*1外から帰るなり赤子が「くつしたをぬぎて〜」と言ってて古語感がすごかった(他にも「おきて(置いて)」などの活用をする)
— yas/やすちゃん🐇6🌼 (@yaschan__) 2024年10月20日
いわば誤った一般化であるが、これは子供が単なるオウム返しをしているのではなく、文法を学習しているということの証左である。*2 ヤコブソンは次のような言葉を残している。
The child creates as he borrows. [...] his borrowing is not a strict copying; every imitation requires a selection and consequently a creative departure from the prototype.
Jacobson "Child Language Aphasia and Phonological Universals"*3
「ぬぐ」「おく」はそれぞれガ行、カ行五段動詞なのでイ音便となる。この規則の例外として、「
音便形から活用の類推を誤ったものも広く観察されている。「死ぬ」の活用として「死む」「死まない」「死めば」と言ってしまうものである。実は日本語の標準変種ではナ行五段動詞は「死ぬ」だけであり、「死んだ」などからより一般的なマ行五段動詞として活用させてしまったと考えられている。*8
このような類推による変化は歴史的にもあり、下一段活用動詞「蹴る」が四段化したのは上述のように対になる動詞に牽かれて「踏んだり蹴たり」が「踏んだり蹴ったり」となり、そこからラ行四段に類推されたと考えられている*9。また、標準変種において「借る」が一段化して「借りる」となったのも、「買う」とテ形の音便形が衝突するため(買って/借って)、非音便形にするために活用を変えたと考えられる*10。
*1:ここの「古語っぽさ」であるが、これは古語が現代語と違って音便が義務的でないからである。(小田勝『実例詳解 古典文法総覧』和泉書院 2015, p. 39.)音便自体は古くから起こっており、『万葉集』にみられる「掻キ > カイ」のような個別事例(「麻可治加伊奴吉」3993番歌)を除くとしても、動詞の体系的なイ音便が9世紀ごろから生じている。(沖森卓也『日本語全史』ちくま新書 2017, p. 162.)『源氏物語』にも「書いたる」(夕顔)「やはらいだる」(帚木)などが見られる。
*2:LLM(Large Language Model)はこういった誤りをしないと思うので、比較した研究か何かありそうだなあ。
*3:Roman Jacobson, "Child Language Aphasia and Phonological Universals" tr. A. R. Keiler 1968, p. 14.
*4:ラ・タ行動詞では「うつて」(売って)「とつたれば」(取ったれば)のように促音を「つ」表記してあるため、「いて」「いた」は促音の無表記例ではない。
*5:柳田征司『日本語の歴史5下 音便の千年紀』武蔵野書院 2015, pp. 63f.
*6:〈「あるって」「あるった」は東日本の方言的な言い方。〉『明鏡国語辞典 第二版』「歩く」
なお、『三省堂国語辞典』第七版(2014)および第八版(2022)の「歩く」の項には〈俗に、「歩いて」を「歩って」とも言う〉とある。こちらは九州出身の筆者の感覚には合致しないが、方言が俗語として広まっているという主張なのだろうか?それとも方言であることに執筆者が無自覚だっただけだろうか?
*7:柳田 Loc. cit.
*8:広瀬友紀『岩波科学ライブラリー 259 ちいさい言語学者の冒険』岩波書店 2017, pp. 34-36.
*9:柳田 Loc. cit.
*10:九州方言研究会[編]『これが九州方言の底力』大修館書店 2009.