NHK紅白歌合戦といえば演歌。今年も紅白には演歌歌手が何人も出場する。
「日本の心・伝統」を感じさせる演歌の本当の姿とは。演歌史に詳しい音楽研究者、輪島裕介・大阪大教授が論じます。紅白の「真実」を識者3人が語るシリーズ1回目。【聞き手・鈴木英生】
紅白歌合戦の「真実」に迫ります(全3回)
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実は半世紀前に
演歌は「日本的」「伝統的」とされる大衆音楽であり、ときに「日本の心」とイコールで結ばれさえします。ところが、今の演歌の歴史は半世紀と少しに過ぎません。1970年前後、同時期の反体制的文化なども背景に成立した音楽ジャンルです。
当時、グループサウンズやフォークソングなどの台頭で、レコード業界は大きく変わりつつありました。その流れのなか、従来は「民謡調」や「浪曲調」と呼ばれた「日本的」要素の強い曲、戦前や戦後初期の「ナツメロ」、ムード歌謡や夜のちまたで「流し」が歌った歌など、「古くさい」とされたものの総称が「演歌」と呼ばれるようになりました。
演歌の背景に左翼、学生運動の影
演歌のイメージを決定づけたのは、藤圭子です。69年に「演歌の星を背負った宿命の少女」というキャッチフレーズでデビューし、作家の五木寛之らが絶賛しています。アイドル的な人気で、若者の支持を集めました。
戦後社会の主流派は、保守政治家から共産党まで、清く正しく明るく進歩的なもの、欧米的なものを強く肯定してきました。高度経済成長期に入ると、一部の左派・アングラ文化人らは、この風潮と対極的な日本の下層や土着、被抑圧者の貧しさや暗さ、情念を審美的に称揚しだします。演歌は、その延長線上で「怨(えん)歌」「未組織プロレタリアートのインター(革命歌)」などと持ち上げられました。
演歌の項目が「現代用語の基礎知識」に登場したのは70年。新左翼学生運動のピークとほぼ同時期です。学生運動が下火になるのと並行して、わずか数年で演歌の反体制的なイメージは抜けていきます。「夜…
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