摂食障害になった話

私はもともと筋肉質で見た目より10キロぐらい重かった。
小1のとき、母が曾祖父の家に行くときに一人で家で待っていたので、外に行かないでほしかったらしく、お菓子をたくさん買って待たせた。
それから太ったらしい。

父親は経済的DVもしていて、稼ぎがあるのに母親に食費は4人家族で一日千円しかくれなかった。
働くことは許さなかったのに、母親に小遣いは一円も渡さなかった。
だから小4ぐらいの時から母は内緒で昼働きに出始めた。
そして借金をして買い物依存になってしまった。
ギャンブルも多分そのころから始めたようで、家に誰もいない状態が続いた。
母の帰りを待ってご飯を作って待っていたこともある。
夕方にやっていた料理番組を見てつくったデザートとかを真似して作って待っていて、帰ってきたら食べてもらって「おいしい」といわれたのがすごくうれしくて、母が喜んでくれたのがうれしくてそれから自己流のデザートとか料理に少しはまった。

しかし、だんだん母の帰りが遅くなり、先に父が帰ってくることもあった。
父と二人は恐怖で、早く母に帰ってきてほしいと思っていた。
父は母がいないと機嫌が悪くなり奇声を上げたり暴れたりするので、二人にされるのが本当に怖かった。
たまに昼間とかに帰ってきたりして、いつ帰ってくるのか全く分からない恐怖で安心できなかった。

母に電話をしても出ることはない。
何時に帰ってくるといったのにその時間に帰ってくることもない。
何度も何度もうらぎられ、心はすさんだ。帰れない時刻を嘘で言うのなら初めから遅くても何時と言ってほしかった。毎回は母嘘をついた。
父が帰ってくる恐怖と母が帰ってこない寂しさから私はそれまで以上に家にあるものを食べつくした。
みるみる太っていった。

そして、いつからか食卓は家族ばらばらで同じテーブルで食べることはなくなった。
家族全員が一人ずつ別の場所で食べ、テーブルは壁にデスクのように寄せられた。
その理由が、私はほとんど忘れているのだが、父が気に入らないことがあるとテーブルをひっくり返して母親が作った食べ物をゴミのように床にぶちまけるから、だそうだ。
父は食べ方のマナーについてうるさかったらしい。そして、自分が食べたいものを先にとられると気に入らなくてテーブルをひっくり返す。「お前それ食うなよ」といって自分だけが肉を食べたりするので、私も姉も食べていいのかなとおびえながら食事をしていたらしい。
そういえばうちのテーブルは足がとれかけていたが、そういう理由だった。
私はそういうことを覚えていなくても、父が母のごはんを投げたりすることを恐怖と激怒で感じることを忘れていなかった。

中学のころか、そんなに小さくなかったころ、当時母が「白パン」と呼んでいた白っぽいパンがお気に入りだった。母は白パンを出すときとてもわくわくして嬉しそうだった。
しかしある朝、父は母の白パンを怒って投げて、シンクの汚い水に投げ入れた。
私の心は深く傷ついた。
思えば父はそのように食べ物を粗末にすることが多かった。白菜をもんでいても突然切れてゴミ箱に投げ捨てたり、バーベキューをしていた時も突然今作っていた焼きそばを地面に全部投げ捨てて台無しにした。
食べ物にうらみでもあるのだろうか。

家族別々のテーブルで食べていても、父は食事中ピリピリしているというか、なにをしてもしていなくても怒られるので私はいつしか食事ができても食べなくなった。
そして父が眠った後、真っ暗な台所で鍋を漁った。泥棒のように、真っ暗な中でご飯を急いでかきこんだ。

母は、テーブルをひっくり返されることについて、「少ないお金でも栄養とらせておいしく食べさせようと工夫して一生懸命作ったものを、ゴミみたいにされて、その自分でみんなのために作ったものを自分でかたずけさせられて、悔しかった。でも全部拾いきれなくて奥にいっちゃったやつとかは後にまたみたときまたひっくり返されたことを思い出す。だからもう別々にすることにした。」と泣きながら話した。

そういうわけで高1まで太っていたのだが、ある日虫歯が痛くて何も食べれなくなった。
私にとって虫歯は恐怖の歯医者を連想させるので、怖くて丸一日なにもたべなかった。
次の日体重計に乗ったら3キロ減っていた。びっくりした。
私は普通の女の子のショッピングとか、恋愛とか諦めていたので、「こんなちょっと我慢するだけでふつうになれるの?」と思って、そこから自己流のストイックなダイエットを始めた。
内容は真似されても摂食障害になる未来しかないので詳しくは書かないが、5か月で30キロほどやせた。
周りから「すごい痩せちゃったけど大丈夫?」としょっちゅう言われたが、まだまだ痩せるつもりだったので聞く耳を持たなかった。
そしてある日、食べることが怖くなった。「食べる=太る」に自分の中で変換されるようになったのだ。
母親に「食べるのが怖いんだけど」というと、「じゃあ食べなきゃいいじゃん」と言われた。
そう言うわけにもいかず、しかし食べる量がかなり少なくなった。
一日にコンビニのサラダパスタ半分しか食べなかったこともある。
でも私は「食べて運動して痩せているので、健康的に痩せている」と信じて疑わなかった。

そしてある体重から体重が減らなくなった。
今思うにほとんど食べていなかったから痩せづらくなったのだと思う。
食べていないのに激しい運動をして、体が防衛していたのだと思う。
全然体重が減らなくなって、焦り始めた。
それからいらいらするようになった、らしい。

そしてある日、いつものように学校から帰ってきて、自分で決めたおやつをいつものように食べ終わった。
しかし、満足できず、気が付いたら家にあるものをたくさん食べてしまっていた。
すぐさま、吐こうとしたが吐けなくて、パニックになった。
それから、過食になり、過食嘔吐になった。
そして、ネットで吐き方かなんかを調べているときに自分が「摂食障害」だと知った。
摂食障害は早めに病院で治療をしたほうが治るのが早いと書いてあったので、私は勇気を出して母に打ち明けた。

私「最近私痩せたじゃん?料理とかもしてて、食べて吐いたりしてるんだけど、ネットで調べたら摂食障害なんだって。早く病院に行ったほうが治るのが早いらしいから病院に行きたいんだけど…」

勇気を出してゆっくり状況を説明しながら母に精神科に行きたいと打ち明けた。母の返答は、

母「摂食障害っていうのは食べた罪悪感で自然にはいちゃう人のことで、お前は自分でわざと吐いてるから摂食障害じゃない」

(これは間違った母の偏見なので事実ではありません)

私はこの時から母を敵だと認識した。
勇気を出して打ち明けたのに、事実と異なることを根拠に私を否定した。
私がどうなってもいいのだなと心底思った。
それから約一か月、私は母と口をきかなかった。当たり前だ。

そうしたらある日の昼、母が話しかけてきて「〇月〇日〇時に病院の予約とったから」と険しい顔で言ってきた。
歯磨きをしていた私は無視した。と思う。

結局心療内科に行き、すぐに摂食障害と診断された。
主治医は私を「母子分離不安」とも言った。
私は覚えていないが、母と決別する前、私は夜迎えに来た母の手をつないだらしい。
その時は母「この子高校生にもなってお母さんと手をつなぐなんておかしい!」と思ったらしい。
思えばさびしかったのかもしれない。
母は自分のことで精いっぱいで、私のことにかまってる余裕がなかったらしい。
だから私が「食べるのが怖い」といっても「じゃあ食べなきゃいいじゃん」と、適当に答えたのかもしれない。

結局通院は半年ほどで辞めてしまい、高校にも行けなくなって中退した。しばらく引きこもった。
過食嘔吐しかしていなかった私だが、引きこもって二か月ほどで久しぶりに「おなかいっぱい」という感覚になった。それに感動したので母に「すごい、ひさしぶりにおなかいっぱいになったよ!」といったが、その時も母は「だから何?」という感じですごく冷たかった。
ちなみに過食嘔吐が始まってから高校をやめて引きこもるまでの記憶が断片的にしかないため、詳細はここでは省く。

しかし過食嘔吐との付き合いはこれで終わりではなかった。
過食嘔吐自体は今でもごくたまにする。完治はしていない。
でも19歳の時に毎日過食嘔吐していたころに比べたら今はそれよりは落ち着いていると思う。
20歳の時にうつ病と過食嘔吐の治療で入院した際に医者から「吐いたら入院費が無駄になる」といわれ、そこから吐かない過食になり、どんどん太っていった。

摂食障害が落ち着いたのは実は2020年、コロナ禍になってからだった。

人に会うことがなくなったし、通院もカウンセリングも感染が怖くてやめた。
今思えば通院は不要不急の外出ではなかったとは思うが、私の母親は喘息持ちのため、母に感染させるのが怖くて全然外に出なかった。
それで家の中で自分が幼少期に好きだったことを夢中になってできるようになった。薬の効果が切れたからだ。
薬を飲んでいた時は薬があっていなかったのか、何にも夢中になることができず生けるしかばねのようだった。
※自己判断での断薬、減薬は危険ですので絶対にマネしないでください。尚、減薬したい場合は必ず主治医に相談してください。

そうして人と連絡を取ることも会うこともなく、外に出ることもなく、ネットすらもろくに見ずに好きなことにただひたすら夢中になり続けた。
そうしたら、過食もしなくなり、体重も10キロ以上自然に減った。

しかし、転院し、通院を新たに始め、趣味で人とコミュニケーションをとったりネットに浸かっていく中でまた体重は増えたり減ったり、過食をしたりしなかったり、といったのが現状である。

一度糖尿病のカロリー制限をしたらまた摂食脳になりかけたので、精神科の主治医に相談したところまだ摂食障害が治っているわけではない、そう。

実はこの摂食障害の話をマンガにして描いたものがあるので載せておく。

 


 

 

この漫画はコロナ禍のちょうど過食がおさまり体重が減ったぐらいの時に書いたものなので最後のまとめが果たしてあっているのかはわからないが、披露する機会もないのでここに置いておこう。

3ページ目からラフのままだが、もうめんどくさいのでこれで良し。