あなたが覚えていなくても、私が一生覚えている「クリスマスが帰ってきた」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第19回は篠原さんの今昔クリスマスからひろがる、人生のギフトのお話です。
※第1回から読む方はこちらです。
#19 クリスマスが帰ってきた
私の人生にクリスマスが帰ってきた。
以前、私の人生にクリスマスらしいクリスマスが存在していたのは、男装喫茶で働いていた頃だ。クリスマスどころか、バレンタインデーやホワイトデーはもちろん、ハロウィンやお月見、夏祭りまであった。非日常と相性の良いコンセプトカフェは、何かにつけて、イベントを開催していた。この季節には、サンタクロースの服を着たり、ちょっと華やかなご飯を提供したりしていた。
つい最近、そこでできた友人たちが家に遊びに来てくれて、思い出話に花が咲き、いろいろ思い返していた。
ある年は、その日にクリスマスイベントがあることに気付かず、日替わりメニューの献立表を提出し、「各キャストがクリスマスをイメージしたメニューをご用意してお待ちしております」という告知の中でチキンレッグやローストビーフといった、いかにもクリスマス然としたメニューに混じって、私が担当する「角煮大根定食」が異彩を放っていた。今となっては全てが懐かしい。
楽しかったから思い出しやすいというのもあるが、季節に関連するイベントがたくさんあったことも思い出しやすい理由の一つである。
大人になると、子どもの頃と比べて、日々の時間が過ぎていくのが早くなったように感じる。あっという間に過ぎていく時間の中で、季節のイベントというものは、思い出にしおりを挟み込むようなものだ。イベントと結び付いた思い出は、毎年、思い返すことができる。
ところがここ最近、私の人生からは、クリスマスが消えていた。
私は、誰かに何かをしてもらうことに関心が薄く、誰かに何かをしてあげることの方がはるかに楽しく感じる性質なので、イベント事は大抵、一人ではなく誰かと分かち合っている。一人でいることは寂しくないし、それはそれで楽しく過ごせるのだが、一人でいたら自分の誕生日すら祝い損ねてしまうと思う。
クリスマスが消えた理由は明確で、夫の誕生日がクリスマスに近いからである。誕生日とクリスマスは、イベント内容に似ている点が多い。なにしろ、プレゼントとケーキというメインイベントがかぶっている。というわけで、クリスマス仕様のメニューになったレストランでご飯を食べて、「まあ、今年はこんなものでいいか。」とクリスマスをほとんど省略してきた。
それでも彼と一緒に過ごし始めた頃は、せっかくクリスマスだし、ごちそうの一つくらいは作るかと思って、センマイ(牛の第3胃)を大きいままで買ってきて、センマイ刺しを作ったこともあるが、これがとんでもなく面倒だったこともあり、その後は、せいぜい、『ホーム・アローン』を見るくらいに落ち着いた。
年を重ねて、さまざまな経験を積むことで、効率的な手順で物事を進められるようになったのは、成長してよかったことの一つであるが、同じようにイベントをも省略しがちになってしまったのは、良くない傾向であると反省している。
このままだと、私のクリスマスの思い出の最終履歴は、巨大センマイをゆでこぼし、「1LDKにホルモンの匂いをたきしめた」から更新されないままになってしまう。
ところが、今年は状況が大きく動いた。今年の我が家のクリスマスには、特大のやりがいがある。ここにはまだ、クリスマス経験のない赤ちゃんがいるのだ。
今年から、私は、我が家のクリスマスの主催者側になるのだ。少しずつ気に入ったオーナメントを集めては、ツリーを飾りつけ、今度こそクリスマスらしいごちそうを作り、毎年ケーキを選ぶのが楽しみでしかたがない。
クリスマスに向けて、まず、大きなツリーを買った。そして、玄関用に小さな光るブランチツリーとトナカイの置物も買った。アドベントカレンダーは、毎日1冊ずつ絵本が出てくるものを2種類買った。
今年の赤ちゃんに理解できるのは、まだ、チクチクとしたツリーの手触りくらいかもしれない。それでも楽しみなのだ。赤ちゃんが覚えていなくても、私が一生覚えている。
何より楽しみなのが、やはり「サンタクロース」というミステリアスな存在の橋渡し役を務めることである。今からどんな策を講ずるか、頭を悩ませている。そして、まだ生後5か月だから、大人の言うことは分かるまいと侮らず、赤ちゃんの前では、プレゼントの話をしないように心掛けている。
私が、現役の子どもの頃は、両親からのプレゼントとサンタクロースからのプレゼントが一つずつあるというシンプルな手法によって、そこそこ長めに自分なりのサンタクロース像を思い描いていた。しかし、ある日、祖母が善意で派遣した、名刺を持ったスーツの人付きのサンタクロースがインターホンを鳴らしたことで、「少なくとも、うちに来るサンタクロースは商業的な存在であり、大人の手引きによってもたらされていること」を察してしまった。これは少し切ない思い出である。
物心ついてからは、クリスマスの朝に枕元に置いてあったプレゼントをほとんど全て覚えている。もう、何年も私の枕元にはプレゼントは届いていないけれど、それでも毎年クリスマスが来るたびに思い出す。物心ついた一つ目のプレゼントである、ポケモンのミュウの目覚まし時計。こっちの方が、箱が大きいからという昔話の悪いじいさんみたいな発想で、弟の枕元から奪い取った仮面ライダーの変身スーツ(私宛の本当のプレゼントはゲームボーイカラーだった)。私の最初のペットになったゴールデンハムスター。他にもいろいろ。
きっと、これからの人生は、イベントがあろうが、なかろうが、思い返したときには、全てがあっという間だったと感じるだろう。時間とは、そのように感じるものなのだと思う。その瞬間に起きていることだけが、考えるべき現実であって、思い出とは、執着する必要のない、ただの残り香にすぎないかもしれない。それでも私は、思い出を積み重ねていく。もちろん、クリスマスだけに限らない。誰かと作りあげる時間が好きなのだ。私が誰かを楽しませたいと思うのは、時を超えて、「あなた」が楽しくありますようにという私の願いを伝えたいからなのだ。
そして、私は、寿命が尽きるとき、なるべく長尺の走馬灯が見たいなと思っている。生きてきた時間の中に、思い出すと気持ちが沈むような瞬間も数えきれないほどあるけれど、記憶の取り出しやすい部分を楽しい思い出で満たしておけば、「全てよし」と思って終われるのではないだろうか。
人生の終わりに、思い出したいことだけで埋め尽くすために、今まで受け取ったプレゼントもあげたプレゼントも、そして、これからのものも全て覚えておきたいのだ。
第20回へ続く(2024年12月25日更新予定)
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プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈
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