燃えた自宅
1996年4月、長崎市の竹下芙美さん(83)は、爆心地公園(同市松山町)の再整備工事の現場で、子供の頭蓋骨(ずがいこつ)の一部を見つけた。近くでは女の子のものとみられる赤や黄色のボタンも見つかり、3歳10カ月で被爆した竹下さんは「自分と同年代の女の子ではないか」と想像した。
竹下さんは45年8月9日、爆心地の北約7キロの旧時津村(現時津町)に疎開していた。農家の納屋に突然、白や黄色っぽい光が差し、母の井口ハツヨさんが慌てて竹下さんらに布団をかぶせた。
近くの時津国民学校には、多くのけが人が運ばれ、ハツヨさんは翌日から救護の手伝いに行った。ハツヨさんは92年の竹下さんの聞き取りに「手当てといってもろくなこともできず、ただ傷口からムクムクとはい出してくるウジ虫を箸で取り除くことぐらいしかできなかった」と語った。
この記事は有料記事です。
残り1092文字(全文1456文字)