「夢ってなんだ」
仕事で出会ったとある施設の利用者さんに問いかけられた。
そんな壮大な問いかけからこの記事は生まれた。
夢とは何だろうか。これに私なりの視点で答えてみたいと思う。
夢とは
「夢」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
私は夢には大きく分けて二つの意味があると考える。
寝ているときに見る夢
夢が意味するものひとつは、寝ているときに見る夢である。
夢のメカニズムはまだ解明されていない。
現在有力な説としては、レム睡眠時に脳内で記憶処理作業をしていることで見えているのでは、といわれている。
将来を想像する夢
夢が持つもう一つの意味は、未来に叶えたい目標や希望を表現するときに使われるものである。
教育現場では、「将来の夢は?」という作文のテーマが定番となっているし、夢を追いかけ努力する人は、我々の心をつかみ、あこがれを生んでいく。
将来への夢は人生のエネルギーにもなっていく。
夢が持つ二つの意味
夢の持つ二つの意味は日本に限った話ではない。
英語でもDreamは日本語と同様の二つの意味を持つ。
夢分析は英語ではDream Analysisだし、キング牧師の「I have a Dream」は歴史に残る演説となっている。
このように文化を超えても二つの違った意味を持つという点からも、夢というテーマは非常に興味深いものである。
心理学的な夢の意味
心理学的にも夢は大きな関心テーマであり、フロイトは夢分析を行い、夢と無意識の関係を明らかにしようとした。ユング心理学でも夢は重要なテーマの一つであり、やはり無意識と、ユングの場合は人類に共通する普遍的なテーマにも照らし合わせて夢の解釈を行った。
人間の心という目に見えないものを解明するために、人間の奥深い深層心理を表したものを夢の中に見出し、それを分析対象にするというのは自然な考えでもあるかもしれない。
私自身は夢分析は専門ではなく、知識も浅いためここでは紹介は行わない。
現代では夢は記憶の処理システムの一つであるという説が有力ではあるものの、夢の意味というものは多くの人の心を惹きつけるテーマである。
私の周囲の心理学を学んでいない知人からも「こういう夢を見たけど、何か意味はあるの?」という質問をよくもらうことからもそれが分かる。
夢についての考察|発達の時間軸を焦点に当てて
私は夢の持つ二つの意味を時間軸で考えてみた。
寝ているときに見る夢は過去が中心になるし、将来の夢はその名の通り未来を指すことになる。
つまり、夢は過去も未来も指す言葉ということになる。
夢を見られるのは人間だからである
夢の存在を具体的に表出できるのは人間のみである。
夢が記憶の処理システムならば、似たような脳の構造を持つ哺乳類、類人猿は、もしかしたら夢を見ているかもしれない。
だが、人間以外の動物がそれを何らかの方法によって表出することはない。
夢を見てそれを表出できるのは人間の特権でもあるといえる。
夢の正体|今の私
そして、過去の夢も未来の夢も、意識的であれ無意識的であれ現在の自分が見るものといえる。
夢の正体は私自身で、現在の自分が過去や未来に思いを巡らせたときに夢が出現するのではないか。
時間軸の中で、過去にも未来にも夢は存在する。
そしてそれを見ているのは、紛れもない人間としての今の私である。
そういう意味でも、「夢」を見るということは「自分」を見るということでもある。
子どもの夢と大人の夢
子どもは夢を語る。家庭や学校でも夢に関する問いかけをされることからも、自然と将来に関心が向かうからである。
子どもの可能性は無限大である。吸収力と成長力で何者にもなり得る可能性を秘めている。
そして、子どもの夢は世間一般で知名度のある職業が人気となる。
最近ではYoutuberという夢を持つ子どもが多いと聞く。
これは、社会経験が少なく、社会にどのような仕事があるのかを知らないからこそ、身近にある目立つ職業に魅力を感じるといえる。
一方で、大人になるとどうだろうか。
成長するにつれ、私たちは可能性を諦めることになる。
それがある意味では「大人になる」ということでもある。
そして、社会経験を積むことで、現実的な職業選択をしていくこととなる。
成熟した大人になっても夢を見ること。それ自体は決して否定されるものではない。
大人も夢を見ることで、生きるモチベーションを得ることはできる。
しかし、子どもの頃のように何でもできるというわけではない。
子どもの夢と大人の夢の違いは
大人の夢は、現在から実現可能な未来にある目標でなければいけないと私は考える。
もちろん、その目標ははるか遠くにあることもあるだろう。
しかし、自らのキャパシティを超えるほどの夢を見ることは破綻を招く。
それは私自身の臨床経験でも、周囲の様々なエピソードを聞いても事実ではないかと思っている。
一方で子どもの夢は現実の遥か彼方の延長線上に位置することがある。そして、それはとても手に届かないようなものであるかもしれない。
それでも彼らは将来に希望を持ち、目を輝かせ生きていくことができる。
そして、大人もこの夢を広げることを手伝うことができる。
本来の教育とは、子どもの未来の可能性を広げるものであると思う。
様々な可能性に触れながら成長に従って、自分の実現可能な目標を定めていく。
それが、子どもと大人の移行期であり、子どもの夢と大人の夢が違うと考える理由である。
夢の危険性
「夢を持つ」
それ自体は素晴らしいことであり、肯定的に捉えられがちだが、実際は危険とも隣り合わせである。
それを示すいくつかの観点を紹介したい。
私以外の夢の危険性|早期完了
将来への夢は私自身を構築するための大事な要素となる。
だが、この夢を自分以外の他者から植え付けられてしまった人が一定数いる。
この状態を発達心理学者であるマーシャはアイデンティティ・ステータスの中で「早期完了」と位置付けた。
この状態は、個人が自己のアイデンティティを形成する過程で、他者の価値観や期待を無批判に受け入れることによって生じる。
通常、アイデンティティの形成には「危機」を経験する必要があるといわれている。
この危機とは、先に述べた子どもの夢から大人の夢への移行段階、様々な経験や自分の能力と照らし合わせて夢を実現可能な目標にしていく段階を意味する。
早期完了型の人々は、親や社会の期待に従い、このアイデンティティの危機を経験することなく特定の職業や価値観に意味を見出す傾向がある。
誰かの夢を自分の夢のように背負ってしまっている状況といえる。
このような状況は、自身の本当の希望や判断と向き合う機会を奪う可能性があり、長期的には不全感をもたらすことがある。
地に足ついた夢であるか
先に、大人の夢は「現在から実現可能な未来にある目標」でなければいけないという私見を述べた。
これは「地に足ついた夢であるか」という一言でもまとめられると考える。
地に足がつかない、今の自分からでは到底不可能な夢はどのような結末を迎えるのか。
それは無意識での自身の内的体験の統合ができなくなることを意味する。それは様々な病理を生むことをフロイトやユング、アドラーをはじめ、多くの先人たちが証明してきた。
今を生きる私が足をつけた状態で背伸びをして届くもの、腕を目一杯伸ばして届くもの。それが、私たちの叶えられる夢の範囲であるといえる。
この夢の範囲は日々刻々と変わっていく。自身の知識やスキル、心身の状態や環境、交友関係など様々な条件がここに反映されていく。
成長により見える世界が変わっていくことで、私たちの目標や夢は日々変化しているといるともいえるだろう。
夢への執着の危険性
何事もそれに執着することは危険であるように、一つの夢に執着することもまた危険である。
夢に執着すると、逆に人生の可能性を狭めることにもつながる。
時代は刻々と変わる。それとともに自分自身や周囲の環境も常に変わっていく。
その変化に適応できないことは衰退を意味する。
夢もまた、その時々の形に合わせて変化させていくくらいの気持ちでいるほうが良いと思う。
成功を手にし、幸せに生きているように見える人の中には一見、夢にこだわっている人がいるようにも見える。
しかし、実際にはそういう人は、常に夢を意識しているわけではない。
夢は持っているが、夢を片隅に置いて今に全力で取り組んでいる。
あくまでも今の周囲の状況に合わせて全力で取り組んだ結果として、夢をつかみ、夢を語っているのではないかと私は考えている。
「夢に生きる」
それは称賛を浴びることもあれば、厳しい批判を受けることもある。
夢を語り実現する人がいる一方で、口先だけの夢を語るだけで実績が伴わない人もいる。
夢に生きる人でうまくいく人とそうでない人を分けるのは、夢に執着せず、自分に執着せず、それでも夢を大切にしながら、今を生きることができる人なのだろう。
夢を見れるということは私を生きているということ
ここまで夢が持つ意味と発達の時間軸からの夢の考察、夢が持つ危険性について解説をしてきた。
私たちは子どもの頃から夢を持つ。それは私が私であるために必要なことでもあるといえる。
こうして考えると、「夢ってなんだ?」の答えには「自分自身だよ」と答えられるなと感じた。
夢が自分自身を表すためには、大人であれば「地に足ついた」成熟した夢であることが条件とはなるが、この地に足ついた夢を広げる力も私たちは持っている。
せっかく夢という面白いものを見られる能力を持っている人間に生まれたのならば、その能力を最大限に活かして生きていく。
それが、一度きりの人生を楽しむ秘訣でもあるのかもしれない。
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