レトロなヴィンテージ・ポップ/ソフト・ロックはHaimやBoygeniusを連想させるが、インディ・ロック/フォーク臭は希薄で、寧ろノーザン・ソウルやブルーアイド・ソウル的な要素を感じさせる点はArlo Parksに通じる。
ウェルメイドで毒気の無いポップはJapanese Breakfastや、懐かしいところではTore Johanssonが手掛けた90’sスウェディッシュ・ポップも思い起こさせる。
それらは自分にとって渋谷系という単語に集約されるもので、確かに本作のヴィンテージな音の質感はKahimi KarieやOriginal LoveやLove Tambourinesなんかが流れる90年代中頃の実家の部屋の光景を強烈にフラッシュバックさせる。
そう言えばFree Soulのコンピレーションや小沢健二「Life」も今年で30周年という事で、妙な符合を感じたりもする。
渋谷系の起源の一つにはOrange JuiceやAztec Camera等に代表されるUKのポスト・パンク/ニューウェイヴにおけるアコースティック回帰があるが、Paul Wellerによる自己否定としてのThe Style Councilが解り易い例であるように、それらがラウドでファストでプリミティヴなパンクへの反動としてのソフィスティケーションだったとすれば、今回のヴィンテージ・ポップのブームは只管アッパーなハイパー・ポップやエレクトリックなオルタナティヴR&Bに対するポストと捉えられなくもない。
まぁ派手さは皆無でそのような同時代性を狙った戦略的な作品だとは全く思えないが、それを抜きにしても大胆なコード・チェンジや変調を多用したソング・ライティングは巧みだし、リズムのアクセントにもフックがあり充分に楽しめる。
これで楽曲の幅が増えればMitski辺りと肩を並べるような存在になるくらいのポテンシャルがあるのではないだろうか。