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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「オスロが出発点」 同行の20代日本人が見たノーベル平和賞授賞式

バルコニーから横断幕を掲げる田中熙巳さん(中央)ら日本被団協の代表委員3人。浅野さんも「核兵器のない未来を必ず」と書き込んだ=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影
バルコニーから横断幕を掲げる田中熙巳さん(中央)ら日本被団協の代表委員3人。浅野さんも「核兵器のない未来を必ず」と書き込んだ=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式に合わせ、核兵器廃絶運動に取り組む一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」スタッフの浅野英男さん(28)もノルウェー・オスロに渡航した。20代の目に映った現地の様子を報告してもらった。

未来に向かって

 羽田空港を出発し、現地時間の8日夜(日本時間9日未明)にオスロに到着しました。私は原水爆禁止日本協議会(原水協)などが主催するツアーの被爆者と行動を共にしましたが、日本被団協の代表団とも同じ便でした。空港に降り立つと、現地のNGO関係者らが横断幕を持って出迎えてくれました。

 オスロの街はクリスマスムードに包まれ、雪が薄く積もっています。9日にはオスロ大植物園で被爆したイチョウの種を贈呈するセレモニーがありました。広島の原爆を生き抜いた被爆樹木の種は、2017年にNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)がノーベル平和賞を受賞した際にも、この植物園に贈られました。

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