肝心の時間
2023年 11月 25日
ようやくQobuzサブスクリプションサービスが正式に日本で始まる。
RoonでQobuzを使っている経験からすると年払い15360円のスタジオプランがベストチョイスだろう。
ダウンロード割引付パッケージもあるようだが、買取りたい音楽データは日増しに減ってきている現状からして、少しでも節約したいからだ。
(2023-12-19追記)
どうやらQobuzの日本サービス開始が未定になったようだ。 まったくもってサブスクリプション後進国日本である。 まだまだ偽装アカウントのQobuzサブスク契約の利用を続ける必要がありそうだ。取得に苦労した甲斐があった。
「21世紀はクルマが空を飛んでいるだろう」
なんて想像していた頃が懐かしい。
ラジカセで音楽を聞いていた頃、五味や岡、その後に、瀬川、菅野各先生のシステムに憧れ、いつかボクもそんな高級システムで音楽をゆったり聴いている、そんな夕べを過ごしている、、なんて幾度も幾度も想像した。
当然、現在の自室のシステムは先の諸先生方には遥かに及ばないが、ま、入り口程度には立てたのかなとひとりよがり。
連日奔走して部屋に帰って寝る、、そんなルーティーンの中で、重厚長大な高額オーディオシステムにどのくらい向き合って音楽を聴いているのかと、ふと考えた。正直なところほとんど使っていない。にもかかわらず、音楽をかけている時間そのものはかつてないほど長くなった。スキマ時間にササっと手軽にしかも高音質で、さらに自分が聴きたい曲(17世紀の声楽や、18世紀のリュート曲、そして現代音楽等)を数秒で見つけて再生してあとはAI任せでほったらかし。ゆえに遊びのつもりで買ったB&W ZeppelinでQobuzのストリーミングを聞き流している時間が最も長いように感じる。
学生時代、時に過剰に想像し続けた「高級オーディオシステムと音楽のある生活」は、自分のレベルである程度手に入れたが、肝心の「音楽を聴く時間がない」という状態が続いている。
「本気の恋愛がしたくても、時間がない」
なんて一度は格好良く言ってみたいものだ。
良い音質で音楽を聴くことができる機械をひと通り揃えた時には、肝心の時間がないなんて全く皮肉な話である。カセットウォークマンで擦り切れるほどダビングテープを聴いていたあの頃は時間は山のようにあったのに。
我が家は代々、父系母系共にオトコたちは皆多趣味であるが、特に音楽鑑賞は代々続いている。オーディオ趣味のルーツは、知りうる限り、曾祖父から続いているらしいが、私が盤や機材を直接触れた範囲内だと祖父から始まり父へとつながり、そして現在に至っている。
高齢にもかかわらず、オーディオライフを送っていた、その父がつい先日突如意を決して辞めることにした。はやりの断捨離ではない。終活でもない。ただ「オーディオをやめる」という気持ちは理解できる。私でも「もう止めようかな」と幾度も思うのは機器からの無言の圧力を感じるからだ。
大半のケースでは、「高齢者のオーディオ卒業」はオーディオショップやリサイクルショップが乗り込んできてウハウハしつつ「ビンテージ機器一切」を二束三文で持ち帰るのだろう。
リサイクルショップ、買取業者には悪いが、その点、趣味の世襲が成功!?している拙宅では、あまたのオーディオ機材を代々引き続くのが普通になっているので、父の機械一切の「引き継ぎ」作業を始めた次第である、、、、なんていうと格好だけは良いが、ま、いわゆる「ゴミ整理」である。「死ぬ前の遺品整理」とも言えようか。
これは今でも使える、
あれはもう使えない、
その差の判断・認知が衰えてきて、とても時間がかかる。
現役時代にはパッパッと仕事をこなしていた父でも今やひとりで仕分けをまかせると私がするよりも3倍~10倍も時間がかかる。寿命の点で高齢者は時間がないようだが、隠居ゆえに実はたっぷり有り余るほどあるのだから、「使える、使えない」の判断を当人に任せても良いのだが、7、80年前の判断基準で捨てられるのは逆にもったいないものも多いのが事実。結局、私がすることになった。
「勝手に持っていくなよ」
「勝手にイジるなよ」
「お前が触ると壊すからな」
が長年の口癖であった父もあれからゆうに半世紀以上経過すると、立場が完全に逆転してしまい私に「まるなげ」である。
まさに「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」の典型的な例である。
同じ趣味を世襲することは、世間一般からすれば、羨ましいと言われる。確かにあまり多いケースではないだろう。明かせば、私の定番「逆もどり」「逆もどり」という連呼は世襲オーディオマニアの考え方であることは疑いない。
まるなげ、それは遺品整理業者であれば、機械的な作業をして完了する清掃であるが、親族となると、しかも「価値がわかる」親族が行う整理作業は、単純な機械的作業というわけにはいかない。「整理」というよりむしろ「発掘」といえる作業が始まったわけである。
倉庫はもとより、父の部屋、祖父の部屋(亡くなって何十年経ってもそのまま、毎日掃除している)に置かれた膨大な機械類、アナログレコード、カセット・オープンリールテープ、CD、予想以上の量に驚いたDATテープ等々、それらを眺めると、ふと
使い込む
使い切る
つまり何を基準にして
「使い切っているか」
を判断するのかを考えはじめた。
いま思えば、アキュフェーズのプリアンプC3850の高性能に振り回され続けたこの7年。
まったく使い切るどころの話ではない。なさけないことである。それも最新機種C3900が発売されて2年経った今頃になりようやく自分の音を作り上げるために自室のC3850が中心的な役を演じ始めたのだ。ジコマンという氷塊がゆっくり溶け始めた。
「高級とはそれを受け止める(あつかえる)技量が伴わないと本領発揮できない」なんて重々承知しているつもりだったが、下手の横好きというべきか、ま、たんなる阿呆なのだろう。「こんな高級品を買って自由に使えるオレって凄い」というナルシスト的な自己満足に過ぎない。C3850をうっかり手放す前にそれに気付けたことは僥倖だった。