全ての床と壁が白一色に整えられているが飾り気は一切ない。ひどく殺風景な印象だが、ここは死刑囚がいる監獄なのだからそれも当然かもしれない。
その通路の両側には等間隔に鉄格子が並んでいる。鉄格子の中は檻となっていて、片側に5つずつ並んでいる。檻は全てで10あるが、そのうちで使われているのは半分の5つだけで残りは空きとなっている。向かいあう檻の鉄格子部分は交互に配置されているため向かいの檻の中の様子はそれぞれの檻からは見えないようになっている。
通路の壁も床もシミが一つもないほどに、常に綺麗に清掃されているが、それにも関わらずここは空気が澱んでいるうえに臭いが酷く、まるで動物の檻の中にいるかのような悪臭がする。意識しなくとも鼻ではなく口で呼吸をしてしまう。
その臭気の原因は檻の中にあると私は思っている。檻の中には様々な獣が入れられているからだ。いや、今私は檻の中にいるものを獣と形容したがその表現は正確に言えば正しくない。檻の中にいるのは首から上が獣で首から下が人間という半人半獣だった。その首から上の獣の部分はそれぞれに種類が異なるので、私は様々な獣と表現したのだ。
しかしここにいるのは実際には見た目は普通の人間、ただ死刑のときを待つだけの囚人たちだった。その囚人たちのことが半人半獣に見えるのは私だけだ。そして酷い悪臭を感じているのも私だけだ。
どうしてそのように見えるのか、その原因は私の中にあるらしい。私が初めてここに来たときに檻の中に獣が居ると恐怖から怯えていると、そのように見えるのは私の病気の症状の一つらしいことを教えられた。そしてその病気の治療のためにあなたはここにいるのだと、ここの監獄の所長から告げられた。
ただ、そのように言われても私には獣にしか見えないため、どうしても普通の人間として受け入れることはできなかった。
実際、私の視覚も嗅覚もそしてときには聴覚さえも彼らを獣としか認識できないのだから、どうしようもない。
だから私は彼らを"人"ではなく"ヒトのようなもの"と思うようにした。それが欺瞞であることは承知の上で、私が彼らの存在を認識として許容できる唯一の妥協点がそれだったのだ。ここにいる以上はそうしていくしか仕方がない。
私には彼ら囚人に食事を配膳する仕事が与えられていた。食事と言っても一つの皿にすべてが乱雑に盛り付けられただけのもので、見栄えは最悪のものだった。私はそれを食べたことはないが、味も最悪なのは想像に難くない。私はそれを初めて見たときにこれは動物の餌だと思ったほどだ。
皿を鉄格子の下部についている小さな扉から中に入れる。そして檻の中の囚人の食事が終わるのをその場で待ち、食事が終わって空いた皿を回収するまでが私の仕事だった。
仕事がない時間は、私は与えられた自室で過ごしていた。そこは死刑囚の監獄がある同じ建物内にあり、窓が一つもない閉じられた空間だった。その部屋からは仕事以外には基本的に出ることは禁じられていた。
部屋の中にいさえすればなにをするも自由だったが、私のいる部屋の中にあるものといえば部屋の中に所狭しと積み置かれている大量の様々な専門書だけだった。私はその中から選んだものを読んで一日の大半を過ごしていた。毎日が同じことの繰り返しだった。
ただ、ここに来た当初は私はそんな生活も悪くはないと思っていた。


私はこの監獄に来るまでの記憶が非常に曖昧だった。いや、ほとんど覚えていないと言ってもいいくらいだ。それは私の病気が原因なのか、病気の症状の一つなのかは分からない。自分が誰で、どこで生まれて、どのように育ったのか、その記憶も断片的にしか残っていなかった。そして、微かな曖昧な記憶も自分の記憶だとはとても思えなかった。例えるならば、他人の記憶の断片を頭の中で再生しているような感じだ。その記憶からはまるで自分が体験した実感が湧いてこない。唯一に朧げながらも実感のある記憶は、私は何かに追われ必死に逃げているものだった。誰に追われ逃げているのかはどうしても思い出せない。ただ、その焦りの感覚だけは明確に残っている。そのため、もしかしたら私は檻の中の彼らと同じように罪人だったのかもしれないと漠然とだが思うことがある。
実際にここから外に出れないという点で私は彼らと同じだ。ただ彼らが檻の中にいて、わたしが檻の外にいるのは、もしかしたら私が病気のためかもしれない。
所長からは私がここにいるのはその病気の治療のためと言われているが、それがどのような病気なのか教えてもらったことはない。治療と言っても私がやる事といえば、囚人へ食事を配るだけの仕事と、毎日の医者との面談だけだった。自分では病気が良くなってきているのかさえ分からない。
そもそもなぜ病気の治療をこのような場所で行うのかも分からなかった。
分からないことばかりだったが、そんな私に何ができるのだろうと考えると、結局はできることは何も無かった。囚われの身で言われるがまま従うしかなかいのは、やはり囚人と同じようなものだった。


私の記憶が明確なのはこの監獄に来てからだった。どのような経緯でここに来ることになったのかもまるで覚えていなかったので、おかしな話だけども私の記憶では私は突然ここに現れたことになっている。
そしてここに来て初めて会った人が所長と私の主治医と名乗る医者の二人だった。医者はイルカの顔をしていて私のことを心底驚かしてくれたが、所長は人間の姿をしていた。後で分かることだか、所長はここで私が普通の人間の姿に見える唯一の存在であった。
所長は何が何だか分からず混乱している私に対して、あなたは病気のせいであなた自身に現在、いろいろな問題が起こっていると、告げてきた。
医者がイルカに見えるのも、その問題の一つらしい。そして病気の治療のためには、私は死刑囚が収監されているこの監獄にいる必要があるとも言う。
イルカの医者は私を見て軽くお辞儀をすると口を広げて目を細めた。どうも笑ったようだ。どう見ても私にはイルカにしか見えないが、顔の表情や仕草はたしかに人間のように思える。
今後は毎日、決まった時間に医者と面談するようにと所長に言われた。
「まずはあなたのことを聞かせて。」
イルカの医者は優しい声でそう言った。
「あまり覚えていません。」
私は申し訳なさそうにそう答えた。
「いいの、覚えていること、今どういう状態なのか、あなた自身のことをあなたの口から聞きたいの。」
そうして私とイルカの医者の面談がその日から始まった。
そしてもう一つ、所長から私にこの監獄に収容されている囚人への食事の配膳が、私の仕事としてその時に与えられたのだった。


それからは毎日が同じことの繰り返しだった。時間になるとマネキンのようにまったく表情がない看守たちに連れられて、食事が乗せられている配膳用の台車が置いてある場所まで行く。そしてそれを囚人のいる檻まで運び食事の入った皿を配る。そして食べ終わったあとにその皿を回収して元あった場所まで再び運んで戻す。私はそれを朝、昼、晩と一日三回行っていた。それだけならばまだ私にとってはそれほどの苦痛とはならなかっただろうが、もう一つだけ課せられたことが私に心底に苦痛を与えた。それは囚人たちとの会話だった。
その行為をなぜ行うのかは具体的な説明はなかった。所長が配膳が終わってそれを回収するまでの間、だいたい30分くらいの時間、私に囚人と会話をするようにと指示があった。それもなるべく毎回ごとに違う囚人と話をするようにと。話の内容はなんでもいい。話すことがないなら囚人の話を聞くだけでもかまわない。私に必ずそうするようにと所長から厳しい口調で言われた。
私は何のためにそのようなことをするのか理解できなかった。囚人と話すことに何の意味があるのか。孤独な死刑囚へのせめてもの情けなのだろうか。
私が所長に思ったことをそのまま伝えると、所長は笑った。死刑囚に情けなど必要ないと。
いま一番に必要なのあなたの病気の治療だけ。囚人と話をするのもあなたの治療の一環だからするのであって、それ以外には理由などはないと私に答えた。
そのように言われたら私は従わざるを得ない。何故なら私は病気の治療のためにここにいるのだろうから。そして、今の私にはここでの生活がすべてだった。


10ある檻にはそれぞれ番号が付けられていた。
その日私は、通路の奥の右側、5番が付けられている檻の前で彼ら囚人が食事を終えるのを待っていた。
檻の中から激しい怒声が私に浴びせられる。
「お前はいつも何をそんなに恐れている。俺が囚人だからか。俺が怖いのか。俺は人に危害は加えたりはしないぞ。」
その威圧的な声は私を委縮させる。
「私はあなたが何をしたかは知りません。ただ、ここは凶悪な罪人が死刑を待つ場所だということを私は知っています。そこに居る以上、あなたは人に危害を加える可能性がないとは思えません。」
私は極力、恐れの感情を出さず冷静に話すようにした。
「違う、たしかに俺はカッとなりやすいし、すぐに暴力を振るう。それは認める。そのせいで多くの人に迷惑をかけてきた。それについて今は申し訳なかったとも思う。ただ俺は死刑になるようなことは何もしていない。なのになんで俺が殺されなければならないのか。」
そう言った男の顔は猿そのものだ。血走った目が恐ろしげだ。
「私にはあなたの顔が猿に見える。」
「はっ、猿だって、俺が猿に見えるというのか。それは酷い。お前は完全にイカれちまっている。」
そう言って歯を剥き出しにして威嚇しながら、私を睨みつける猿の目に浮かぶ感情は苛立ちだった。


その日私は、通路の真ん中の左側、8番が付けられている檻の前で彼ら囚人が食事を終えるのを待っていた。
ガリガリに痩せたウサギの顔をした女がこちらを見ている。
私は淡々と鉄格子に取り付けられた鉄製の小さな扉を開き、そこから昼食の載った皿を中に滑り込ませる。
扉を閉じるのとほぼ同時に、ウサギは昼食の入った皿に齧り付く。
その様はどこからどう見てもウサギ以外の何者でもなかった。
「こっちを見るな、気持ち悪い。」
ウサギは私にそのように言うと、それ以上は一切何も話そうとはしなかった。
食事が済むと、ウサギは檻の中で激しく踊り始めた。ウサギはダンスが好きなようだが、狭い檻の中ではただウサギがピョンピョンと跳ねているようにしか思えない。私はそれをただひたすらずっと見続けていた。
私の視線に気づいているはずのウサギだったが、もはや私がここにはいないかのように私を無視して踊り続けていた。その情景はシュールを通り越してもはや滑稽に見えることだろう。
ひたすら踊り続けるウサギの赤い目からは何の感情も読み取れない、ただ無感だった。


その日私は、通路の奥の右側の檻、4番が付けられている檻の前で彼ら囚人が食事を終えるのを待っていた。
ラクダのような顔をした女は口を常にモゴモゴと動かしていた。その口の端からヨダレが垂れているが気にする素振りも見せない。自分は人間だといって譲らないラクダだが、私から見ればやはりラクダだ。
ラクダは外に出たいとずっと言い続けていた。他の誰よりもずっとここに縛り付けられ閉じ込められているのは不条理だと喚く。そして「外に出たくはないのか。」と私に聞く。
私はラクダに「外に出て何があるのか私には分からない、だから外に出たいと思わない。」と答える。ラクダはこの上なく顔を醜く歪ませて笑った。
「お前は出て行こうと思えば出れたはずなのに実に愚かだ。」
「じゃあ、外に出たら何がある。」私は逆にラクダに質問をした。
「望むなら何でもある。 外に行けばどんなことでもできる可能性があるのに。お前は本当に勿体無い。それがわかっていないのが本当に愚かだ。」
ラクダがいうことは抽象的すぎて理解できない。意味不明な理由で侮蔑の言葉を浴び続けた私は実に不愉快だった。
私は話すのをやめたが、ラクダはずっと「お前は愚かだ」と繰り返し呟きながら、口をもごもごしていた。
私を見つめるラクダの澱む目に浮かぶ感情は妬嫉だった。


その日私は、通路の真ん中の左側、7番が付けられている檻の前で彼ら囚人が食事を終えるのを待っていた。
フクロウのような顔をした男は、私にここで食事の番をしている以外の時間は何をしているのかを聞いてくる。
私の部屋にあるものと言えば所狭しと積まれている大量の専門書だけで、それを読む以外にやることなどなかった。
今は欧州の中世あたりの時代の歴史書を読んでいる。特段に面白いとも言えるような本ではないが、他の小難しい専門書に比べればまだ理解ができて読みやすかった。
フクロウにそう答えた。
「この檻の中は本の一冊もない。それは実に羨ましいことだ。」
フクロウはそう言って嘴を歪めた。どうやら笑ったみたいだった。何が可笑しいのか知らないが実に不快な顔だった。
「本当に必要なところには無くて、必要でないところにある。それはなーんだ。」
唐突にフクロウから謎掛けをされた私は何も答えることができなかった。私が黙っていると再び嘴を歪めて笑った。何度見てもやはり不快な顔だ。
あまりにも不快だったため「あなたは醜い。」とつい口に出して私は言ってしまった。
だがフクロウは嘴を歪めて笑ったまま、「美醜に何の意味がある。中身こそが大事なんだよ。お前はまるでわかっていない。」と自信満々の様子で言った。だが私にはフクロウの中身がそんなに大したものであるとは到底思えなかった。
私を見つめるフクロウの冷たい目に浮かぶ感情は嘲笑だった。


その日私は、通路の手前の右側、1番が付けられている檻の前で彼ら囚人が食事を終えるのを待っていた。
カエルの顔をした男はいつも壁に貼ってある様々な神の絵に向かって祈っていた。
毎日ただひたすら神に祈り続けていた。
その祈りは自身の犯した罪に対する贖罪の祈りではなく、死刑囚という自身が置かれた今の状況から助けを乞う祈りだった。
自身を助けてくれるなら誰でも構わないという浅ましい思慮、それを恥ずかしげもなく行為に移し堂々と繰り返す、他に縋るものがない哀れな存在。
私はカエルには何と声をかけていいのか分からず、またカエルから私に話しかけてくることもなく、ただ無言の時間が過ぎていった。その間もカエルはひたすら神に祈り続けていた。
神を見つめるカエルのギョロっとした目に浮かぶ感情は懇願だった。


唯一、ここで人の姿をしている所長だが、私はほとんど会うことはない。
所長室の中にいるのかいないのかも不明で、私が仕事で自室の外にいる時に出てくることもないし、私が所長室に勝手に行くことも許されてはいない。
看守は人の姿をしてはいるが顔に表情はなくすべての看守がまったく同じ顔をしているせいでマネキンが動いているようにしか見えない。会話を交わしたことはないし、私が話しかけても機械的な声で必要最低限の返答しかしない。
そのため必然と話をする相手は檻の中にいる死刑囚しかいなかった。ただ話をして楽しいと思える囚人は皆無で、所長に言われなければ話をすることはしないだろう。寧ろ話すことがここでの私のストレスとなっていて、本音を言えば話したくはなかった。どうしてこれが私の治療になるのかどうしても分からなかった。
ただ私には毎日医者による面談があった。今の私にとってはイルカの顔をした医者と話をするのが、唯一の楽しみであり、救いだった。
私は自身にあったこと、思っていることを毎日イルカの医者に話して聞かせた。
彼女は私の話をちゃんと聞いてくれるし、それに対して私が満足する返答も返してくれた。
ここにいる他の誰もがそれを私に対してしてくれることはなかった。そもそも囚人なんかに期待する方がおかしいのだが、私に与えられた環境の中ではイルカの医者以外には、たとえそれが不本意でも囚人にも縋るしかないのだ。

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