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RE:牛は10ケタ、人は11ケタといったって
住基ネットについては、生活する上で便利だという面と、情報がいくらでも集積可能なうえ、各お役所がそれを国民の知らない場で自由に使いまわし、ひいては国民の管理統制に使用する可能性の面があると思います。反対する人たちは後のほうを恐れているのではないでしょうか。私もそこを心配しています。生活の利便という点でいえば今言われていることはたいしたことはありませんね。だから諸条件が整ってからすればいいのに、何が何でもやろうとしている点にも胡散臭いものを感じるのです。今の政府や役所は信用できませんから将来なにをやるか知れません。 2002/08/06 15:00:01 本音と建前~今日は広島原爆記念日~ 今日は広島の原爆記念日、テレビで広島市長の式辞をぼんやりと聞いていた。市長の式辞が終わり、小学生が式辞(誓いの言葉?)を読んでいるのをこれもぼんやり聞いた。 聞きながら、これは教師の言葉だな。もっと子どものことばで言わせればいいのにな、などと余計なことを考えていた。 続いて首相の式辞があった。首相は、持たず、使わず、持ち込ませず(だったかな?)の非核三原則を厳守し、核非拡散を進めといった風なことを次々と宣言していた。 聞きながら、小型の核兵器ならもてるなどといって物議をかもしたのは、どこの内閣の官房長官だったかなと思った。アメリカのミサイル防衛計画に積極的に協力したり、核攻撃の対象とする国を名指しした際、日本政府は理解を示したのではなかったか。 式辞と本音のあまりの違いにあきれていたら、式辞は県知事に代わった。 知事の式辞が始まってすぐ、突然テレビの画面が連続テレビ小説「さくら」に変わって、これには本当にびっくりした。中継予定時間が終わっただけのことだろうが、あまりの違いようだった。 広島平和式典も、このテレビの一画面のようなものなのだろう。放映時間が終われば画面は変わる。ましてや、来賓の式辞など、画面の中のさらに一齣、その時が終われば誰も記憶しない。 式典などそんなものとは分かっているが、非核の宣言は発言する人の心からのものであってほしい。核廃絶が本当の願いとなり、核廃絶の努力が進められる方向のなかにこそ私たちの願う未来があると思うからである。 2002/08/06 9:55:18 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2002/08/06 03:00:01 PM
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