誰しも、子どもの頃に通るのが怖かった道というのがあると思う。

子どもにとって世界は未知にあふれている。隣の町に行くだけで決死の覚悟の大冒険だった。なんで道を歩くだけであんなに怖かったんだろう。

先日、母が亡くなって、思い出めぐりのために約30年ぶりに子どもの頃住んでいた町を訪れてみた。懐かしさのついでに、子どもの頃歩くのがめちゃくちゃ怖かった道を再び歩いてみることにしたのだが……。

・昭和から平成へ

1983年から1995年……私が0歳から13歳まで住んでいた町は、繁華街からほど近い場所にあった。

ちょうど昭和から平成へと移り変わる混沌とした時代で、宮崎勤が起こした連続幼女誘拐事件など、子どもがいなくなる事件が多発していた。

当時はまだ野良犬もその辺をウロウロしていたし、夏休み近くになると学校の近く怪しいセールスマンが教材を売りつけにきたりと、とにかく学校帰りは危険が多かったと思う。

ついでにいうと、学校の怪談とか心霊番組の全盛期でもあった。

時代的にまだおおらかだった……と言えば聞こえはいいが、得体のしれないものが町に紛れ込むことも多かったように思う。あれは子どもだったから怖かったのだろうか。



・30年ぶりの故郷

新しい家からそう遠くなかったのに、両親の離婚で引っ越してからはほとんど町を訪れることはなく30年近くが経過……。

父も母も鬼籍に入って、苦い記憶も思い出となり、親子3人で暮らしていた家をもう一度訪れてみたくなった。町はすっかり変わっただろうか。あの頃のままだろうか。

そう思いながら、バスに乗って生まれ育った町に向かうと……意外なほど町は当時の面影を残したままだった。

ところどころ、ガソリンスタンドがコンビニになったり、停留所の名前が変わったりといった変化はあった。

しかし、細い道にいけばいくほど昔のままで衝撃を受けた。

そして、私が暮らしていたマンションもほとんど当時のまま。「ただいま」とドアを開けたら、家族がそのまま住んでいるんじゃないかと思うくらい、30年前と変わっていなかった。



・怖かった道を歩く

あの頃、怖かった道もそのままなので歩いてみる。

まず、絶対にここを通らないと家に帰れないのに通るたびに大きな吠える犬がいて怖かった階段だが……当然だが、犬はもういなかったし、表札の名前も変わっていた。

当時は犬が苦手だったので、バカ犬などと言って嫌っていたが、思えばあの犬は散歩に連れて行ってもらっていなかった。誰かに遊んでほしくて、通行人に向かって吠えていたのかもしれないと思うと切ない気持ちになる。

そして、その道をそのまま下ったところにある生け垣。昔、母と二人で歩いていたら、ガサガサっっと音がして蛇が飛んできたことがあって怖かった。

生け垣はほとんど当時のままで、夕暮れどきに通るとまた蛇が飛んでくるんじゃないかと思って緊張する。怖い。大人になってもやっぱり蛇は怖いのだ……。



・もっとも怖かった道を歩く

そして、もっとも恐ろしかったのが、父親からおつかいに行かされていた酒屋までの道。当時はゆるかったので、父の使いでタバコを買いに行っていたのだが、そこに行くまでの道は恐怖の連続であった。

まず、変なおばあさんが住んでいると噂になっていた小さな小屋があった。今にして思えば空き家がそのままゴミ捨て場になっていただけなのだが、中からお化けが出てくるんじゃないかと怖くて、わざわざ避けて通っていた。

そのゴミ置き場は、まるで『3びきのこぶた』の藁の家のように、大きな台風で飛ばされて無くなったのだが、空き地は当時のまま残って草ぼうぼうになっていた。


そして、第2のポイントが90年代初頭の長崎ではまだ珍しいコンビニがあった場所。そこはなぜかコンビニとレンタルビデオが一緒になっていて、当時人気のあったホラー映画が外に向けて大量に並べられていた。

「バタリアン」とか「死霊のはらわた」のビデオのパッケージが怖くて、ひとりのときは昼間でも絶対にコンビニを見ないようにして歩いていた。

そこはとっくにコンビニはなくなっており、空き家になっていた。大人になると、それはそれで怖い空間になっている。


さらには、おつかいに行かされていた酒屋さんも無くなって空き地になっていた……。まるですべて夢だったようだ。



・大人になっても怖いのは…

怖かったスポットはもうなくなっている……なのに大人になった今も、なぜかこの道を歩くとめちゃくちゃ怖い。というか、当時より今のほうが恐怖を感じる。


その理由は……



歩道がありえないくらい狭いのだ。


隣は崖。白線の外にはバスがビュンビュン走っている。


子供の頃より体が大きくなっているぶん、ちょっとよろけたら大怪我する……! という恐怖感が凄まじい。

この道、未だにこんなに歩道が狭いのかよ……。怖すぎるだろ。

子供の頃、ちょうど湾岸エリアの再開発が行われていて巨大なダンプカーなどがこの道をブンブン走っていたけどよく無事だったな。

さらに、不審者の報告をしに行ったり、落とし物を届けにいったりと何かとお世話になった交番は無人になっており、不気味なカカシが置かれていた。

これ、子供の頃にあったら確実にトラウマになっていたな。



・怖いだけじゃない思い出も…

懐かしいな……でも、今でもやっぱりちょっと怖いな……と思いながら歩いていたら、ある場所に来た途端、トクン……と胸が切なくなった。

こ、この階段は……!

中1のときに好きだったIくんを待ち伏せして手作りのバレンタインチョコを渡してフラれた場所や……!!!

自分は帰宅部なのに、サッカー部のIくんの部活が終わるまで寒空の下2時間ほどここで待ち続けたのだ

おい、風邪引くぞ!!!! っていうか、その愛情表現重すぎるから!!!!!!!

完全に話がそれてしまったが、大人になってから子供の頃に育った町を歩いてみるといろんな発見があった。

行ったことがない遠い場所へ旅するのも楽しいけれど、ときにはこんな「旅」もいいと思う。


執筆:御花畑マリコ
Photo:RocketNews24.

▼子供の頃、ひいひい言いながら歩いていた長い坂道、大人になっても息切れした

▼平成中期までは、この橋のたもとに、行商のおばあちゃんがいつも座っていて魚や野菜を売っていた